第14章 山の神々 レネ・デ・ネベスキ=ヴォイコヴィツ
(上)
これまでの章で我々は多くの神々や女神と出会い、論じてきた。雪国(チベット)の山々の頂に住むそれらは、ジグテンペ・スンマ(’jig rten pa’i srung ma 世間護法神)に含まれる。
つぎの神々について言及した。
ヤクシャ(夜叉)ガンワサンポ(yaksa Gang ba bzang po)。ギャンツェ近くのノジン(夜叉)ガンサン山(gNod sbyin gang bzang)に住む。
ツェリン・チェンガ(Tshe ring mched lnga 長寿五姉妹)はラチガン(La phyi gangs)の丘に住む。
12のテンマ神(bsTan ma)。このほとんどは山の女神。
ゲニェン(在家、ウパーサカ)チンカルワ(dge bsnyen Phying
dkar ba)は山神マチェン・ポムラ(rMa chen spom ra)の化身といわれる。
その他もろもろ。
チベットで山の神や女神が住んでいない山頂を探すほうが難しいほどだ。この章では主要な神々について論じ、その他のマイナーな山神については地方の守護神についての章でまた述べたい。
チベット研究の論文を見ると、主要な神として4つの山神がしばしば挙げられる。
ヤルラ・シャムポ(Yar lha sham po)。東方に住まう。
クラカリ(sKu la mkha’ ri)。南方に住まう。
ノジン・ガンサン(gNod sbyin gangs bzang)。あきらかにノジン・ガンワサンポと同一。西方に住まう。
ニェンチェン・タンラ(gNyan chen thang lha)。
ヤルラ・シャムポはまたシペララブ・ヤルラ・シャムポ(srid pa’i lha
rabs Yar lha sham po)あるいは単純に、ララブ・シャムポ(lHa rabs shams po)と呼ばれる。奇妙なことにテクスト6(34b)によると、ヤルラ・シャムポと山神ノジン・ガンワサンポは同一である。
おそらくこのことはつぎのように解釈されるべきである。すなわち後者はヤルラ・シャムポの化身である、あるいはその逆であると。山神ヤルラ・シャムポの住まいはヤルルン谷(Yar lung、Yar klungs)のヤルラ・シャムポ山である。
チベットの最初の伝説的な王はこの神格化された山の麓で生活していたという。それゆえこの神聖なる支配者はブジェイラ(Bod rje’i lha)すなわちチベットの主の神と呼ばれるのである。
ヤルラ・シャムポは、ヤルルン谷のすべてのユラ(yul lha)とサダク(sa bdag)の首領と考えられている。パドマサンバヴァ伝によると、ヤルラ・シャムポはこの聖人(パドマサンバヴァ)の行く手をはばもうとし、結局はダルマパーラ(dharmapalas)に変じたチベット土着の神のひとつである。
彼はパドマサンバヴァの前に、大きな白いヤクの姿で現れた。その鼻づらからは吹雪が吹いていた。サーダナ(密教修法儀軌)は法螺貝のように白く、白い衣に覆われた人間の体を持つ神としてそれを描く。ヤルラ・シャムポの主な持ち物は白絹の旗がはためく短い槍と水晶の剣だった。山腹のように大きな白いラヤク(lha g-yag 聖なるヤク)に乗り、その鼻からは吹雪が吹いていた。ナム・メン・トゥギ・ブユク(gnam sman天薬 Thog gi bu yug)は彼のマハーシャクティ(大いなる霊力)だった。そして何億のも神の部隊が彼の指揮下にあった。またシャムポ・サドゥゴグ(Sham po gza’ bdud mgo dgu)もあきらかに関連があるが、残念なことに資料が欠落している。
上に示したように、南方に居住するのはクラカリである。それはロカ(Lhoka)地方の山の人格化であり、ゲニェン(居士、ウパーサカ)クラハリ(Ku la ha
ri)ともプラハリ(Phu la ha ri)とも呼ばれる。彼はケサル王の化身と信じられている。彼との関係でマサン(ma sangs)という呼称がよく使われるが、それについてはこの章の終わりに論じたい。
クラカリは宝石と水晶でできた宮殿に住んでいるといわれる。サーダナ)密教修法儀軌)は彼を、ヘルメットをかぶり、絹で一部覆われた水晶の帯をつけた白衣の男として描く。右手には絹の旗がついた短い槍を、左手には狼の頭骨をもつ。彼はズィ(縞瑪瑙)のような目をもつ白馬に乗る。この馬は空を飛ぶことができた。クラカリは盾と武器を持った十万の巨人を従えていた。
彼のシャクティ(妃)はチャンモ・シェーサ(lCam mo shel bza’)で、トルコ石でできた鹿に乗っていた。彼女は宝石で飾られ、白い混血のヤクを引いている。この山神はテクスト第6で述べられる山神クラカリ・センゴンパ(Ku la mkha’ ri ze sngon)と同一のようである。
