ロバート・M・プレース 宮本神酒男訳
オカルティストらによるタロットの発見
私はクール・ドジェブランが、あらかじめ抱いていた期待通りにタロットに関するヴィジョンを見たことに敬意を表する。しかし地上のいかなる事実とそれを結びつけなかったので、彼は空想の息子である幻覚を見ただけなのだと思う。
A・E・ウェイト パピュスの『ボヘミアンのタロット』第3版序文
上述のように、タロットに関するすべてのオカルト理論のはじまりは、たったひとりの男、アントワーヌ・クール・ドジェブランに帰せられる。彼はスイスのプロテスタントのフランス人夫婦のもとに生まれた。1754年に牧師に任命されたあと、彼はフランスに移り、パリに居を構えた。
このときフリーメイソンになり、レ・アミ・ユニ・ロジュ(連帯友愛ロッジ)の上位階級に昇進し、ヴォルテールやベンジャミン・フランクリンが所属していたことで知られるヌフスール・ロジュ(九姉妹ミューズ神ロッジ)のメンバーになった。彼はまたこの頃からオカルト研究に熱を入れるようになった。
1772年、クール・ドジェブランは彼の基本的著作である『原初(プリミティフ)の世界』と題された9巻の百科全書的な大著の注文の広告を出した。彼は千以上の注文を受けたが、そのうち百はフランスの王室からだった。彼は生涯を終えるまでこの労作に取り組むことになった。もっと長生きしていたら、9巻をはるかに上回る巻数の著作になっていただろう。この「原初」という言葉は最初の、あるいはオリジナルの、という意味であり、野蛮とか非文明的という意味ではなかった。
この著作を書くにあたり、その土台に現代文明がはじまる前に黄金時代があったという信仰があった。それは、ひとつの文明は宇宙の本質を真に理解することにより、ひとつの言語、ひとつの宗教で統治されるという信仰である。ドジェブランは、すべての現代哲学と現代宗教はこの根源的な宗教から流れ出たものであり、世界のすべての偉大なる知恵の伝統のなかに深遠な相似性を観察することによって古代の知識の一瞬のきらめきをつかむことができると信じた。これこそウェイトがもっとも素朴なかたちで「永遠の哲学」と呼ぶものだった。
ドジェブランの見方は、時間のはじめに生まれる黄金時代の元型的な神話とよく似ている。時間というのはすべての技術と知識が人類に教えられる時代のことである。この神話のさまざまなバリエーションはほとんどの文明に見られるものだ。
たとえばエジプトでは神アモン・ラーが最初のファラオで、古代の黄金時代に生きたと考えられた。そして4回、神の支配が変わったあと、書記のトート神がファラオとなり、人類に技術と科学を教えた。ギリシア人はトート神を彼らの書記と知恵の神ヘルメスと同一視した。エジプトのトート神の神話は神秘的なヘルメス文書に影響を与えた。それはつまりドジェブランに影響を及ぼしたということだった。彼はしかしそれを神話とみなさず、歴史的事実と信じ、証明しようとした。
自身が編集した百科事典のなかで、クール・ドジェブランは現代文化の神話と言語を解析することによって、また普遍的なパターンを発見することによって、最初の文化の言語と信仰を発見しようとした。著作の大部分は直感的な語源研究にあてられているのである。
表面上、彼の方法は筋が通っていて、有名な心理学者ユングも普遍的なパターンや元型を諸文化のなかに発見をしているのだが、ドジェブランには、神話と歴史を区別せず、学術的というより直感的な推量に頼り、事実をこねあわせて自分の理論にあわせようとする傾向があった。
その結果、彼が書いたものの多くは証明されず、第8巻の365ページから最終巻にかけて載っているタロットに関する2つの短いエッセイをのぞくと、著作はほとんど忘れられてしまった。ドジェブランは最初のエッセイを書き、それから二つ目のエッセイはコント・ド・Mと呼ばれる謎めいた友人によって書かれている。この友人は、メインとペルシェの知事となる、ドジェブランの購読者のひとりである高貴な生まれのフランス人将校、コント・ド・メレと信じられている。