(2)19世紀のナイル源流探しの冒険と月の山脈
川の源とはなんと神秘的で、魅力的だろうか。19世紀の探検家たちを冒険に駆り立てたのはナイル川の源流だった。人類の文明の曙であるエジプト文明を何千年も育んできた大河ナイル。その源が、暗黒のアフリカ大陸の中央にあるのは間違いなかった。最初にある程度正確にナイルの源流について言及したのは、紀元1世紀のギリシアの旅行家ディオゲネス(犬儒学派のディオゲネスとは別人)だった。彼は「内陸部を25日間旅し、二つの大きな湖と雪を冠った山脈の近くに到達した。この山脈の二つの源からナイルは流れている」と記した。*紀元前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスは、ナイル川はニジェール川とつながっているという誤った仮説を立てている。
アレクサンドリアのプトレマイオス(83?-168?)は『ゲオグラフィア(地理学)』にディオゲネスの文を引用し、二つの巨大な湖を潤しているのは「月の山脈」(Lunae Montes)だと述べている。到達するのは月のようにほとんど不可能に近いという意味で、月の山脈と名づけたのだろうか。
19世紀の地理学者の大半がアフリカの赤道直下の山の頂に雪があるとは信じていなかった。長い間それが伝説に過ぎなかったのは、年中ほぼ毎日山に雨が降りつづけ、山容が雲か霧に包まれていたからである。ナイルの二つの支流のうち青ナイルの源流は、1615年にイエズス会のポルトガル人宣教師によってタナ湖であることが発見され、1770年、スコットランド人ジェームズ・ブルースによってあらためてそのことが確認された。
問題は、青ナイルよりはるかに長い白ナイルの源流である。1850年代に源流に近づいたのはリチャード・フランシス・バートンとジョン・ハニング・スピークだった。このふたりは、映画『愛と野望のナイル』(1990 現題は、<Mountains of the Moon>、すなわち月の山脈)の主人公である。彼らは元々ともに行動することが多く、1855年にはふたりはソマリアで現地民の集団に襲われている。このときバートンは180センチの槍が左頬から右頬に貫く大けがを負っている。もうひとり探検に参加していたストロ-ヤンは、まるでドラマのワンシーンみたいだが、ピストルの弾が切れた瞬間、惨殺された。*映画の中でバートンとスピークのラブシーンがあり、興ざめしてしまったが、ふたりが恋人同士でもあったという噂は当時からあったようだ。
彼らはナイルの源流を求めて探検をすすめ、1857年、タンガニーカ湖を発見した。しかしバートンが熱病で倒れると、スピークはひとりで探検を続行し、1860年、湖(のちにヴィクトリア湖と命名)を発見した。以後、スピークはヴィクトリア湖を、バートンはタンガニーカ湖をナイルの源として主張し、ふたりの関係は決裂した。バートンはキリマンジャロこそ月の山脈と考えていた。結局、ヴィクトリア湖がナイルの源流として公式に認められることになった。しかしヴィクトリア湖の海抜は1135メートルにすぎなかったので、この湖に流れ込む川の源流こそがナイルの源流ではないかと多くの人が考えていたとしても不思議ではなかった。
1861年、スピークは最高峰が3462メートルのムフンビロ(Mfumbiro)火山群(現在のヴィルンガ山脈)を発見し、この山こそ月の山脈であると主張した。しかしこの山は雪山ではないので、プトレマイオスが記した山とは合致しなかった。
これに先立つ1848年、クラプフとレブマンによってキリマンジャロとケニア山が発見されている。これらの山は月の山脈の候補となったが、「二つの湖」が近くになく、ナイルとも連結していないので、のちに候補から外されている。
月の山脈を「再発見」したのは、現地語でブラ・マトゥリ(岩を砕く男)と呼ばれたヘンリー・モートン・スタンリー(1841-1904)だった。そもそも米国の海外特派員だった彼がアフリカにおける「ナイル源流探索」に加わったのは、消息不明になっていたリヴィングストンを探すよう要請されたからだった。1871年に、彼はアラブ人の奴隷貿易の拠点として知られるタンガニーカ湖畔のウジジで、やせ衰えたリヴィングストンを見つけた。さらにスタンリーは1875年、アルバート湖の南にエドワード湖とジョージ湖も発見している。翌年1876年、スタンリーはルウェンゾリの東麓にキャンプし、地元の人々からこの上に白く輝く高山があると聞かされたのだが、本気にとらえることはなかった。そして1889年、ようやく彼は月の山脈、ルウェンゾリ山脈(雨を運ぶ場所という意味)を「発見」している。じつはこの年の4月20日に先遣隊が発見し、一か月後にスタンリーが確認したのである。厳密に言えば、1876年4月、エドワード湖近くでスタンリー探検隊の従者であるフランク・ポコックがルウェンゾリと思われる雪山を見ていた。