ノジン(夜叉)ガンワサンポの位置は、この章のはじめに西方を当てたが、ナムトセ(rNam
thos sras 多聞、毘沙門)の仲間について論じたきに詳しく述べたとおりである。それらは青色の山神であり、剣と黒旗を帯びている。
4番目に言及されるニェンチェン・タンラは、おそらくチベットでもっとも人気のある山神である。それはニンマ派によってジグテンペ・スンマ(世間護法神)に分類され、またもっとも重要な神とされる。
ニェンチェン・タンラ、別名タンラ・ヤルシュル(Thang lha yas shur)、タンラ・ヤブシュル(Thang lha yab shur)、あるいはヤルシュル・ニェンギラ(Yar
shur gnyan gyi lha)は、チベット北部の無人地帯を何百キロにも渡って貫く大ニェンチェン・タンラ山脈の神域の支配者だった。この神は、たとえ首領格でないにしても、セルダク・チョギェ(Ser bdag bco brgyad)すなわち「雹を起こす18人」のメンバーのひとりだった。
彼はまた、パドマサンバヴァのチベットにおける使命に抵抗した神のひとりだった。しかし彼は戦いに負け、それ以来仏法の守護者になったのである。一部のチベット人が主張するところによれば、第一に、チャグナ・ドルジェ(Phyag na rdo rje サンスクリットでヴァジュラ・パーニ)のもと、天界で仏教を守護する誓いをたてた。第二に、サムエ寺近くのヘポリ山(Has po ri)で、パドマ・ヘールカ(Padma Heruka)のもと、誓いがたてられた。第三に、サムエ寺の頂上で、すなわち神や精霊が集まる場所で、イダム(yi dam 守護霊)のドルジェ・ションヌ(rDo rje gshon nu)にたいし、誓いをたてた。そして最後にパドマサンバヴァによって厳格な誓いがたてられた。
ほかでもないパドマサンバヴァ自身によって、ときには上記の神格になりながら、その命令のもと、ニェンチェン・タンラは守護神となったのである。テクスト78番はつぎのように言う。
「ニェンチェン・タンラはチャグナ・ドルジェの化身である。未開のチベットを師のパドマサンバヴァが旅をしたとき、チベットのラ(神)やラークシャサス(羅刹)は師の行く手をさえぎろうとした。タンラ・ヤブシュルは師の上に雪を降らし、足元に吹雪を吹きかけ、そして霧を放って師が先に進めないようにした。怒った師のパドマサンバヴァは、チャグナ・ドルジェの上に坐り、瞑想をはじめた。これを見たすべてのラとラークシャサスは恐れおののき、師に降伏した。こうしてタンラ・ヤブシュルは永遠に、誓いをたてることになったのである」
ニェンチェン・タンラはまた、ポタラ宮が建てられたマルポリの丘の守護神とみなされる。とはいえ、この信仰は最近のものにすぎず、もともとこの丘には古代より地元のマイナーな神が座していたと考えられている。マルポリの頂上にはラツェ(la rtse)があり、尊敬を集めていた。のちにポタラ宮が建てられたときは、とくにそれのための部屋が内部に作られたという。大きな宗教的儀礼が行われるとき、ポタラ宮の内部は訪問者に開放される。その部屋の扉もあけられ、タルチョ(旗)と槍で飾られた古いラツェをわれわれも見ることができるのだ。
山神ニェンチェン・タンラはまた、宝の守護者と信じられている。それゆえテルダク・ニェンチェン・タンラ(gter bdag gNyan chen thang lha)と呼ばれることがある。テクスト117番にはニェンチェン・タンラを呼ぶ頌が書いてある。チベットのほかのテクストにも多数記されているのだ。この山神の外観と登場に関してつぎのように描かれる。
私はあなたの父を呼ぶ
ウーデ・グンギャル(Od
de gung rgyal)
私はあなたの母を呼ぶ
ユジャ・ショチク(gYu
bya gshog gcig)
私はおのれ自身を呼ぶ
ヤルシュル・ニェンギラ(Yar
zhur gnyan gyi lha)
私はあなたのお住まいになる場所の名を、敬意をこめて言及する
ダムショ・ナルモ(’Dam
shod snar mo)
トルコ石色の鷲がその上をはばたく
ここは喜びに満ちた場所
冬でさえ春の緑にあふれている
この神がいますのは幸せに満ちた国
私はその名を口にする
神(lha)に知られるあなたの名を
ガンダルヴァの王(dri
za’i rgyal po 尋香)、
スルプ・ンガパ(Zur
phud lnga pa 五髻者)
私はあなたの秘密の名を口にする
ドルジェ・バルワツェー(rDo
rje ’bar ba rtsal)
あなたは何を着ているのか
白い絹と白い木綿の衣を着ている
あなたは何に乗っているのか、もし乗っているのなら
