シーサンパンナの亜熱帯雨林で象探し。数百万匹の蜘蛛がうごめく不気味な谷にキャンプ (1992年)
宮本神酒男
(1)象探し
ぼくたち三人の象探しの旅がはじまった。
という書き出しではじまると、まるで少年冒険物語の冒頭のようだ。三人というのは私といかにもカリフォルニア人といったあごひげのアメリカ人ウォルター、見かけは生真面目な白人そのもののイスラエル人アランだ。アランが二十代で、残る二人は三十代そこそこだった。意気投合したわれわれはしばらくの間、シーサンパンナでいっしょに過ごした。
シーサンパンナには二百頭以上の野生の象がいると私は聞き知っていた。上述のようにシーサンパンナはもともと八百年近くつづいたシップソーンパンナー王国の一部であり、宮廷は屈強の象の軍隊を持っていた。野生の象も本来は軍隊の乗り物だったのだ。木材運搬などにも使われていたかもしれない。手元の資料にも「車里宣慰使(国王)が象に乗って出行する場面」という写真がある。記録(『車里宣慰世系簡史』)を見ると、第十六代国王刀壩羨(とう・はせん
在位1432-1457)のときに明朝に七度、象(6頭)のほか馬、金銀の器、象牙、犀の角、香蝋などを献上している。つぎの国王刀三宝勒傣(在位1458-1490)のときも同様の品目を明朝に献上している。象は古くからシーサンパンナの特産品だった。
言い出しっぺは私だった。私たちはシーサンパンナにいた。そのシーサンパンナの森の中に野生の象がいるのなら、森に行って象に会わない手はない、そう私は考え、象探索を提案した。ウォルターもアランも目を輝かせて「それは面白そうだな」と口をそろえて言った。
私はテントやガスストーブなどアウトドア・キャンプ用品を持ちマウンテンバイクに乗って、ほかの二人は(レンタサイクルではなく近所の人から)借りた人民自転車に乗って、景洪から山を越えて勐養(モンヤン)へ、さらに山の上のほうまで自転車をこいで森の入り口にたどりついた。緑濃く茂る深い森を見ると、すぐそこに野生の象がいるように思われた。森に入ってしばらく行くと道はなくなり、倒木を越えたり、落ち葉に覆われた斜面を這い上ったり、湿っぽい草地を歩いたりした。いつのまにか三人は別々に好き勝手に歩いていた。どこか遠いところから「見つけたぞ!」と叫ぶ声が聞こえた。ウォルターだ。駆けつけると、アランも息を弾ませながら姿を現した。ウォルターの足元には暗緑色の巨大な糞があった。
「これは象の糞だろう。こんな大きな糞見たことないぞ」
「そうだな」アランが同調した。「こんな巨大な糞、水牛か象だな」
三人は顔を見合わせた。水牛の可能性もあるのだろうか。
「水牛がこんな森の奥まで来るか?」私はつぶやいた。
「象の糞はイメージほどには大きくないって聞いたことあるぞ」とアラン。
私は数日前の景洪のタイ族レストラン街でのことを思い出していた。知り合った民族衣装を着た自称タイ族の女の子(なぜ自称と書くかといえば、打洛村出身と言っていたが、ここはプーラン族の村だからだ)と星の輝く夜、二人でレストラン街の通りを歩いていた。彼女はすがるような目つきで言った。
「私を日本に連れてって」
「そんな急に言われても……」
「中国から外に連れてって」
「そりゃそうしたいけど……」
「雲南から外に連れてって」
「……」
「どこでもいいから連れてって」
そのとき彼女は足を滑らせ、よろけた。そこに信じられないほど巨大な水牛の糞が落ちていたからだ。空気が微妙に変わった。ロマンチックな雰囲気が消し飛んだ。私は冷静になり、この女の子は現状を打破したいと考え、誰彼かまわずに外国人の男に声をかけているのだろうと推測した。
脳裏にこのときの糞が浮かんでいた。そう、驚くほど巨大な糞をするのは象ではなく、水牛だった。森の奥に水牛が入ることもあるだろう。茂みを抜けたところに水田があるかもしれない。
こうして何時間か象の痕跡を探したが、なにも得られなかった。あとで知ることになるのだが、象の群れはこのあたりにいなかった。ここから20キロ以上も離れた思茅地区(現在はプーアル地区に改称。プーアル茶の原産地として有名になったからだろう)との境界に近いシーサンパンナ州北西部に棲息していた。何年かに一度、象が地元住民を襲い、何人かを殺したというニュースが出ていた。思った以上にシーサンパンナ象は野生化していたのだ。いま地図を見るとわれわれが象を探した森のあたりが野象谷という観光地になっている。90年代はじめはヤンヤンという小象しかいなかったけれど、多くの野象を集めてサファリパークの象版を作ったのだろう。これらの象がもともとシップソーンパンナー王国の軍隊において戦車のような役割を持っていたことを中国人観光客のどれだけが知っているだろうか。
日が暮れたので、森の中にキャンプすることにした。木々の間を抜けると草が生えているだけの小さな谷間があった。
「ここにテントを設営しよう」
私は近くの泉で水を汲み、コールマンのガスストーブに火をつけてアルミ鍋でお湯をわかした。入れ子式になっていて、一番大きなアルミの器を鍋として使い、ほかの器は茶碗がわりに使うことができた。こうしてわれわれは紅茶を飲み、ラーメンを食べた。そしてあとはテントに入って寝るだけというとき、なにかがおかしいことに気づいた。
「なにか聞こえないか」私が沈黙を破った。
「たしかに。かすかだが、聞こえる」とウォルター。
「谷間全体から聞こえてくるようだ」とアラン。
「蜘蛛じゃないか? 蜘蛛がたくさんいるぞ」
「ほんとだ。ウヨウヨいるぞ。蜘蛛だらけだ」
「蜘蛛一匹が動いても音はしないが、これだけたくさんいると、全体的に大きな音になるんだ」
いったい何千匹、何万匹、いや何十万匹いるのだろうか。顔を寄せて蜘蛛を見ると、アメンボみたいに体が小さく、足が細くて長いタイプだ。長さは2センチから3センチほど。何匹かに一匹は鮮やかな橙色のタンクを体につけていた。これは卵だろうか、それとも毒タンクなのだろうか。蜘蛛が一匹足を動かしても、日頃家の中にいる蜘蛛と同様、音はしなかった。しかし蜘蛛が何万匹も集まると、サワサワといった感じの音になるのだ。白波が湖面上を伝っていくように、蜘蛛の動く音がかたまりになり、さざ波となって谷間全体に広がっていった。
われわれはテントの中に入りジッパーを閉めようとしたが、つぎつぎと蜘蛛が侵入してきてしまうので、いちいちツメではじかなければならなかった。だれも刺されなかったので、毒蜘蛛ではなかったのだろう。無数の蜘蛛がうごめくなかでキャンプするのは奇妙な体験だった。蜘蛛の世界は蜘蛛の世界でパニックが起きていたかもしれないけれど。