ミケロの旅日記
7月27日 紋面シャーマンを慕う
人家もまばらな独竜江上流。(1996年)
(1)盲目のシャーマン、ドゥナの思い出
竜元(ロンユェン)から迪政当(ディツェンタン)までのおよそ10キロの道を歩くのに4時間を要してしまった。未舗装の車道は通っているものの、崖崩れがあちこちに発生していたからだ。帰りにカウントしたら、灌木と土砂が少し積もっている小規模なものも含めると20か所もあった。崖崩れは過去形ではなく現在進行形だった。落ちてくる小石をよけながら、崩れかけた土砂や岩の上を進むときは緊張した。写真を撮るどころか言葉を発することも許されなかった。
15年前のことを思い出した。このあたりの森は深く、迪政当に近いあたりは背丈よりも高い草の中をかき分けながら進んだ。全体的にモノトーンの世界だったが、ときおりトウモロコシの粒を橙色の花弁に置き換えたような鮮やかな植物があった。草に覆われた険しい地帯を抜けると、光あふれる開けた谷間があり、独竜江のまわりに小さな家が散在していた。それが迪政当村だった。
村に入ると木の枝を振りかざし、舌を鳴らしながら、ニワトリの群れを羊の放牧のように逐(お)っている人がいた。老婆だった。
「ドゥナですよ」と案内の青年が言った。「ナムサです。目がまったく見えません」
これが全盲の紋面シャーマン(ナムサ)のドナ(当時70歳)との出会いだった。雲南北部のイ族がブタの「放牧」をしている光景を見て驚いたことがあるけど、ニワトリの「放牧」にも驚かされた。しかし全盲であるならこの十羽ほどのニワトリを連れているだけでも信じられないことだと思った。あとで考えるに、舌を鳴らす、すなわちクリック音を発するのは、その反響音を聴いて状況を知るエコロケーション(反響定位)だったのではなかろうか。(NHKのドキュメンタリー番組でエコロケーションを行うメキシコ系アメリカ人青年フアンを紹介していた。彼は舌打ち音の反響音によって、物体の存在や形を認識することができるのだ。レーダーの論理である)
ただドゥナが全盲になったのは年を取ってからのことで、生まれながらの、あるいは年少のときに盲目になった場合と比べ、そうした特殊技能を会得するのは困難だったろう。しかしドゥナは視力を失うことによって精霊を見る能力を得た。
僻村とはいえ、ドゥナは村の名家に育ち、暮らしてきた。彼女は生産小隊隊長(当時すでに故人)の妻であり、祖父のトゥンツェンクンチャは巡視官・夏瑚から委任状をもらったカサン(頭人)であり、ロンウー氏族のナムサだった。彼(祖父)のナム(精霊)は8人(男6、女2)だったという。
ある晴れた日、ドゥナは病気で囲炉裏端に伏せていると、部屋の隅に吊るされている太鼓のあたりに3人(男2、女1)の人が現れ、言った。
「われわれはあなたと友だちになるためにカワカポからやってきた。あなたたちは衛生に気をつけ、よく洗濯をしなくてはならない」
その瞬間ドゥナは意識を失った。
カワカポというのは通常チベット人の聖地である梅里雪山を指す(カワカポはチベット語で雪山の意)が、もっと近くの独竜族の聖なる高山のことかもしれない。このときドゥナは失明しかけていた。そんなときに天界と通じている聖山から精霊がやってきたのである。
一週間後、地域ではよく知られたナムサ、ムーランタムティンが治療活動を行うため迪政当にやってきて、彼女の家に泊まった。彼はドゥナにナム(精霊)がやってきていることを察知し、夫に語った。
「ドゥナにはナムがやってきているぞ。ナムサ(シャーマン)になろうとしているのだ。ナムサであることを明らかにすれば、病もよくなるだろう。おまえは酒席を設けるのだ。わがナムはドゥナのナムと話をするだろう。こうしてドゥナはナムサになるのだ」
ドゥナは8人のナムを擁した。人数から推察するに、祖父のナムサと同一のナムと考えられる。ロンウー氏族のナムが祖父から孫娘に継承されたのだ。のち3人のナムが加わり、この時点で11人となっていた。ナムにはそれぞれ特定の病気の治癒や占いなど得意分野、専門分野をもっていた。ナムは以下の通り。
スオンバンスエン(女)ナムの首領。算命術を得意とする。天界からナムを派遣して、病人のプラを救う。
デンカンチェンソン(男)スオンバンスエンのパートナーであり、助手。このふたりはつねにドゥナのそばにいて、警護している。
カムラナム(男)悪鬼デゲラプランとレサプランを殺すのが専門。
ペンセルナム(男)カムラナムの助手。
ムーシャンソン(女)痢疾専門。
カントゥナム(男)ムーシャンソンのパートナーであり助手。他の病気を治せる。
ワンミティンスエン(男)腹痛、頭痛、身体の不快感などを治す。
タンゲルナン(男)ワンミティンスエンの助手。
あらたに加わったのは、
タプナム(男)役職不明。
タムソン(男)役職不明。
イェンニクレン(女)ナムのなかでももっとも美しいという。
ナムサとしての地位を確立したドゥナは、ある日、ナム(精霊)の報告によって天神グムが3人の村人の命を取る決定を下したことを知った。彼女はまだ望みがあると考え、それぞれの家でラアパ儀式を行った。ラアパ儀式において、ナムサは生きたニワトリを患者の体のまわりでぐるぐる回し、祈祷をする。こうしてナムサはニワトリのプラ(魂)を天神グムに捧げ、その代わりに3人のプラを取り戻すのだという。プラを取り戻したとき、患者はみな治っているのである。
儀式のあと各家で麦粉を練り、ブタ、ニワトリ、ヒツジなどの像(チベットのトルマと同一のもの)を作り、箕の中に置き、その周囲の枝をさし、紙切れや布切れをはる。これはラダルと呼ばれる。これを村の外に置き、悪霊のたたりを防ぐという。
われわれは名高いナムサであるドゥナの治療の様子を見るか、あるいはできれば治療を受けてみたいと思った。シャーマンに治療活動や儀礼を見せてもらう場合、つねにおなじ問題が生じる。病人がいなければ、真剣な治療活動が見られないのだ。下手にやらせをおこなってもらうと、神に罰せられる可能性もあるだろう。
必死に体調を維持しながら現地に入るのに、こういうときは体調を崩していたらなあと思うのはずいぶん都合よすぎるというものだ。幸い、案内の青年がおなかを下していた。病気というほどの病気ではないが、こんなささいな症状でも、ジプラン(悪霊)によって引き起こされたと考えられるのだ。
ドゥナは患者の青年に息を吹きかけながら、彼の胸のあたりを撫でた。数年後にネパール・ヒマラヤで見たシャーマン(タマン族のボンボ)のやりかたとそっくりだった。おそらくこれがもっとも単純で基礎的でユニバーサルな治療法なのだろう。プラシーボ効果といえばそうなんだろうけど、心理的効果もまた有効な薬だと考えるほうがポジティブ思考でいいような気がする。