ミケロの旅日記
7月20日 ミャンマーの村(1)  私はヒーロー?

独竜江はミャンマーに入りンマイカという 名前に変わる。

 ミャンマー側に着いた翌朝、われわれは一番近い村、クムガ村まで歩くことにした。外に出ると、世界は霧にすっぽりと覆われていた。草の葉には露がたまり、地面はぬかるんで足の出しどころがなかった。ンマイカ(独竜江)は夜来の雨をあつめて怒っているかのごとく激しく流れていた。霧のあいまにのぞく川向こうの森は、あやしいほど鮮やかだった。

 歩き始めたところで霧の中から背の高い青年が現れた。

「おまえはどこに行くのだ? どこの人間なのだ?」

 と、難癖をつけてきた。

 私が答えに窮していると、

「村まで行ってはだめだぞ。写真を撮るのもだめだ。わかったな」

 青年はこちらの答えを待たずに兵站の建物のほうへ歩いていった。

 すくみあがっている私を見てNさんは可笑しそうに言った。

「気にすることはないわ。お酒の匂いがしたでしょ」

 たしかにお酒の匂いがした。朝から酒を飲んでいたのだ。偉そうな態度をとっていたけれど、おそらくここの警備兵でも係官でもないだろう。ただ、地元に溶け込んでいるつもりでいたのに(地元民が着るような迷彩色の上下を着ていた)一瞥しただけで外国人とわかってしまったのがショックだった。中国人にすら見えなかったのだ。「いや待てよ」と私は思った。「村のほうにまで私が来ていることが知られているということだ」

 ほんの半時間ほど山道を歩くと、集落に着いた。この短い時間のあいだに雨脚が強くなった。

にこやかに笑みを浮かべ、握手を求めてきた。

 村人のリアクションはまったく予想しないものだった。

 薪を貯めた小屋で若い女性が作業をしていた。(薪を割っていたのだろう)彼女はこちらに気がつくと、にこにこしながら手を出した。握手を求めてきたのである。私は外交官にでもなったような心地で右手を出し、彼女の手を握りながら笑みを浮かべた。不思議な気持ちだった。

 握手……。どういうことなのだろうか。

 国境を越えて来る人々にたいし歓迎の意を表しているのだろうか。国境を行き来する地元の人々は珍しくないので(しかも親戚の場合が多い)握手を求めることはありえない。中国人以外の外国人はまずやってこない。すなわち都市部からやってきた中国人と思われたということだ。都会人がこのジャングルを越えて来るのは容易ではないので、純粋に敬意を表したのかもしれない。

 国境交易は地元に富をもたらしてくれるかもしれない。私をビジネスマンだと考えたのかもしれない。観光客だと考えたとしても、将来的に大量にやってくる中国人はいまのうちから歓迎すべきと考えたのかもしれない。

 しかしもっとありうるのは、彼女が善きクリスチャンであり、国境の向こうから苦労してやってきた者にたいし、博愛の精神でもって慰労したのかもしれない。

 彼女だけでなく、おじいさんも、青年も、おばさんも、みなこちらに気づくと握手を求めてくるのだった。これほど歓迎されたことはいままでの人生ではじめてのことだと思い、涙が出るほど感動した。


雨に煙るミャンマー側のラワン族の集落。