あなたは白い蹄の神(lha)の馬に乗っている
あなたは三界を闊歩する
白く燦々と輝きながら
あなたは右手にもつ錫杖を持ち上げ
左手で水晶の数珠を数えている
あなたは瞑想の姿勢に入る
するとあなたの化身が生まれでる
十万もの馬に乗った者たちがあらわれる
彼らはあなたの従者に加わり、隊列を作る
今日はここにおいて任務をはたされることを願う
この文に、われわれはテクスト77番を付け加えるべきだろう。すなわちそのなかにおいてニェンチェン・タンラは360の臣下の首領なのである。それらはニェンチェン・タンラ山脈の360の山頂を表わしているのだと多くの人は考える。
しかしながらニェンチェン・タンラには、少なくともほかに3つの姿があった。そのひとつは、仏法をおびやかす危険を排除するために、急いで十方世界を形成する前の姿である。それはシペ・ラチェン・ニェンギツォ(srid pai lha chen gnyan gyi gtso)と名付けられ、神は白いターバンをかぶり、白い衣を着た白い人物として現れた。右手には馬の鞭を持ち、左手にはバデン(ba dan 幟)を持ち、彼は白馬に乗っていた。ニェンチェン・タンラが憤怒神の役目を持つときは、パウォ(勇士)としていかにも恐ろしい姿で現れた。彼の体は黒熊の毛皮で一部覆われた武具をまとっていた。そして頭上には紅玉髄でできたヘルメットをかぶった。彼の武器は隕石の鉄でできた剣と弓矢だった。
第4の形、すなわちダルマパーラ(護法神)としては、ヘルメットと水晶でできた胸当てをまとい、おなじ素材でできた槍を振り回した。
ニェンチェン・タンラは、果たすべきさまざまな宗教的役割によって、すべてのダムツェン(dam can 護法神)のラ(lha 神)として、すべての慈悲深い者のラ(神)として(dam can kun gyi lha)、「ダルマパーラになることを拒む精霊を処刑する者」(dam med kun gyi gshed)言い換えれば、仏法の誓いを破った僧侶たちを懲罰する者、あるいは「誓いを破る者への毒」(mna’ zan kun gyi bdud)、「カルマによってなるべくしてなった中風」(‘Phrin las skal phog pa)、そして「ウツァン・ルシ(dBus
gtsang ru bzhi チベット中央の4部隊)のユラ(yul lha 地方神)となるのだ。
ニェンチェン・タンラはまた、かつてティソン・デツェン王(Khri srong
lde’u btsan)のクラ(sKu lha 御体の神)だった。
テクスト117番の文にはこう述べられている。ニェンチェン・タンラはパドマサンバヴァとダルマ・ラージャ(法王)ティソン・デツェンのすべての尊い後裔を励まし、いやしい生まれの息子のように守るだろうと。家畜を世話する飼い主のようにチベット人の地を守り、サムエ寺を守る宝のように警護せねばならないだろうと。
当時ニェンチェン・タンラに献じられた供え物にはさまざまなものがあった。絹やお香、金銀宝石、果物、スレート山の水(gYa’ chu)、氷河の清冽な水(gangs chu gtsang ma)などである。
チベットにペハル(Pe har)が出現した伝説ですでに述べたように、ペハルがパドマサンバヴァのダルマパーラ(守護神)であることは、ガンダルヴァ(尋香)であるスルプ・ンガパ(五髻者)の王によって示された。
これまでニェンチェン・タンラについて述べてきたように、ラ(神)に知られている名前はスルプ・ンガパだけだった。しかし図像学的にいえば、スルプ・ンガパはニェンチェン・タンラとは別物だった。ガンダルヴァの王と呼ばれることはさておき、彼は水の精の王(Klu’i rgyal po)、あるいはチベットの八大聖地の主(Bod
khams gnas chen brgyad gyi bdag po)と呼ばれた。スルプ・ンガパはネレ・トカル(Ne’u le thod dkar)と呼ばれることもあった。
図像を含むテクストは、彼を白い衣を着た、見た目の美しい、5つの髻をもつ者(そこから五髻者という名称が生まれた)として描いた。彼は白い絹のマントを羽おり、法螺貝の帽子(dung zhu)をかぶった。スルプ・ンガパは右手に杖を、左手に絹の旗がついた短い槍を持った。彼は飛び方を知っている、目がズィ(縞瑪瑙)のような、トルコ石の鬣を持った白馬に乗った。彼は360のタンラ神に取り囲まれていた。彼らは神の眷属(lha ’khor)である。さらには360のドゥ(bdud)、ツェン(btsan)、メン(sman)も一堂に会した。彼のシャクティは、ギャジン(brGya byin)の娘ナムツォ(gNam mtsho)である。(brGya byin sras mo gnam mtsho)