世紀が変わる頃にようやく「月の山脈」への登頂が現実味を帯びてくる。1905年11月、ダグラス・フレッシュフィールド、A・L・マム、(ガイドの)モリッツ・ブリネンらはモブク渓谷の最上部にたどりついたが、積雪ライン(私が行った頃は海抜4200メートルだった)まであと一息のところで登頂を断念した。翌年のはじめには、英国博物館の調査チームがルウェンゾリの植物相・動物相調査のためにモブク渓谷に数週間滞在した。このときA・F・ウォラストンとH・B・ウーズナムは5千メートル級の峰に登頂している。
そしてこの年、1906年、イタリアの登山家ルイジ・ディ・サヴォイアがついにルウェンゾリ山脈の最高峰マルゲリータ峰に到達する。*『種族』の著者トム・ステイシーによれば、ルーウェンゾリ(Ruwenzori)あるいは東アフリカの言い方ルウェンゾリ(Rwenzori)の本来の名称はルウェンゾルル(Rwenzoruru)であり、地域名でもあった。ルウェンゾルル王国は、大英帝国と結託したトロ王国から独立しようと長い間戦ってきた。
厳密な地理学の観点から見れば、ヴィクトリア湖に注ぎ込むあまたの川の源流のひとつがナイルの源流だろう。そのひとつカゲラ川源流こそナイルの源流であると自身の著作(1894年刊)で最初に主張したのは、オーストリア人探検家オスカル・バウマン(1864-1899)だった。源流はタンガニーカ湖北東のミッソシ・ヤ・ムウェシ山脈(月の山脈という意味)にあるとした。そのあたりの地域はチャロ・チャ・ムウェシ(月の地)、人々はムワナ・ヤ・ムウェシ(月の人々)と呼ばれるという。この説は、バウマンが35歳の若さで病死したためか、その後立ち消えになった。しかしカゲラ川源流説はいまもなお最有力である。
カゲラ川をたどって、ドイツ人探検家リヒャエル・カント(Richard Kandt 1867-1918)が1898年に発見したのが、ミッソシ・ヤ・ムウェシより北方に位置するルワンダ南西部のニュングウェの森の水源だった。
2006年、英国・ニュージーランドのチームがこのニュングウェ森林公園のなかにあらたに源流を発見している。この様子を映したドキュメンタリー番組はBBCで放映された。しかし最近の報道によると、早大探検部がこの源流は分水嶺の西側にあると指摘し(つまりコンゴ川に流れ込む)、分水嶺の東側に源流を発見している。
しかし現在に至るまで最有力とされるのは、カゲラ川の支流のひとつであるブルンジ・ブルリ県のルヴィロンザ川の源流である。ニュングウェ森林公園より南西に位置するルヴィロンザ川は、ルルブ川を経てカゲラ川に流れ込み、ヴィクトリア湖に注ぎ込んでいる。長さでいえば、こちらに分があるように思われる。
地理学的にはヴィクトリア湖に注ぎ込む川のもっとも遠い源がナイル源流ということになるが、ロマン的見地からすれば、それは依然として月の山脈、ルウェンゾリである。なにしろ、ここには信じられないほど水が集まってくる。長年人の目に触れてこなかったのは、この山がいつも雲に覆われていたからだった。言葉をかえれば、いつも雨が降っているということだった。ナイル川の水のうち何パーセントがルウェンゾリ由来か、明確に言うことはできないが、かなりの分量を担っていることはまちがいないだろう。地理学会が認めないにしても、真のナイル川源流はルウェンゾリであると、シロウトの私は考えた。少なくとも、19世紀の探検の時代の影の主役だと主張することくらいは許されるだろう。
それにルウェンゾリには文化がある。正確に言えば、この地域に住むバコンジョ族の神話や伝説、民俗、風習などがあるということだ。伝説によれば、彼らの祖先はルウェンゾリ山の洞窟のひとつからやってきたという。なにか<洞窟=子宮>みたいな心理学者が喜びそうな創世神話である。この神話の類似性から彼らはウガンダ東部のエルゴン山(4321メートル)に住むバギス族の親類と考えられる。さらにはもっと東のケニアのブクス族とも近いとされている。彼らは高い山の麓に住む民族なのだ。
バコンジョ族はルウェンゾリの高いところまで登ろうとはしない。実際、私のガイドやポーターは破れたシューズやサンダルを履いている始末で、雪の線まで行こうという意思すら持っていない。 山の頂あたりは神々の聖域なのだ。最高神は「けっして登らない神」キタサンバ(Kitasamba)である。なぜ登らないかといえば、この神が最高所にいるからにほかならない。キタサンバの妻はムブラネネ(Mbulanene)、すなわち大雨。妹は女性の出産を守り、子孫を増やす女神ニャビブヤだ。そして重要な神として、黒い蛇神エンディオカ。この神は男女に不毛をもたらすなど、黒魔術を得意とする。すべての野獣の使い手である狩猟神のカリサ(Kalisa)も重要だ。この神は目ひとつ、足ひとつ、手ひとつの姿を持ち、パイプ煙草と生肉を愛する。避難小屋のようなカリサのための祭祀小屋があり、バコンジョ族の狩人はマトケ(鶏肉など)をいけにえとして捧げる。このように現地民は独自の文化・伝統を持っているのである。
宮本神酒男