モリガン ケルトの魔術と魔力の女神 第1章 

コートニー・ウェバー 宮本訳 

1章 モリガンと会う 

 

モリガン:ひとりの女神、それとも多数からなる女神? 

 モリガンはひとりの女神なのか。イエス。

 モリガンは数人の女神のうちのひとりなのか。そして彼らはみなモリガンと関係あるのか。イエス。

 モリガンは唯一の女神なのか、それとも女神のグループの称号なのか。両者ともイエス。

 このモリガンの大きなパラドックスにようこそ。

 モリガンの「単vs多」のアイデンティティはオンライン上の議論を呼び、自称モリガン女神信者は頭をかくことになった。どちらが正しいのだろうか。モリガンはひとりか、多数か、それとも両方か。最近の女神崇拝はしばしば「硬派」と「軟派」の多神教に二分される。硬派の多神教信者はモリガンを明確な単一女神とみなしがちである。モリガンと関連のあるほかの女神たち(モリガン姉妹と呼ばれることがある)は厳密に独立した存在ということである。ひとつのダイアモンドのカット面がどれもダイアモンドの一部であるように、軟派の多神教信者はモリガン姉妹をひとりの女王の取り換え可能な面として受け入れる。もしわたしがラベルを選ばなければならないとしたら、わたしは自分自身を半硬派多神教信徒と呼ぶだろう。わたしは個人としてのモリガン姉妹に近づくが、ときどき彼らがひとりであるかのように感じる。それはわたしの母と姉妹たちのことを思い出させる。女たちはまったく異なっている。しかし同じ家族だということがわかる。よく似た部分があるからだ。家族が集合したとき、彼らがしゃべったり笑ったりしているなかにも結びつきを感じるだろう。もしかしたらひとりの人間なのではないかと思ってしまう。

 モリガンをひとりの女神として、あるいは数人の女神として、あるいは別の女神との組み合わせとして理解するのは、個々の体験の問題である。どれかがどれかよりまさっていると証明するのは、本書の意図ではなく、またそうすべきではない。つねにわたしはモリガン姉妹を独立した存在として言及してきた。神話というのはときとして、モリガンが単体なのか、集合体なのか、はっきり示さないことがある。わたしたちはできるかぎり推量していかなければならない。神々は謎であり、これまでもいつもそうだった。理解しようとするのは人間の性質だが、なぞを解くのは不必要なことである。魔術は神秘から生まれる。そしてそれは神秘にまた戻っていく。私は神秘を手放したくない。魔術は神秘のなぞ解きをして、世界を魔術のない世界に変えるのではなく、あくまでも神秘を提供する側なのである。

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