ニェンチェン・タンラについて述べるなかで、われわれはオデ・グンギャル(’O de
gung rgyal または’O di gu rgyal、’Od de gung rgyal)について学んだ。それは中央チベットに実在する山が人格化されたものである。またそれはニェンチェン・タンラの父と目されている。オデ・グンギャルの住まいと外観はつぎのように述べられる。
山の高いところは純粋な場所であり、岩だらけの雪山の山頂には、目をみはるような宝石でできた、自ら生まれ出た宮殿があり、そこから可視世界の年老いた神(srid pa’i lha rgan)オデ・グンギャルが現れた。彼は絹のターバンを巻き、絹のマントをまとい、大きなトルコ石の腕輪をはめた偉大なる男だった。彼は旗のついた槍と杖を持ち、血統のいい馬に乗った。彼は祖先の神々(pha mtshun)の主やマサン、ダラ(dgra lha 戦神)に取り囲まれていた。ロンド・ラマ(Klong rdol bla ma)によると、オデ・グンギャルは8つの山神の父である。これらの山神とともにいわゆるシパ・チャグペ・ラグ(Srid pa chags pa’i lha dgu)を形成している。
8神の具体的な名は以下の通り。
ヤブ・オデ・グンギャル(Yab ’O de gung rgyal)、ヤルルンギ・ヤルラ・シャムポ(Yar lung gi yar lha sham po)、チャンギ・ニェンチェン・タンラ(Byang
gi gnyan chen thang lha)、ゲトキ・ジョウォ・ギョクチェン(rGad
stod kyi jo bo ’gyog chen)、シャルギ・マチェン・ポムラ(Shar
gyi rma chen spom ra)、ジョウォ・ユルギャル(Jo bo gyul rgyal)、シェウ・カリ(She’u mkha’ ri)、キショ・ショグラ・チュグポ(sKyid
shod zhog lha phyug po)、ノジン・ガンワサンポ(gnod
abyin Gand ba bzang po)。
テクスト77番を含むラサン(lha bsangs 焚香)経典は4つの神の名に言及するが、そのうち3つは山神である。それはまず、東のマチェン・ポムラ(shar gyi rMa chen spom ra)と360人の同士(rma rigs
gsum brgya drug cu)を呼ぶ。
つぎにラサン経典は南方のことに言及するが、それは山神ではなく、インド亜大陸、おそらく伝説的なジャムブドヴィーパ(Jambudvipa)すなわちロイ・ザムブリンチュン(lho
yi ’dzam bugling chung 南閻浮提)である。一方パリヴァーラ(Parivara)経典に言及されるのは360のル(klu)である。(klu ’khor gsum brgya drug cu)
西方にあるとされるのは、ニェンチェン・タンラの住まい(前に述べた場合では北方だったが)と360の臣下である。(Nub kyi gnyan chen thang lha/lha ’khor sum brgya drug bcu)
北方に住まうのはラツン・クレ(lHa btsun ku le)とその従者である360のツェン(btsan)。住居はラサ北方の山である。不幸なことに、この神の詳細な外観についての知識を私は持っていない。
山神マチェン・ポムラは、分類上東に属するが、ココノール(青海湖)の南に位置する山脈の人格化である。ほとんどのチベット語のテクストにはマチェン・ポムラと書かれるが、地元の人々にはアニ・マチェン(Am nye rma chen)として知られる。古典的な資料には、マギャル・ポムラ(rMa rgyal spom ra)、ポムチェン・ポムラ(sPom chen
spom ra)、ドクネ・マギャル・ポムチェ(’Brog gnas rma rgyal spom
che)、ドグネ・ライ・ゲニェン(’Brog gnas lha yi dge bsnyen)などの名称でも記される。
ボン教資料(テクスト142番)の中では、マニェン・ポムラ(rMa gnyan
spom ra)と呼ばれている。
称号に関しても、ゲニェンのほか、ダライ・ギャルポ(dgra lha’i rgyal
po)、ダクツェン(brag btsan)、シダク(gzhi bdag)などが名前の前につけられる。
彼は「マ国のすべてのサダク(sa bdag)の首領」と称されることもある。山神ニェンチェン・タンラと上記のいくつかの神のように、マチェン・ポムラもまた360の兄弟神、縮めて360のマ(rma)を伴うことがある。マは古代において独立した地元の神々であった可能性がある。
