(2)ちょっぴり心痛い高床式家屋泊まり体験 

 われわれは象探しとは逆の方向へ自転車に乗って旅をした。車がぎりぎり通れるくらいの未舗装の道を上がっていくと、道端の「鳥居」の前を歩いている幼子ふたりを連れた若夫婦と会った。挨拶をかわしたあと、私は「あなたがたは何族なのでしょうか」とたずねた。

「ムッソーです」やさしそうな夫は自信たっぷりにそうこたえた。

 タイ北部の山の中でならムッソーという言葉を聞いたことがあった。リッソー(リス族)と対をなした言い方で、ラフ族を指す言葉である。中国内では聞いたことがなかった。ムッソーはあきらかにモソ蛮から来ていて、おもにナシ族のことを指していた。ナシ族やラフ族は唐代の頃の麽些(モソ)から分かれてきたのだろう。

 「鳥居」は寨門、すなわち村の入り口を示す門だった。この枝道の先に集落があるのだろう。道があるとその道をたどりたくなる、というのは私の性分だ。仲間のふたり、ウォルターとアランも興味津々という目をしていた。気圧されたようにラフ族の若い夫は言った。

「どうですか、うちに来ませんか」

 雑木林の中にくたびれた感じの茅葺の高床式家屋があった。屋根の横の「ベランダ」にはわらびが干してあった。シーサンパンナの亜熱帯雨林の森の中を歩くと、突然開けたところに出て、あたりが森林火災のあとのように焦げていることがある。山焼きをしたのである。焼いたあと最初に芽を出すのがわらびだった。わらびと焼き畑農業には、切っても切れない関係があった。

 足元を数羽のニワトリが「コッコッ」と鳴きながら勢いよく駆け抜けた。若い夫はニワトリを指しながら「どうです、ニワトリを食べますか。おいしいですよ」と言った。

 私たちは顔を見合わせた。平均的な中国人なら「新鮮なニワトリ」を見て舌鼓を打つだろう。しかし私たちからすれば、元気よく走り回るニワトリを殺して食べたいとは思わなかった。客をもてなすときの最高のごちそうなのだろうけど、逆に言えば、それほど豊かでなさそうな家族の食糧備蓄を減らすことになりそうだった。

「ありがとう。でも遠慮します」と私が代表して夫に告げた。

 私たちは家の中に通され、小さな円卓のまわりにすわった。まめな性分の夫は今度は数本の立派な葉に覆われたタケノコを卓の上に置き、「タケノコはどうですか」ときいてきた。これを断るのはかえって失礼かと思い、私は軽い気持ちで「じゃあお願いします」とこたえた。

 20分後に塩ゆでされたタケノコが出された。私は小さい頃タケノコが苦手だったのだけれど、このときを境にタケノコのよさがわかるようになった。私たちはホクホクしながら、皮をむきつつタケノコにかじりついた。ニワトリでなくても十分にごちそうではないか、と私は心の中で称賛した。

 そうこうするうちに日が暮れてきてしまったので、私たちは言葉に甘えて泊まっていくことにした。言うまでもないことだが、出ていくときにはそれなりの謝礼をすることになる。それを期待しての招待であったかと思う。

 部屋の隅で寝袋に入って休もうとしていたとき、円卓に集まってきた家族(夫婦と子供二人以外に年配者が2、3人いた)の様子を薄目でうかがうと、どうやらスープを飲んでいるらしかった。よく見ると、スープの中に入っていたのはタケノコの皮だった。タケノコの身は私たちが食べ、残り滓は彼らが食べていたのである。ウォルターとアランも気づいていただろう。翌朝このラフ族の家を出たあと、しばらくは言葉が出なかった。タケノコなんて安いもの、と思っていたが、彼らにとっては貴重なその日のメインディッシュだったのだ。一日の食事を奪ってしまったが、私たちの置いていったお金で喜んでもらっていることを切に願う。