ジョカン寺(ラサ)の起源 宮本神酒男 

*ジョカン寺院の起源に関しすべて解明されているわけではないが、伝説や伝承、歴史資料をもとに再構成していきたい。まず7世紀中頃、ネパール王妃チスン(あるいはブルクティ)から献上されたアクショーブヤ仏(阿閦仏、不動金剛身仏 チベット語でミキュドルジェ)を収めるための建物を、ソンツェン・ガンポ王が建てた。これがジョカン寺院のはじまりであり、当時はトゥルナン寺院と呼ばれた。

 のちに文成公主がやってきて、ジョウォ釈迦牟尼像が献上されると、それはラモチェ寺院に収められたが、そのあとトゥルナン寺院に移された。一方でアクショーブヤ仏がラモチェに移された。ラモチェ寺院は、文成公主とともにやってきた唐の職人たちによって建てられたものだった。ジョカン寺院は王妃チスンのためにネパール人が建てたものだった。

 ジョウォ釈迦牟尼像は、そもそもベンガル王から唐皇帝太宗(文成公主のお父さん)に贈られたものである。チベット人の伝説によればこの仏像はブッダの時代、天界の芸術家ヴィシュヴァカルマンが彫ったものだという。

 チスン王妃は実在を疑われてもいるが、伝承によれば女神のような霊的な能力を持っている。彼女は(天界から俯瞰した)チベットに仰向けになっている羅刹女(シンモ)の姿を見た。その羅刹女の心臓に当たる場所に湖があった。聖なるヤギによって土が運ばれ、この湖は埋められた。この埋め立て地に建てられたのがトゥルナン(ジョカン)だった。また羅刹女のお尻の部分(二つ)と肩(二つ)の計四か所にも寺院が建てられた。

●手足の鎮肢寺院(ルノン・ツクラカン)は以下の四座。
カムのロンタン・ドルマ寺 
バのドケチュ寺 
ツェリクのシェラブ・ドルマ寺 
ツァンパのルンロン寺 

●肩と臀部の鎮肢寺院(タドゥル・ツクラカン)は以下の四座。
ユンルのタンドゥク寺 
イェルのザンダム寺 
ブルのカツェ寺 
ルラのドゥンパギャン寺 

●肘と膝の鎮肢寺院(ヤンドゥ・ツクラカン)は以下の四座。
コンポのブチュ寺 
ロダクのコンティン寺 
チャムのティンゲギェ寺 
ジャンのタドゥムツェ寺   

 別の伝承によれば羅刹女を見たのは文成公主本人である。640年、公主はジョウォ釈迦牟尼像とともに御輿に乗ってラサにやってきた。しかし道が悪くて御輿が動かなくなった。この不吉なできごとはなぜ起きたのだろうかと公主は考え、占ってみることにした。その結果チベット全体に羅刹女が仰向けにたおれていることがわかった。そしてラサの乳の草原は羅刹女の心臓だった。