バンコクでセクシーな女にモーテルに連れ込まれる(1987年) 

 バンコクのカオサンロードは名だたるバックパッカーの聖地である。しかし人が集まる場所は、犯罪が集まる場所でもあった。親しくなった日本人青年のゲストハウスの部屋を訪ねると、大麻のにおいが充満していることもあった。こういうのにかぎっていい奴だったりするので、誘惑には気をつけなければならない。
 またあるとき、ゲストハウスに泊っていると、ドアがノックされた。あけると見知らぬアメリカ人っぽい若者ふたりがニコニコ笑みを浮かべながら立っていた。「やあ、じつはこの部屋に忘れ物をしたんだ……」ひとりがそう言うと、こちらの許可を確認しないまま、なかに入ってきた。そしてトイレに入り、シューズをはいたまま便座のふたの上にあがり、つま先だって両手を伸ばし、天井のパネルをはずした。片手を天井の上につっこみごそごそと探している。手がなにかを探し当て、紙包みのようなものをつかんで胸元までもってくると、彼はニンマリと笑った。ガンジャ、つまり大麻である。彼らはすぐ出ていこうとしたが、思い出したかのように立ち止まり、「おまえもすこしいるか?」と親切に(?)聞いてきた。「いや、おれはいらないよ」私が言い終わらないうちに彼らの姿は消えていた。

 こういった個人的犯罪はともかく、旅行者をターゲットとする詐欺的犯罪がはびこっているのもバンコクの特徴のひとつだ。バンコクが魅力的な都市であることは言っておきたいが。貴金属店に連れていって法外な値段で買わせる詐欺商法がはやっていたが、残念ながら(?)私が被害に遭うことはなかったので、やり口等の詳細はわからない。しかし流行していたもうひとつの詐欺的犯罪に巻き込まれることになった。

 朝、私は親しくなった大学生のB君といっしょにカオサンロード近くの大通りを歩いていた。午後2時の便でカトマンズに飛ぶ予定にしていたので、その前のわずかな時間を利用してフアランポーン駅を見に行こうかと話し合っていた。B君がマレー鉄道に乗ろうとしていたのかもしれない。そのときバス停にいる女性から「ハロー」と声をかけられた。妙に色っぽい女性だ。

「わたし、マカオから来ました。バンコクのことはよくわからなくて、いまからホテルに行くんだけど、タクシーをシェアしてもらえないかしら」

 そう英語で話しかけてきた。考えてみればなんだかおかしな言い方である。マカオの人にも見えない。事情はわからないが、タクシーをシェアするだけなら犯罪に巻き込まれる可能性も低そうだということで、フアランポーン駅に行く途中まで彼女が同乗することになった。われわれは歩道の端に立ち、手を挙げると、タクシーが止まった。「フアランポーン駅まで行ってください。この女性はその途中で降りますので」と言うと、運転手はうなずき、ギュンと発進した。話すこともないので、私はぼんやりと外を眺めていた。はじめフアランポーン駅へ向かっているように思われたが、いつのまにか見知らぬ路地を走っていることに気づいた。と思ったら、タクシーはどこかの敷地に入り、黒い幕を押し分けて止まった。

「おい、ここはどこだ」私とB君は顔を見合わせておなじことを言った。

 タクシーの横には扉があった。女性はすでにタクシーから降りて扉をあけ、中に入ろうとしている。私たちもあとにつづいて部屋に入った。このときは知らなかったのだが、それはワンルーム・ワンガレージと呼ばれるタイプのモーテルだった。部屋の中には大きなピンク色のウォーターベッドがあり、内装も一昔前の(つまり現在からすれば典型的な昭和の)ラブホテルのようだった。

 これはやばい、なんかはめられた感じだぞ。でも2時のフライトだから、そもそもエッチなことをしている場合じゃない。しかも女はひとりだ。そうだ、女ひとりに男ふたり。これでいったいどうしろっていうのだ。

