我的故事 

ワ族の地域へ。かつて首狩りをした老人と会う 

 

 仲秋の頃、西盟県市街地の集合住宅を訪ねたとき、中庭にひとりの老人が小さな床几に坐っていた。93歳という。老人はか細いながら、芯のある声で語りだした。

「わしゃ年とって、今じゃ耳は聞こえんし、目も見えん。じゃがの、昔は7人の首を斬ったもんじゃ」

 予想しない言葉を聞いて、私は唖然とした。首を斬るのは勇敢な行為とみなされていたのだ。

 かつて、日照りが続いて農作物の出来が悪いと、人々は天神が怒っていると考え、神をなだめるため、捧げものとしての首を狩った。このとき選ばれた勇者(二人組)が近隣の村にターゲットを探しに行く。殺されるのは奴隷の少女であることが多かった。持ち帰った首は各家に準繰りで飾られ、二週間、儀式が行われ、歌や踊りが奉納された。

 首狩りの習俗は1940年代後半まで残っていた。50年代はじめに現地に入った中国の文化人類学者は恐怖を感じたと伝え聞く。彼らは他のモン・クメール語族と違い、仏教徒ではなかった。そのため逆に共産主義が入り込む余地があったのかもしれない。ミャンマーの首狩り族といえば、インドとミャンマーにまたがって分布するナガ族が挙げられるが、彼らは共産主義でなく、キリスト教(カトリック)によって啓蒙された。

首狩り族は共産主義によって、あるいはキリスト教によっていかにそれまで野蛮であったかを思い知らされ、普通の人々以上に熱心な共産主義者やキリスト教徒(カトリック)に転じるのである。

 ミャンマー側のワ族は民族まるごと共産主義者になった。ビルマ共産党軍の兵士の3分の2はワ族で占められた。残りの3分の1はカチン族、コーカン族(華人)、シャン族、ラフ族、アカ族などだった。