ヒマラヤを越えた文字喪失伝承(5) 宮本神酒男 

 チベット・ビルマ語族に特有の伝説ではないにせよ、この文字喪失伝承が彼らによって伝播したという可能性は少なくないだろう。そうするとチャン族(羌族)の説話はもっとも古層に属するものといえる。つぎの説話はタマン族のボンボとおなじく、シャーマン(シピ)がなぜ文字(つまり経典)を持たないかという説明の伝説である。

[四川・チャン族] 
 かつてチャン族のシャーマン(シピ)は、竹に文字を刻んだ「竹経」をもっていた。あるとき、弟子が目を離したすきにヤギが竹経を、すなわち文字の刻まれた竹の経典をかじってしまった。弟子は怒りのあまりヤギを殺し、その皮をはいで太鼓を作り、叩きまくった。
 その一撃一撃が弟子の頭を覚醒させ、経文が口をついで出てきた。古代の叡智はこうして後世に伝わった。

 シピのためにあえて弁護するなら、仏教経典のような知識の蓄積はないにしても、シピのとりおこなう儀礼の豊かさ、複雑さは相当のレベルに達している。彼らがよむ儀礼のさいに物語には、民族の知恵がつまっているのだ。タマン族の項でも述べたように、知識を追求しすぎると、かえって物事の本筋を見失ってしまいがちなのである。

 以上のように、文字喪失伝承(なぜ文字をもっていないかを説明する伝承を含む)がネパールのヒマラヤ山麓からインド東北、ミャンマー北部、雲南、そして四川まで広がっていることを見てきた。いうまでもなく、固有の文字をもつ民族や経典がある祭司や僧侶はこの伝承は必要なかった。日本人にもこのような伝承はない。しかし江戸時代末期に平田篤胤がセンセーションを巻き起こした『古史徴』のように、ときおり現れる古代日本の神代文字説は、真偽はともあれ、文字喪失伝承の裏返しともいえるだろう。かつて固有の文字があったが、失われてしまったというのだから。コミュニケーションの道具としての文字でなく、神聖文字であるなら、一般には知られず、メジャーな文字の誕生とともに消えていくことは十分ありえる話だろう。

 固有の文字を持たなくても、文字喪失伝承をもたない場合がある。たとえばチベット自治区やブータンのチベット化した民族、メンパ族。チベット文字が普及しているので、そうした伝説が生まれる余地はないのだ。

 この伝説が生まれるのは、大民族の周辺にいるマイナーな民族である。大民族にたいする一種のコンプレックス、自分たちへの慰め、ありえそうにもないが失われた文字の記憶などから生まれるのである。

 伝承はつぎの3タイプに分けることができる。

(1)当民族にのみ文字がないのはなぜか
 ロパ族(ガロン族)、ミシュミ族、リス族、ハニ族4、ワ族、プーラン族。漢族やタイ族、チベット族は文字をもつのに、なぜ自分たちにはないのか。先祖が文字の記された牛皮を食べてしまったから、といった自虐的な説話で説明されることが多い。

(2)当祭司にのみ文字がないのはなぜか
 タマン族のボンボ、ハニ族1、モソ族のダバ、チャン族のシピ。コンプレックスをもつと同時に、優越性も示される。文字(知識)はなくても、呪術的、霊的パワーをもつことをこれらの説話は強調している。

(3)天罰としての文字喪失
 ヌー族、ハニ族2、ハニ族3。天界のことを理解しない人間にたいし、罰として文字が焼き払われてしまうというもの。道教的な倫理観があり、(1)や(2)と比べると新しいかもしれない。

 

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