妙案あり

ネウィット・エルギン 宮本神酒男訳

 波の音を聞きながら、何日間も、昼も夜も、私は岩の上に坐っていた。

 片足は海に入れ、片足は砂の上に置いた。日の出と日の入りを何度も見た。星やさまざまな形の月を見た。旅客機が頭上を過ぎ去った。悲しみを載せた船を見た。希望を載せた船も。

 どうやって私はここに来たのだろうか。

 ある日私は町を去ることにした。できるだけ遠くへ行こうと車を運転した。島に住んでいる人が遠くまで行こうとすれば、行き着くところは海だろう。道の行き止まりで私は車を降りた。海の音が聞こえ、匂いがするところまで、私は歩くだけ歩いた。

 海は美しさと力強さを湛えていた。さびれたビーチを楽しみながら歩いた。あちらこちらに犬がいた。それから私はこの岩を発見したのだった。岩の上に腰を落ち着けることにした。神について思いを集中するには理想的な場所だった。そうするための場所を探していたのだ。神を見つけるか、それとも死か。それ以外に生きていく意味がどこにあるだろうか。

 町で、つまり人々のなかで、本のなかで、寺院のなかで、神を探すのは疲れることだった。唯一私にできることは、隔絶された場所に行って神のことを思うことだけだった。

 おなじ場所にいると、不思議なことが起こるものだ。どこからともなく黒い犬が現れた。はじめ犬はすこし離れたところから近寄らなかったが、そのうちだんだんと近づいてくると、警戒しながらも、私のにおいを嗅いだ。犬は私の友だちになった。犬は、私の犬になろうとしていた。

「自分自身という荷を降ろそうとしているのに、犬がいてもいいのか」と私は自問した。犬はそれを感じ取ったのか、しだいに離れていき、どこかへ消えていった。

 しばらくして犬と同様の黒い馬に乗った男がやってきた。

「何をしているんだね」と男はたずねた。彼がいうには、このあたりはすべて彼の土地だという。

 言い争うかわりに私は言った。

「何もあなたの土地を侵しているわけではありませんよ。見てください、片足はあなたの土地を踏んでいますが、もう片方は海につかっているのですよ。私は浜辺にいるのです。浜辺は海にも陸にも属していません。それに私がここにいるのをお許しいただけるのなら、しばらくしてやってくる私の友人たちから入場料を取ってもいいですよ」

 私のアイデアが気に入ったのか、男は「グッドラック」と言って、去っていった。

 悪夢を見た翌朝、目覚めると、目の前の浜辺に死体が転がっていた。死体はこの私だった。私自身の身体だったのだ。恐ろしさにおののいたが、私は死体に近寄り、念入りに調べた。何年も私のからだにあった傷やしるしのすべてがあった。そのままにしておくことができず、私は死体を運ぶことにした。それは何年も私に悲しい思いをさせたものだった。放置された死体はすぐに損壊されるだろう。鳥や魚たちはすでにまわりにあつまりはじめていた。

 尊厳をもってそれを処理しなければならないと私は感じた。最初に思い浮かんだのは、それを海に投げ捨てることだった。それは簡単なことだった、というのもとなりは海なのだから。私は死体を崖まで運び、できるだけ遠くへほうった。死体はしかし、浜辺にもどってきて、私の足元に流れ着いた。海は、それに属さないすべてのものを拒絶するのだ。

 つぎに、私はできるだけ遠くまで死体を運んだ。そこに大きな穴を掘り、死体をそのなかに埋めた。そしてその上に大きな石を載せた。私はうれしかった。これでいいのだ。私はまたもとの場所にもどった。埋葬場所が目に入らない遠くにあったので、いままでどおり人生をつづけられそうだった。

 翌朝、私が寝ている場所に死体がもどっていた。私はふたたび死体を穴のところに運び、もっと深く掘って埋めた。しかしおなじことがその夜起こった。私はショックを受け、恐ろしくなり、挫折感を味わった。あとになって、寝ている間に埋葬場所から死体を掘り出し、私のとなりに置いたのは、ほかならぬ私自身であることがわかった。

