ヒマラヤを越えた文字喪失伝承(3) 宮本神酒男 

 雲南に入ると、怒江(サルウィン河上流)のヌー族(怒族)にも文字喪失伝承がある。(ヌー族もまた複合民族であり、イ族に近い支系やラワン・独竜族に近い支系などによって構成される。以下はイ族に近い支系ヌスの伝説)

[雲南・ヌー族] 
 昔、幼い子をもつ寡婦がいた。生活が苦しく、金持ちの主人に借金をし、その代償として休みなく重労働を課せられていた。しかしついに病気になって、子を残して死んでしまった。孤児は毎日母の母船で泣き暮れていた。
 天界の七姉妹がその様子を見て、いたく心を打たれた。そこで姉妹のひとり六星娘地上に降りて、孤児の嫁になることにした。ただしこれは天界の法則に反していた。妻となった六星娘は他の姉妹の協力で質のいい靴を作り、それが売れたので、借金はまもなくすべて返済することができた。
 ふたりのあいだに子供ができた。子供はすくすくと育ち、学校に上がってもよく勉強ができた。しかしあるとき六星娘は天界から来たことを打ち明け、規則によってもう戻らなければならないと告げ、去って行った。
 母が恋しい子供は、どうしたら母に会えるだろうかと教師に尋ねた。教師は「山をいくつも越え、赤い湖のほとりに着いたらそこで夕暮れ時まで待ちなさい。そのとき現れる7羽のカラスの6番目があなたの母親ですよ」と教えた。
 そのとおりにすると、子供は母親に会うことができた。だが母は天界の規則があるので地上にもどることはできないと言い、青色の蓋の瓶と赤色の蓋の瓶を渡した。
 村にもどり学校へ行くと、母親がいないのに母を探しに行っただろうと同級生に難癖をつけられた。「この瓶は母からもらったものだ」と子供が反論すると、同級生は赤い蓋の瓶を奪い、蓋をあけて中身を教室内にまき散らした。すると瓶から炎が噴き出し、学校は全焼してしまった。このとき文字も焼失してしまったのである。

 話そのものは典型的な異界女房譚であり、ヌス(ヌー族)がなぜ文字をもたないのかの由来の説明がくっついている。伝説といっても、創作に近い物語である。しかしここで述べられているのは、天上世界のことを理解しない、あるいは信じようとしない人間にたいし、文字を奪い取るということで罰則を与えたということなのだろう。

 雲南の諸民族のなかでもっとも多くの種類の文字喪失伝承が流布しているのはハニ族だろう。90年代に私がはじめて文字喪失伝承を聞いたのは、西双版納(シーサンパンナ、原語に近い発音でシップソーンパンナー)のタイ族の村に滞在しているとき、訪ねてきたアイニ(ハニ族支系)の老人からだった。いまから思えば不思議なことだった。私はとりたてて民話収集をしていたわけではなく、いわんや文字喪失伝承を集めていたのでもなかった。しかしそのとき、老人には山ほど世間話のネタがあっただろうに、どういうわけかこの種の物語を語り始めたのである。

[雲南・ハニ族1] 
 昔、ハニ族は首領に率いられてヌオマ河畔にたどりついたが、あいにく雨季で十日以上雨が降り続き、なかなか渡河することができなかった。彼らの宝は、天、地上、大海の竜神などあらゆることについて先祖が書き記した書物であった。それを肌身放さず持ち歩き、管理していたのはペマ(宗教祭司)である。ある日、彼らは河を渡ることになった。河に入るとき、ペマが不安そうな首領に向かい、笑いながら言った。
「かしらよ、これしきの水を怖がっていかがなさる!」
 しかしこの一言が水底の河神を眠りから覚まさせてしまった。河神は3人の波浪神に書物を取ってこいと命じた。最初の波浪神は水牛のような不気味な声で吼えたてたが、ペマは書物をしっかり抱いて、びくともしなかった。二番目の波浪神は虎の怪物の姿で唸りながら襲いかかるしぐさを見せたが、ペマは書物を肩の上にのせて守った。三番目の波浪神はもっとも手ごわかった。雷鳴のとどろきのような吼え声をあげながら、それはペマを飲み込もうとした。
「書物をくわえろ! 両手で怪物と戦うんだ!」と首領が叫んだ。
 ペマはもっともだと思い、書物を口にくわえて両手で必死に怪物と戦った。しかしそのとき、ゴックンと書物を飲み込んでしまったのである。
 それ以来、ハニ族には文字がないという。けれども書物はペマのおなかのなかでパワーの源泉となった。六月年、十月年などの祭りのときや葬送、婚礼、田植えのときなどの重要なときに歌えるのも、この力のおかげである。

