生きている短い時間をいかに楽しめるか
発育期の頃、この問いがわたしの頭に浮かんだ。人生の有限性、死の確実性があきらかになり、否定できなくなったときのことである。存在の危機は一定期間つづき、わたしは答えを見つけることにとらわれるようになった。解答を求めてわたしは古代ギリシア人から現代の最先端の科学者までたくさんの人の意見を参考にした。賢者の石に取り組む錬金術師のように、あれこれ混ぜ合わせたり、組み合わせたりした。心理学と人類学の二つの分野のいいとこ取りをして、進化論的生物学の手ごわい問題を論じて、それに東方の神秘主義のエッセンスを少々振りかける。洗って、すすいで、それを繰り返して十二年後、あなたが両手で持つ調合薬とともにわたしは姿を現す。この最終的な霊薬は旅を始めたときにわたしが期待したものとはまったく異なっていた。わたしが勧めた数多くのものは、現代世界のテクノロジーに駆り立てられた、消費主義者の環境の中で形成された心に対して、よく言っても風変わりであり、悪く言えば冒涜的である。しかし最高の幸福が見いだされるのは、もともとの自然の状態を受け入れているときだけである。
人類の創成期から農耕の到来まで、われわれはアフリカから北極まで、野生の獲物や新鮮なフルーツ、野菜を探して歩き回った。その間、自然淘汰という驚くべきやり方で環境に適合してきたのである。狩猟採集民の先祖は、取り巻く自然との一体感を感じながら、たしかな健康と楽しみを感じる生活を送るようになったのである。現在もそのような種族がアマゾンのジャングルの奥地や果てしなく広がるカラハリ砂漠に隠れて生き延びてきたのである。彼らは今も古代そのものの生活を送っていて、遺伝的に可能性とマッチした生活の成果を楽しんでいるのである。現在社会のほとんどの人はこれらの種族を石器時代の生き残りとして見下している。驚異のテクノロジーにアクセスすることができないなんて、なんと不幸なこと! というわけだ。しかしながらこういった「原始的な」人々の間に暮らした科学者たちは彼らを今まで見たなかでもっとも幸福で、もっとも健康的な人々とみなしているのだ。
こうしたことが、あなたが信じ込まされてきたことすべてに反しているとしても、驚きではない。わたしはカレッジで哲学を専攻した。夕食時に、わたしの向かいに坐った不運な人々にとってはきわめて遺憾だろうけど、テーブル上のリンゴの色から神秘的なクォンタム理論まで、あらゆることについてあれこれ質問し、分析してみたものである。しかしストレスや心配性、心臓病などが現代病であることをわたしは理解していなかった。成長するにしたがい、わたし徐々にメンタル面の余裕を失い、ストレスの多い生活によって神経組織が弱められ、その結果癌を患って死ぬかもしれない、そういうことはすでに了解していた。そして大学院生の頃、健康と幸福の進化論的心理学についての恩師の論文について書いている間、わたしは狩猟採集民研究を含む人類学に関する文学についてじっくりと考え始めた。恩師の論文を読み、わたしの心は吹き飛ばされた。これらのことが大衆に知られていないのはどういうことなのか、理解できなかった。わたしは通りを走り回ってひとりひとり襟首をつかんで叫びたかった。
「狩猟採集民に虫歯がないことをあなたは知っていましたか? 彼らは歯磨きさえしないのに!」
うわごとを言う狂人に見えないようにと、わたしは本書を書くことにしたのである。
幸運にも過去の数年間、祖先健康運動、一般的に知られる「パレオ・ダイエット」が広く成功をおさめ、世界中の人がスリムになり、かつ強くなり、結果的に病気や慢性疾患に悩む人も減ったのである。それはスマッシュ・ヒットといえる成功だった。原始的食生活の基本に慣れない人々のためにわたしは一章を捧げたい。しかしこの健康フィーバー、スリム・ボディ・フィーバーのなかで、人々はつねにわたしが考えるはるかに重要な問いを無視してきたのである。すなわち、狩猟採集民はなぜそんなに幸せだったのか。そして、なぜ彼らはそんなにもメンタルの健康を維持できたのか。
心理学者が真剣に幸福について研究しはじめたことにあなたは驚くかもしれない。おそらく人間という存在においてもっとも重要な問題である。新しいミレニアム(千年紀)の曲がり角に至ってようやく発せられるようになった問いだ。それより以前は、心理学者はおもにメンタル面の病気を扱うことを専門としていた。つまり「病気である」とされる人物が機能的に「ノーマルである」とされる人物になるよう助けるのである。お金がすべてというところでは、人は心理学者にお金を払わない。彼らは単純にフロイトが「普通の人間の不幸」と呼ぶ感情を感じるのである。この地球上における唯一無二の存在をどうやって最大限に生かすかという問いが、わが人生を貫き駆り立てるモティベーションとなっていたので、わたしはごく自然に心理学の分野における新しい発見に刺激を受けてきたのである。わたしは自分の手を汚したかった。ポジティブ心理学研究所で研究をすることに決めたわたしは、(サンフランシスコ州立大学心理学部の)マインド・ブレイン・アンド・ビヘイビア・リサーチで卒業単位を取得した。この十年間、ポジティブ心理学の分野は見事に花開いたといえるだろう。何千ものジャーナル記事が発表され、このテーマの本が数多く出版されたのだ。幸福の研究のやりかたは、われわれの社会から見本を占めすことだった。そして幸福と心理学的、社会的、経済的な互恵関係を理解することだった。お金は幸福を買うことができるだろうか。答えは、イエス。しかしそれはこれ以上貧しくないという意味においてだけだが。どれだけお金を持っているかはさほど重要とは思えない。親しい友人がたくさんいる人は幸福を感じる傾向がある。一方で神経症の人はそうではない。この種のリサーチの多くは洞察に満ちていて、人間の条件の理解に恩恵をもたらしてくれる。しかしつぎの問い「人をより幸福にするものは何か」が発せられたとき、六つの鍵となるエリアで、ポジティブ心理学の分野が急に現れるのだ。これらはいまから述べようとしているテーマであり、明らかにすべきことである。これらはこの本の六つのセクションに相応する。
さて、はじめよう。
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