 この不必要で役立たずのもの、それは人生において助けにならないものだが、それを取り除くことができるのは、風であることがわかった。そこで私は死体を岩の上に置き、風が吹きさらすにまかせた。しかし翌日になると死体は別の岩の上にあった。こうして聖ならざる仕事に熱中するあまり、私は最優先の、高貴なミッションのことを忘れていた。つまり神を見つけるというミッションを。

 ある晩、背後の山の頂上に点滅するかすかな光が見えた。朝まで待ってそれをたしかめることにした。そこにはこれまで認識しなかった古い建物があった。石造の古い灯台だった。小さな扉といくつかの小さな窓があった。夜になって点滅する光がここから放たれていることを確認した。だれかが私に向かってメッセージを送っているかのように感じた。

 自身の体重分の死体を肩に背負って山を登るのは、容易ではなかった。山の上に何があるか、それを探しにいくしかなかった。死体からなんとか逃れたいと思っているのに、水、土、そして風は私の邪魔をするばかりだった。

 建物は孤高として立っていた。周囲に生命のしるしは何もなかった。しかし内部に人がいることはわかっていた。生まれて初めて人に会いたいと思った。私は死体を扉の外に置き、石の階段を上っていった。階上の暖炉の前にふたりの男がいた。ひとりは背が低く、太っていて、禿げていた。もうひとりは背が高く、やせていて、パイプをくわえていた。ふたりとも赤シャツに古いレザーのズボンといういでたちだった。胸ははだけていた。お互いに見て驚いたりはしなかった。私はあいさつのことばをかわし、言った。

「ここにどれくらいいらっしゃるのですか」

 彼らは覚えていないと言った。私が来る前に訪ねてきた客はオウィディウスという名の男ということだった。彼はローマから追い出されたあと、ここに来て滞在したという。たしかオウィディウス追放といえば、キリストが生まれる五十年ほど前の話のはずだ。

 われわれが互いに知っているのはあきらかだった。彼らは私が死体を階上に運ぶのを手伝ってくれた。私は自分の話をして気が楽になったので、自分の問題についても説明した。

「挫折を感じているんです」と私は言った。「神を探しているのに、いつもこの死体が立ちはだかって邪魔をするんです。どうしたらこいつから逃れることができるのでしょうか」

 私は自分の冒険について話した。

「海にこいつを沈めたことがあります。でも海に拒絶されてしまった。こいつを砂に埋めたこともあります。しかし寝ている間に私自身が掘り起こしてしまったのです。風も役に立ちませんでした」

 ちびて太った男は歯茎を見せながらニヤっと笑った。「もう問題はないよ」

 私は確信を持てなかった。

「あなたたちは歴史から取り残されたこの世のものでない者です。あなたたちの国の人々さえ覚えていないですよ。いったい何歳なのですか?」

ふたりは互いの顔を見合わせて、「わかんないよ」と言った。「時間が止まってしまったんだ」

 暖炉の火が燃えさかっていた。背の低いほうが繰り返し言った。

「あんたの問題は解決したよ」そう言って火を見つめた。「おれたちが助けてあげるからな」

 たしかに彼は正しいかもしれない。水、風、土、とくれば残る元素は火だ。つまるところ火は浄化するにはもっともいい。

 われわれは死体を火に投げ入れた。私は目を閉じる。身体が燃えるのを見たくなかったからだ。目を開けたとき、灰をのみ見たかった。しかしなんということか、死体はそのままだった。燃える炎の舌にあらがい、何も変わらっていなかった。ふたりも、私も、こわくてふるえた。火は燃え尽きたが、死体は変わらずそこにあった。

 何度か燃やそうとしたが、うまくいかず、ついにあきらめることになった。彼らは死体をふたたび私の肩の上に載せた。立ち去ろうとしたとき、ふたりのうちのどちらかが言った。

「たぶんそれは天国へのチケットなのさ」

 そして付け加えた。「あんたを埋めるにしても、あんたをそこへ連れて行くにしてもね」

 こうして私ははじめの場所に戻ることになった。すなわち町、人々、仕事、家に。しかしいまも私は出口を探しているのだ。

 何か妙案でもあるだろうか?



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