 言語学的には、ハニ族とイ族は非常に近い。雲南のハニ族とイ族の距離は、雲南のイ族と四川のイ族の距離より短いのだ。では違いは何かといえば、イ族のピモ(祭司)が文字を持つのにたいし、ハニ族のペマが持たないことなのである。これによってハニ族のペマはイ族のピモにたいし、コンプレックスをいだくかもしれない。しかしコンプレックスなど無用、とこの伝承は言おうとしているかのようだ。なぜなら文字をもたないことによって、かえって大きな霊的パワーをもつことになるからだ。

 この伝説はタマン族のボンボの文字喪失伝承と似ていることがわかるだろう。たんに言い訳がましく言っているのではなく、実際に霊的パワーを磨くためには、書物は捨て去ったほうがいいのだ。文字(=知識)によりかかると、肝心の能力を失ってしまうことになりかねないのだ。

 つぎのハニ族の説話は偶然ではすまされないほど前述のヌー族の伝説と似ている。やはり物語色が強く、後世の加筆が感じられる。

[雲南・ハニ族2] 
 昔、紅河地区の沙偶村にシャムーという名の柴売りがいた。両親とも死んだため、彼はスアバという富者の家で働きはじめた。シャムーは20歳を越え、たくましい若者に成長した。田植えが終わったとき、スアバは彼に告げた。
「もうおまえに食わす飯はない。山へ入って柴刈りをしろ。柴を売った利益のなかから毎日おまえに一角払おう。が、それはおれが保管し、おまえが結婚するときに渡してやることにしよう」
 シャムーは毎日街に出て一生懸命に柴を売ったので、柴売りシャムーは人気者になった。また身寄りのないロおばさんに同情し、柴をあげるなどやさしくした。そんなある日、山を歩いていると、美しい歌声がきこえてきた。眼前に現れたのはこの世のものとは思えないほど美しい女だった。天女にちがいない。女は十姉妹と名乗った。シャムーは金も身寄りもないのに、女に結婚を申し込むと、女は受け入れた。十姉妹は天の神匠に頼んで一晩で立派な屋敷を建てさせ、ふたりは幸福な新婚生活をはじめた。
 シャムーが姿を現さないのをいぶかしく思ったスアバは、山に入ると、そこに立派な屋敷があり、さらに美しい女がいるのを見て仰天した。スアバは横恋慕し、シャムーの女房を手に入れようとさまざまな姦計をめぐらした。しかしうまくいかなかった。そのうちシャムーと十姉妹のあいだに男の子が生まれ、ムーガと名付けられた。
 スアバはなおしつこくシャムーに自分の女房と交換しないかともちかけ、どうしても許諾しないので、ついにシャムーを殺してしまった。深い悲しみのなかで十姉妹は地上を去ることに決め、ムーガはロおばさんに預けた。
 ムーガは7歳になり、学校に通うようになった。しかし同級生たちに「おまえは、かかあのいない野良っこだ!」と言われ、いじめられた。そこで女教師に相談すると、「山を越えると湖があります。太陽が昇るとき10人の天女がそこで身体を洗うはずです。そのなかで赤色の衣を羽織っているのがあなたの母親です」と教えた。教師に言われたとおりに湖に行き、ムーガは母親と再会することができた。
 母親はムーガに小さな赤いひょうたんをあげた。そのことを小耳にはさんだスアバがひょうたんのなかをのぞくと、不思議なことに霞がかかっていて、美しい十姉妹の姿がぼんやりと見えた。スアバがそのひょうたんを欲しがると、ひょうたんはポンと音をたてて爆発した。その火は瞬く間に広がり、スアバを焼き殺し、校舎も全焼させた。そのときに書物も灰になってしまった。ただ硯(すずり)の下にわずかばかりの文字が残った。それが不完全な文字、ペマ文字なのである。

 このように話の骨格だけでなく、ディテールまでもがヌー族の説話とよく似ている。異界女房型のパターンは中国内では「定番」ともいえるが、両者とも末尾に文字を持たないことの説明が付加されている。しかしあまりにも似ているので、伝説の採集の仕方に問題があるかもしれない。