マチェン・ポムラとその眷属は、基本的にアニ・マチェン山脈の麓に住むチベット人、とりわけ泥棒部族として恐れられてきたゴロク人(mGo log)に崇拝されてきた。この山神への崇拝の仕方のひとつは、ごく一般的にアニ・マチェンのまわりを巡礼することである。ザムリン・ゲシェ(’Dzam gling rgyas bshad)によると、アニ・マチェンの氷河から流れ出る雪と水は治療効果を持つという。そしてらい病にも薬効があるという。
アムド地方の生まれのツォンカパは山神信仰になじみがあり、彼が創立した宗派にもその信仰を取り入れた。すでに述べたように、ゲルク派の一部の人は、ゲニェン・チンカルワ(dge bsnyen Phying dkar ba)はマチェン・ポムラの化身と信じている。これら両者の関係をなぜ指摘するかといえば、前者がかぶる特徴的な羊毛の帽子(phying zhva)とアニ・マチェン周辺の部族がかぶる帽子がよく似ているからである。
マチェン・ポムラはガンデン寺の特別な守護神として崇拝されている。等身大のこの山神の像がダルマパーラのためのお堂に安置されているのはそのためである。毎日夕暮れ時になると、マチェン・ポムラの小像をガンデン寺の聖域の外側にある祠堂に運び入れ、象徴的に取り除かれる儀礼をおこなっている。
なぜこうした習慣があるかといえば、マチェン・ポムラは唯一平信者のための神であり、妃をもっているため、寺院に一晩滞在することが許されないからである。もし彼がシャクティと交わるようなことがあれば、寺院の創建者であるツォンカパが定めた厳しい戒律を犯すことになってしまうのだ。
しかしマチェン・ポムラの小像を運ぶ習慣はとっくの昔に途絶えてしまっていた。そのかわりに担当の僧侶は、毎晩山神に丁寧に、大きな声で、ツォンカパの命令に従い、夜間は寺院を去るよう懇願する。
マチェン・ポムラはテクスト32番に、ヘルメットをかぶり、金の鎧、白いマントを着け、宝石で飾った金色の姿で描かれる。右手には旗のついた槍をもち、左手には宝石でいっぱいの器をもった。左腕にはマングース(ne’u le’i rkyal pa)の皮でできた袋が下がっていた。
二次的な資料はマチェン・ポムラと捧げられた供え物についてつぎのように描く。
「仏法を守護するあなた、ラ(神)の偉大なるゲニェンよ、眷属とともにこちらへ来て、供え物を受け取ってください。
白雲のように迅速に動く魔法の馬に乗って、旗のついた槍を掲げ、弓矢をもち、罠をたずさえ、英雄の印をもった、きよらかな白色に満ちた美しい身体の持ち主であるあなたよ、この場所にすみやかにお座りになり、カルマの仕事を成し遂げてください。
外側の、内側の、そして秘密の供え物が雲のように集まってきます。セル・キェム(gser skyems 神に献ずる飲料)の供え物のアムリタ(甘露)が海のように流れ出るほどです。血と肉のトルマがスメール山(須弥山)のように高く積もるほどです。ダクツェン(brag btsan)よ、ダラ(dgra lha 戦神)の王よ、これらの贈り物を受け取ってください。火の中で燃える千の香りのさまざまなもの、そして空に立ち昇り、力強い青い雲となる甘い香りのお香の白煙、シダク(gzhi bdag)よ、偉大なるゲニェンよ、これらの供え物を受け取ってください。
あなたの霊的な進化によって、シャカムニの時代にあなたは10番目の地位にたどりつきました。いまあなたはマチェン・ポムラという孤高の場所にいらっしゃいます。いま法輪の守護者であるあなた、スンマに祈りを捧げます」
マチェン・ポムラに捧げられたテクストはチャンキャ・ロルペ・ドルジェ(lCang
skya rol pa’i rdo rje)の経典群に含まれる。360の兄弟のほか、マチェン・ポムラはサンベ・ユムチェン(gsang ba’i yum chen 大明妃)を伴っていた。彼女らはアムリタに満ちた器、鏡をもち、鹿に乗っていた。9人の息子たちは鎧を着て、武器(槍など)をもち、馬に乗っていた。9人の娘たちはカッコウに乗り、ダンダル(mda’ dar 色矢)やツェブム(tshe bum 長寿瓶)をもっていた。
360のマ兄弟は虎、豹、血統のいい馬、ジャッカル、その他山の獲物に乗り、矢、槍、セグシャン(gseg shang 錫杖)、斧、ハンマーを持っていた。
マチェン・ポムラの眷属についてはさらにテクスト140番に書かれている。それによるとつぎのような構成になっている。
マハーシャクティ・グンメンマ(mahasakti Gung sman ma)。
息子たち、9兄弟。セポチェグ(Sras po mched dgu)、あるいはパウォイ・セポチェグ(dPa’ bo’i sras po mched dgu)。
