狂犬病の犬に噛まれる 1994年) 

宮本神酒男 

 

(1)狂犬もどきの犬に導かれ、秘密の儀礼を目撃 

 狂犬病の犬に噛まれる前、狂犬病疑惑の犬になつかれたことがある。ラサから東に40キロのところにチベット仏教ゲルク派の大僧院、ガンデン寺がある。私はY君といっしょにガンデン寺を参詣したあと外に出ると、犬が近づいてきた。ギョッとした。なぜなら犬の目が真っ赤で牙をむき出し、よだれを垂らしていたからだ。

「狂犬かな」

「どう見ても狂犬だな。狂犬病の致死率、すごく高いって話だよね」

しかしそんな見た目にもかかわらず、犬はおとなしかった。凶暴でもなければ、敵対的でもなかった。もしかすると狂犬病に感染しているけれど、まだ発病していない犬なのだろうか。小説『ドラキュラ』中のドラキュラに吸血されたが吸血鬼になっていないミナ・ハーカーみたいなものなのか。

 犬はあきらかにわれわれをどこかへ案内しようとしていた。犬のしっぽについて丘を上がっていくと、鳥葬場らしき岩だらけの場所に出た。そこには数人の人がいて、何か秘密の儀礼のようなものをやっていたので、われわれはあわてて岩陰に隠れた。正直、隠れるべきなのか、出ていって「ハ~イ」と挨拶すべきなのかわからなかったが、こっそりと様子を見てどうするか決めようと思ったのである。犬はもうどこかに姿を消してしまっていた。

 取り仕切っているのは、いわば「チベットの呪術師」だった。赤い袈裟のようなものを着ているが、剃髪はしていなかった。チベット仏教ニンマ派のンガクパ(sngags pa)かポン教のポンポだろう。六、七人の男女の参加者は年齢もさまざまで、小学生くらいの子供も含まれる。ひとりひとり地べたに仰向けになり、ンガクパは短剣(プルバだろう)でおなかを切るしぐさをし、内臓を上空の方向へ献上する。これは内臓を神か悪魔に捧げているのだろうか。

 おそらく儀礼の最後の部分だったのだろう。これで儀礼は終了し、参加者はみな立ち去った。そのまま寺院(ガンデン寺)と反対側に丘の下まで駆け降りることができるのだ。今になって考えると、もう少しよく観察すべきであったし、当事者に聞いてみるべきだった。そのうちこれが何の儀礼かわかるだろうと高を括っていたが、いまだによくわからない。

 自分の体を魔物や神に捧げる(施身)という意味ではチュウ(gchod 断)の実践が思い浮かぶ。チュウは11世紀の女性修行者マチク・ラプドゥンにはじまり、ニンマ派やカギュ派、ポン教に受け継がれてきた行である。

「大腿骨で作られたラッパを吹きながら、彼(chod pa チュウを実践する人)はすべての精霊を饗宴に呼ぶ。太鼓を打ち、鈴を鳴らし、彼(チュウパ)は空(くう)と現象の不二の状態のなかにとどまる」(アレハンドロ・チャオウル『ポン教におけるチュウの実践』)

「瞑想状態のなかで、彼(チュウパ)は(精霊がつどう)死体である体から、女神、すなわちダーキニー(チベット語でカンドロ)である意識を駆逐する」(同上)

「女神は頭蓋を切り、死体をこまかく断ち切る、ドクロに肉体と血と骨を入れながら。ドクロは大釜になる」(同上) 

「小さな火で熱すると、肉体、血、骨は甘露になる。それは覚醒した者、あるいは覚醒していない者の望みを満たす」(同上) 

「これらは白い饗宴と呼ばれる。一方赤い饗宴では、より肉食的な精霊に生の肉体、血、骨が供される。それは動物犠牲やチベットの鳥葬の習慣を彷彿とさせる。鳥葬において死体は細かく刻まれ、ハゲワシに食い尽くされる」

 私が目撃したのは、チュウそのものではない。チュウは行であり、個人の修練法なのである。しかしわが身を精霊に捧げるという共通するコンセプトがある。儀礼に参加している人々はあきらかにひとつの家族である。なんらかの原因があって(たとえば災難が降りかかって)家族が「お祓い」を欲したのかもしれない。家族の二、三人がたてつづけに交通事故に遭ったとしたら、「お祓い」を受けたくなるのは当然だ。そこでチュウパに儀礼をしてもらったのかもしれない。

 ただしチュウもまたヒンドゥー密教に起源を持つ秘法の一つともも言える。憤怒神に捧げものをする儀礼はけっして珍しくない。この場合の憤怒神は(仏教の場合)チャクラサンバラやヴァジュラバイラヴァ、ハヤグリーヴァなどである。