ミケロの旅日記
7月28日 ついに男の呪術師と会う
(1)蠱術とシャーマニズム
そもそも、雲南のはずれ、ミャンマーとの国境近くまでやってきたこの旅の目的は、Nさんの叔父を呪殺したという呪術師に会うためだった。結局当の呪術師に会えなかった第一の原因は、呪術師という言葉にあった。呪術師はナムサ(シャーマン)に違いないと私は思い込み、ナムサという前提をもってミャンマー側で探したところ、キリスト教化した地元の人々から「そんな人はいない」というつれない返答をもらったのだった。しかし呪術師がナムサではなく「蠱(こ)を養う人」のことであるなら、ほぼ全員がクリスチャンという現在においても存在しうるだろう。いや、存在するのはたしかなのだから、叔父を殺したのは「蠱を養う人」でほぼ間違いない。
蠱について話し始めると長くなってしまうので、簡単に数行で説明しよう。蠱の原義は、読んで字のごとく器(皿)にさまざまな(蛇やムカデ、サソリを含む)虫を入れて争わせ、最後に残った虫の力を使って呪術を行うことである。虫だけでなく、犬や猫を使ったものも含まれる。中国では古代から盛んで、政治の場にも用いられた。前漢の武帝時代の江充事件など朝廷を揺るがす事件に発展することも多かった。現在の中国でも蠱の風習は残っていて、地方を歩いていると「蠱を養う人」の噂をしばしば耳にする。
私が貢山で聞いたリス族の女呪術師も(すでに故人になっていた)「蠱を養う人」であった可能性が大きい。ミャンマー側の独竜族(ラワン族)もクリスチャン化したとはいえ、蠱術の風習は絶滅してはいないのではなかろうか。
前述のように、独竜江の上中流地域の文化は、下流域およびミャンマー側ラワン族の文化と大きく異なっている。下流域・ミャンマー側にはおそらく蠱術が残っていて、上中流域にはかつて紋面(顔面刺青)の風習があり、またナムサの宗教行為(シャーマニズム)は衰退しているとはいえ、残存しているのだ。
15年前、私はふたりの紋面シャーマンと会った。しかしインパクトの強さからいえば、男のシャーマンのほうが上だったともいえる。
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