 アイニ(ハニ族支系)の文字喪失伝承は、もっとこのハニ族の説話と似ている。というよりあきらかにおなじ話のバージョンである。

[雲南・ハニ族3] 
 そのころアポという文字を知っているのは一組の夫婦だけになっていた。彼らも年を取り、このままではアポというアイニ文字が失われてしまうかもしれないと危惧の念をいだき、彼らの住む竹楼に子供たちを集め、文字を教えることにした。子供たちのなかにロガという男の子がいたが、母親はじつは天女だった。母とは、母が水浴びに来るときしか会えなかった。それで母はロガにひょうたんを渡した。そのなかをのぞくと五色の彩雲がかかっていて、そのなかに母の姿を見ることができた。
 このひょうたんのことは評判になり、貪欲な富豪の耳にも入った。富豪は自分の立派な竹楼のなかでひょうたんをのぞくと、なかに美しい天女が見えた。彼はどうしてもこの天女を手に入れたいと思った。しかしそうこうするうちに突然ひょうたんが爆発し、炎を噴き上げた。火は富豪と家来と竹楼を焼き尽くした。
 この火事でアポも焼失してしまったが、子供たちは教わった文字をすこしばかり覚えていた。いまも筒や衣服の上に見られる文様や刺繍はその名残である。

 ほとんどおなじような話だが、こちらの伝説はあくまでも失われた文字のエピソードが中心である。アポという文字はたしかに存在したのだろう。イ族のイ文字と似た文字だったかもしれない。アポという言葉は祖先を意味している。つまり遠い祖先は文字を編み出していたのだが、残念ながら火事によって失われてしまったのだ。

 アイニにはもうひとつ典型的な文字喪失伝承が語り継がれている。

[雲南・ハニ族4] 
 昔、漢族、タイ族、アイニ族が3つの村に分かれて住んでいた。当時はされも文字をもっていなかったので、豆を使って計算をしたり、木に記号を刻んだりして事足れりとしていた。そのうち文字がないと不便だということに気づき、彼らはみなで文字探しの旅に出ることになった。出発するとき、漢族は衣服以外なにももたなかった。タイ族は衣服のほかに棕櫚の葉をもっていた。アイニは衣服のほかに牛皮をもっていた。
 3人は山を越え、川を渡り、ついに文字があるところへやってきた。文字は3種類あり、それぞれ山の洞窟のなかに隠してあった。しかし文字はどれも岩の上に刻み込んであって持ち運ぶことができなかった。漢族はひとつひとつ文字を読み、意味を知り、すべて記憶した。タイ族はすべて貝葉の上に写した。アイニもまた牛皮の上に写した。文字を手に入れた3人は意気揚々と帰路に就いた。
 彼らは大きな川にたどりついた。そこには橋がなかったので、筏に乗って川を渡ることにした。ところが筏が川の中で沈みかけ、彼らの衣服と持ち物はびしょびしょになってしまった。陸に上がって洞穴のなかでたき火をして乾かしたが、タイ族の棕櫚の葉はぐにゃぐにゃになってしまった。だからタイ族の文字はぐにゃぐにゃしているのである。アイニの牛皮といえば、ぶくぶくし、パリパリになったうえに芳しい香りがした。そこで彼らは牛皮を三等分し、食べてしまったのである。

 ここではあきらかに、漢族>タイ族>アイニという序列がつけられている。こんがり焼いた文字の刻まれた牛皮をつい食べてしまうという自虐ネタは、笑ったあとで悲哀を感じざるを得ない。タマン族のボンボが書物を焼いた灰を飲み込むとき、知識を越えた超能力を身につけることができるという自負をもっているのだが、アイニ族はただおいしそうな匂いがする牛皮を食べるだけで、愚かさしか感じさせないのである。

 民族ではなく、祭司が文字をもたない例としてはタマン族のボンボだけをあげた。女系社会で有名な四川・雲南省境の濾沽湖のモソ(ナシ族支系)も、祭司(ダバ)が文字をもたないのはなぜかという伝説があった。

[雲南四川・モソ(ナシ族)] 
 モソの言い伝えによると、文字はブタ皮で作られた書に記されていた。それを管理していたのはジャツォガピとシャラワガというふたりのダバだった。彼らは西方へ経典を取りに行った戻り、洪水に遭ったり荒野をさまよったりして飢えと寒さに苦しみ、仕方なくモソ文字で書かれた書を食ってしまったのである。かれらの文字はおなかのなかにあるので、失われる心配はなくなったと考えた。

 この伝説はタマン族ボンボの説話とアイニの説話の中間に位置している。牛皮でなくブタ皮に記された文字を皮ごと食べてしまうのは、コミカルであるとともに、ボンボが主張するように、知識を超越することの象徴である。ちなみにモソ族には、長い場合には8年から9年も保存したブタ肉の名物料理があるので、彼らにとって牛皮よりブタ皮のほうがおいしそうで、しっくりとくるのである。


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