娘たち、9姉妹。セモプング(Sras mo spun dgu)、あるいはサンペ・セモプング(mZangs pa’i sras mo spun dgu)。
マリク・スムギャドウクチュ(rma rigs sum brgya drug cu)と呼ばれる彼の360の兄弟。あるいは大いなる4大派のニェン(gnyan chen sde bzhi)。
また4つの地域に住む女神。東に住むのは、女王ツェ・テンマ(Tshe brtan
ma)。南に住むのはヤンラ・ドゥク・ギャルマ(gyang lha ’brug rgyal)。西に住むのは、ヤンラ・パンチェマ(gyang
lha ohan byed ma)。北に住むのは、ヤンラ・ツェジンマ(gyang lha Tshe ’dzin ma)。
また上述のように、女神のドルジェ・ダクモ・ギャルはマチェン・ポムラのシャクティであることを思い出すかもしれない。い
マチェン・ポムラと眷属を崇拝のために、つぎのようなことが行われた。吉祥の日を選び、山神の描かれたタンカを壁に掛けた。そして白いフェルトの布をその前に敷いた。
そのフェルトの上には占いの基礎(チャシ phyva gzhi)と呼ばれる白い布が広げられた。布には小峰に囲まれた尊い雪山の象徴が、八弁の蓮とともに描かれた。また布の上には、少しばかりの麦粒と尊いものが積み上げられ、その上に3つの甘いものとバターでできたトルマが入った尊い器を置いた。トルマは丸い形をしていて、太陽と月と燃える宝石の象徴が描かれていた。
そのまわりにはバターの塊、白いトルマ、チェマル(phye mar 揚げツァンパ)、水が入った2つの器、五感を喜ばす供え物、すなわち花、お香、灯明、楽器などが、また7つの世界皇帝の紋章(rgyal sri sna bdun)、8つの吉祥の徴(bkra shis
rtags brgyad)、マチェン・ポムラを描いたツァカリ(tsakali 画片)、方向操作用に鷲の羽根をつけ、矢柄にトルコ石や鏡をつけた占い矢、その他さまざまな武器や絹、土偶などが置かれた。
こうした準備が整うと、山神はその住居から呼ばれる。住居は、その基盤は地中深くに届き、頂は太陽や月にまで達し、中間は雨雲によって掃かれる白い水晶のストゥーパにたとえられる。この山神が座するのは、360の小さな峰に囲まれた中央の山頂であると考えられている。
マチェン・ポムラはボン教徒にも知られている。彼らの呼び名ではマニェン・ポムラである。彼らはこの神がボン教の教えの守護者(gyung drung bon gyi bstan pa bsrung ユンドゥン・ボンギ・テンパスン)と信じている。彼らはこの神を、トルコ石の鬣を持ったライオンか馬に乗り、槍をふりまわす白い人として描く。
マチェン・ポムラもニェンチェン・タンラも、上述のように、いわゆる「大ニェンの四大派」(ニェンチェン・デシ gNyan chen sde bzhi)の一員と目される。とはいえその描写を見れば、少しばかり異なる点もあるようである。
東のマチェン・ポムラ。水晶の鎧を着て、白馬に乗る白い人。彼は旗のついた槍と宝石を持つ。マリク(rma rigs)と呼ばれる360の兄弟神と十万のマメン(rma sman)を率いる。後者はあきらかにマ兄弟の妃である。
南のチギャル・マクポン(dByi rgyal dmag dpon)。赤茶色の馬に乗った赤茶色の男。金色の鎧を着る。旗がついた槍と斧を持つ。
西のニェンチェン・タンラ。絹のマントを羽おり、ターバンをかぶった白い人。すばやい赤褐色のロバに乗る。手には乗馬用の杖と旗のついた槍を持つ。
北のキョグチェン・ダンラ(sKyog chen sdang ra)。あるいはギョグチェン・ドンラ(sGyog chen gdong ra)、これはあきらかにシパ・チャグペ・ラグの一員として名付けられたゲトキ・ジョウォ・ギョグチェンと同一である。ソグシュ(srog zhu ソク帽)をかぶり、黄色い絹の衣装を来た黄色い人。トルコ石の鬣を持った俊敏な馬に乗る。彼は法輪と旗がついた槍を携えている。
テクスト194番によると、アムネ・マチェンの東に位置する峰に住む山神はンゴラ・ユツェ(sNgo la gyu rtse)である。正式には、ドクネキ・デポンチェンポ・ニェンジェ・ンゴラ・ユツェ(’Brog gnas kyi sde dpon chen po gnyan rje sNgo la gyu rtse)。ンゴラ・ユツェはニェン魔の首領であり、荒野に住む精霊の司令官である。
ほかに知られる名前には、ラニェン・チェンポ・ンゴラ・ユツェ(lha gnyan chen po sNgo la g-yu rtse)、デクペ・ラニェン・トゥボチェ(Dregs pa’i lha gnyan mthu bo che)、ナンシ・デゲツォクキ・ジェポン(sNang srid sde brgyad tshogs kyi rje dpon)などがある。