「ハーイ」そのとき扉があいて、もうひとり女が入ってきた。

 これで女ふたり、男ふたり。数はそろった。

「隣の部屋もとってあるの」最初の女が言った。ふたつの部屋に分かれましょうということだ。もちろん、意味することはわかっている。

 不幸中の幸いは、最初の女がきれいで色っぽかったのにたいし、新しい女はそうでもなかったという点だ。「おれのほうが年上だから、色っぽいほうがいいな」そう心の中でつぶやいた直後に「いや、まて、なに考えてんだ。いやな予感しかしないぞ。心を鬼にして断るべきだ」私は迷いを吹っ切って、このシチュエーションから抜け出す決心をした。そう話すと、B君も「そうですよね、こんなこと、しにきたんじゃないですよ」

 あとでいろんな人に話を聞くと、シャワーを浴びている間にお金を盗んだり、ジュースに睡眠薬を混ぜたりするのが常套手段らしい。たんなる売春では元が取れない。ともかく心を鬼にしたわれら日本男児は見事難局を乗り切った、はずだった。

 部屋の外のガレージで待っていたタクシーに四人が乗り込んだ。後部座席にB君ともうひとりの女。助手席にわたしとセクシーな女。そう、こんなへんな乗り方をした。いや、わからないでもない。前に1カップル、後ろに1カップルなのだから。疑似カップルとはいえ、カップルには違いない。

 正直、狭いところで体が密着するのは気持ちよかった。彼女のムニュムニュした太ももの感触を味わっていた。あのままモーテルで行けるところまで行ってしまえばよかったのではないか、というよこしまな気持ちがよぎった。ああ、汝、姦淫するなかれ。心に描くだけで立派な姦淫だ。

 フアランポーン駅の近くにタクシーは止まった。日本男児ふたりだけが降りると、タクシーはなんのあとくされもなくブーンと音をたてて去っていった。犯罪者どもの計略は失敗。ざまみろ。つぎの獲物を探さなければならないだろう。駅構内に入り、雑踏のなかを歩きながら、何気なくマネーベルトに手を差しこんだ私は周りの人が振り返るほどの大きな声で「あっ」と叫んだ。あるはずのトラベラーズチェックがなくなっていたのだ。車内で密着していたとき、彼女が抜き取ったにちがいない。なんというプロフェッショナルなわざ! いや感心している場合じゃない。彼女は色仕掛けの詐欺行為だけでなく、スリもできるポリバレントな悪党だったのだ。

 いうまでもなく私はひどく落ち込んだ。しかしフライト時間が近づいていたので、落ち込んでばかりもいられなかった。トラベラーズチェックがなくなったときにまずするべきことは、できるだけ早くトラベラーズチェックの会社に連絡を入れ、換金されないようストップをかけることである。時間を無駄にできない私はシティバンク銀行のバンコク支店を訪ねた。

「女にだましとられたわけですね」

 担当者は三十歳くらいの知的な雰囲気を持つ女性だった。正直、面食らってしまった。臨月の大きなおなかが衣服を突っ張っていたからだ。彼女のおなかが気になって私は集中できなかった。私はハッとわれに返る。

「いえ、だから、すられてしまったのです」

「すられた……そうですか」

 まったく、オトコってしょうもない生きものだわ。彼女の視線はそう語っていた。せっかく色仕掛けに負けなかったのに、下等な人間扱いされるとは……。ともあれ再発行してもらえるのなら、なんと思われようとも耐えることにしよう。

 シティバンクのあとに訪れたのは警察署だった。何かにつけ盗難届が必要になると考えたからだ。こちらの担当者の男性は私の話を信じてくれた。色仕掛けの犯罪も、スリも、バンコクでは珍しくないのだろう。同情してくれたのは、空港までパトカーで送ってくれたことからもわかる。パトカーで空港へ行くなんて、そうそう経験できるものじゃない。しかし空港に着いたとき、時計の針はフライト・タイムの午後2時を指していた。