ンゴラ・ユツェの住まいは、野生の動物の主が棲む鉄の山々に囲まれた巨大な宮殿であると言われる。この宮殿の屋根は中国式で、金とトルコ石でできている。この天宮のなかでは、赤い風が吹き、金で装飾した血統のいいすばらしい茶色の馬が現れる。この馬に乗っているのはラニェンチェンポ・ンゴラ・ユツェ(lha gnyan chen po sNgo la g-yu rtse)である。
彼の体は赤紫色で、炎のように輝いている。右手には鉤(かぎ)を持って「三界の栄光を集め」、左手には宝石を持ち、9つの願いを成就する。彼は虎の皮でできたマントを着て、トルコ石の鎧をつけ、皮のヘルメットをかぶる。左腕には旗を持ち、それを身体に押し当てる。腰帯からは鋭く強い矢でいっぱいの虎皮の矢筒が下がる。それは雷から作られたものである。また力強い弓が入った豹皮の弓入れが下がる。
ンゴラ・ユツェの右側に立つのが彼のシャクティ(明妃)、ニェンマ・マレグ(gnyan
ma Ma le gu)だ。彼女の体は輝かしい白色で、容貌は美しく、ダンダル(mda’ dar 色矢)と宝石が山盛りの器を持っていた。彼女は雌鹿に乗っていた。
主神の左側に立つのはニェンセ・トリ・ギャルワ(gnyan sras tho ri rgyal ba)。その身体は暗褐色で、槍、罠を持ち、トルコ石でできた青い竜に乗った。
ンゴラ・ユツェの後裔の2つのグループが、この山神の眷属に属した。迅速で誇り高いタグシャル・パウォイセ(sTag shar dpa’ bo’i sras 少年英雄子)と若く美しいラメン・セモ(lHa
sman sras mo)である。そしてさらに多くのつぎのような地元の神々が(それらは山の人格化であった)属した。
タシ・ラダク・カルポ(bKra shis lha brag dkar po)、ドクチェ・ゴカル・ゴンゴン(Grogs byed mgo dkar)、ドンドク・シャルカル・ニェンポ(sDong
grogs zhal dkar gnyan po)、トゥプン・ポリ・ドゥムポ(mThu
dpung spos ri zlum po)、ダルズィン・ケリ・トンポ(Dar ’dzin
skyes rim thon po)、マククル・ニェンジェ・ゴンゴン(dMag bskul gnyan rje
gong sngon)などである。
ンゴラ・ユツェと妻、息子たち、娘たちは、まとめてラニェン・チェンポ・サンユム・ツァムセ(lHa gnyan chen po gsang yum lcam sras)と呼ばれた。彼に服従する低級神はレチェ・ポニャ(las byed pho nya)、すなわち官吏とメッセンジャーと呼ばれる。
ンゴラ・ユツェについて詳しく述べたが、儀礼のあいだにこの山神に象徴的に捧げられる9種の飾りと武器についても触れたい。「鉤(かぎ)」はその力を三界にもたらすものである。すべての願いをかなえる「如意宝珠」は、雨粒のように無数に増やすものである。ほかにトルコ石でできた鎧、皮のヘルメット、虎皮のマント、高いブーツ、天にまで達する絹のペンダントがついた長い槍、虎皮の矢筒、そして豹皮から作られた弓入れなども含まれる。
ンゴラ・ユツェのサーダナ(修行階梯)はさまざまな悪の行為やできごとを列挙するが、山神によってそれを避けることができる。すなわち、ドン(gdon 魑魅)、ゲグ(bgegs 魔鬼)、チュンポ(’byung-po ブータ、悪霊)、ナンテー(mnan
gtad 詛)と呼ばれる破壊的呪術、僧侶やボン教徒、魔術師による呪詛(rbod 呪いを放つこと)、パワフルなゾル(zor 呪語)を投げかけること、杖を使った魔術を見せること、悪い前兆、不吉な年、月、日、幻覚や不慮の死などである。
さらにンゴラ・ユツェによって、人や家畜の疫病を避けることができ、敵が目論んだ襲撃を未然に防ぐことができると信じられた。
ンゴラ・ユツェに関連して、アムドにはもうひとつの地方神として、山神ラチェン・ニェンジェ・グンゴン(lha chen gNyan rje gung sngon)、あるいはデクペ・ンガダク・ニェンジェ・グンゴン(dregs pai mnga’ bdag gNyen rje gung sngon)、またはユルギ・ラニェン・チェンポ(Yul gyi lha gnyan chen po)がある。
この神が住む山の頂上は天にまで達し、その基盤は地中深くにあると、儀礼のなかに描かれている。山の真ん中では蜜の雨が降り、斜面には葉が生い茂り、果物が熟れた木々に覆われていた。