 便を逃してしまったと思ったが、チェックインできたので、私は急いで搭乗口へ向かった。出発時間を過ぎているのに、搭乗口前には同じ便の乗客がかたまって坐っていた。だれもあわてた様子がない。私を見かけたおネエっぽい日本人(ヘアメイクらしい)が声をかけてきた。「あら、あんた、運がいいわねえ。フライトが2時間遅れているのよ」と教えてくれた。

 パトカーに乗って空港へ行くというのも珍しい話だが(93年に中国雲南省西盟県から昆明まで一泊二日で芸術家(モニュメント製作者)とともに警察車両のパジェロに同乗して帰ったことがあるけど)、大使館からお金を借りるというのも前代未聞かもしれない。バンコクでトラベラーズチェックを盗まれた私は大胆にもカトマンズの大使館からお金を借りている。すぐに再発行されないので、私は両親に頼んでカトマンズにお金を送ってもらうことにした。しかし受け取りはトラベラーズチェックで、かつ一週間くらいだったか時間を要するということだった。

そもそもネパールに来たのはあこがれのエベレストトレッキングをするためだった。雑誌の仕事が多忙を極めていたので、カトマンズで送金が届くのを待っていられなかった。こうして大使館の慈悲によって私はルクラまで小型飛行機で飛び、ベースキャンプまでは行けなかったが、タンボチェまで歩いた。年越しのとき、山小屋の窓に映るエベレストを見ながら私は眠りに着いた。もっとも、数日後、エベレストと思った山影がとなりのローツェであることがわかり(この山も世界第4位の高峰)がっかりしたが。のちにヒマラヤやチベットに多少詳しくなり、じつはエベレストが聖山の序列では最上位でないことを知った。カイラス山(カン・リンポチェ)やツァリ山(ブータンの東、中印国境)、アンニマチェン山(青海省、チベットの区分ではアムド)、ラプチェ山(シシャパンマ山の東)、カンチェンジュンガのほうが上位に来るのである。とはいえエベレスト街道にあるナムチェ・バザール(3400m)がお気に入りの場所になり、またヤクの首につけられた鈴の音がこのとき以来いわば心の郷愁となった。

 タンボチェの近くで私は雪男の頭骨を見ることができた。現在では拝観料500ドルを取っているとのことだが、当時は触ることさえできた。この頭骨はヒグマの一種のようだが、雪男(イェティ)と呼ばれる生きものが存在する(あるいは存在した)のはまちがいないだろう。熊か類人猿か、と論じられてきた。この地域にはヒグマ(チベット語でミデ)もいたし、野人(チベット語でミゴ)もいた。ミデは二本足で立つことから、雪男と見間違われることが多かった。ミゴはもっとも高度の高い森に住む類人猿だという。彼らは塩分を含んだ岩苔を好むため、岩場で目撃された。彼らはヤーデ(岩場の類人猿)、なまってイェティと呼ばれた。

 

 さて、話が脱線したので、もとのバンコクのエピソードに戻したい。モーテル連れ込みから数か月後、ひとりでカオサンロード近くの大通りを歩いていると、女の子から声をかけられた。そう、まったくおなじシチュエーションだ。大きな違いは、二十歳くらいのとてもかわいらしい無垢な感じの女の子だったことだ。「わたしはマレーシアから来たんですけど……」マカオがマレーシアになっている! 

「この子もきっとだまされているんだろう。いや、実家が借金を抱えているのかもしれない」そんなふうに彼女にたいし、同情的になり、「悪い連中から救ってやらねばならない」とまで一瞬考えた。しかしもちろんここでタクシーをシェアすれば、おなじようにモーテル直行となるのである。大通りの遠くのほうにはたしかにタクシーが止まっていた。いつでも通りがかったタクシーのふりをする準備は整っていたのだ。くわばら、くわばら。