この神の聖なる場所があった。そこには100の柱が支える水晶の宮殿があった。この超常的な建物のなかには、雲のように速く、宝石でできた鞍と装飾をつけたトルコ石の鬣の馬がいた。
この馬に乗るのは、天空のきらめきと百万の太陽の輝きを有したデクパ(dregs pa)の王、ニェンジェ・グンゴンだった。右手には100の切っ先を持った槍を持ち、天に向かって振りかざし、左手には器を持って心臓の前に置いた。彼は白い衣を着て、内側を金メッキしたトルコ石でできた馬具をつけていた。ムメン石(mu men サファイア?)でできた兜をかぶり、右側には矢でいっぱいの虎皮の矢筒を持ち、左側には豹のなめし皮でできた弓入れを持っていた。彼は高い長靴をはいていた。
彼の前にいるのは、シャクティ(妃)のユドン・カルモ(gYu sgron dkar mo 白いトルコ石の灯明)。彼女はダンダル(色矢)と鏡を持つ。彼女は宝石で飾られた絹の衣を着て、雌鹿に乗る。眷属のなかにセモンパ・ドンドゥプ(Sras smon pa don grub)が現れる。身体の色は水晶のようだった。青い絹の衣を着て、両手で器を持った。彼はすばらしい白馬に乗った。
ニェンジェ・グンゴンの眷属に属するのは、チャムガンキ・ユムチェン・クンサンマ(lcam gangs kyi yum chen kun bzang ma)、またの名をマモ・クンサンモ(ma mo Kun bzang mo)あるいはチャムモ・クンサンモ(lcam
mo Kun bzang mo)である。彼女の体は赤く、ツェブム(長寿瓶)をもち、獅子に乗った。
右側に現れたのはロンポ・ペンカル(blon po sPen dkar)である。彼は武具をまとった赤い男とされた。彼は赤い馬に乗り、ツェン魔の赤い槍を持った。
ここの後ろは別の山神、マシン・キュンツェ(Ma zhing khyung rtse)に支配されていた。彼の体は白く、シミがついた槍をふりかざした。そして法螺貝の色をしたすばらしい馬に乗った。
主要な神の左側に現れたのはニェネ・チャンカル(Nye gnas lcang
dkar)で、宝石が山盛りの平たい器を持っていた。
これらすべての神々は多くのニェンやメン・モ(sman mo)を伴っていた。
またニェンジェ・グンゴンはさまざまな邪悪なものを避けることができると信じられていた。とくにさまざまな階級のシ魔(sri)が引き起こす危険を逃れることができた。
チェ・シ(che sri)はおとなを攻撃する邪悪な精霊。チュン・シ(chung sri)は子どもを殺す精霊。ツォン・シ(mtshon sri)、または武器のシは傷をつくり、チュ・シ(chu sri)、または水のシは川を渡るときに人を流す。チェブ・シ(lceb sri)、または自殺のシは人の心を動揺させる。プン・シ(phung sri)、またはスカンダ・シ(skandha sri)は5つのスカンダ(感覚)をかき乱す。
この山神が避けることのできる病気は、馬の病(タネrta nad)、家畜の病(ノルネ nor nad)、羊の病(ルネ lug nad)、人の病(ミネ mi nad)などである。この神によって雷の害や惑星の動きによる悪影響やドゥ(bdud)、ツェン(btsan)のもたらす害が取り除かれた。さらにニェンジェ・グンゴンは不信心な外部者によって起こされるさまざまな害から、仏教徒を守った。
ニェンジェ・グンゴンのパリヴァーラ(眷属)のところで接したマシン・キュンツェ(Ma
zhing khyung rtse)、あるいは縮めてキュンツェについては、二番目に、そしてより詳しい説明がおなじ資料の18番目に含まれている。彼はここではユラ・キュンツェ(yul lha Khyung rtse)、あるいはドクネ・ライ・ゲニェン・キュンツェ・トンポ(’Brog gnas lha yi dge bsnyen Khyung rtse mthon po)と呼ばれる。
この神の住まいは、金とトルコ石からできた中国式の屋根が並んだ巨大な城と考えられた。宮殿のなかに住んでいたのは、その身体が水晶のように白いキュンツェ・トンポ(Khyung rtse mthon po)だった。右手には旗がつた槍を持ち、左手には如意宝珠を持っていた。キュンツェは金の鎧を着て、虎皮の矢筒と豹の皮から作った矢入れを携え、光に包まれていた。彼は雲のように速く、宝石で飾られた鞍と装飾品の白馬に乗った。
この神の場合、通常の順序が逆になっていた。というのも、ニェンジェ・グンゴンがキュンツェの眷属のなかに現れ、その右側に立っていたからだ。キュンツェの左側にはシャンポ・ニェンマル(Zhang po gnyan dmar)がいて、その前方はロンポ・ドクチェン(blon
po sGrog chen)に占められていた。