オカルト・アメリカ 

エピローグ 水瓶座の時代の到来:ニューエージの夜明け 

 

変化が起きるのは、そしてすでにそれが静かに始まっているのは、ここアメリカだ。 

――H・P・ブラヴァツキー 『シークレット・ドクトリン』1888 

 

ジェット推進と宇宙飛行の発展とともに1950年代がはじまると、アメリカ人は星空の向こうに広がる他次元の世界に対する興味を失うようになった。霊的な旅人にとっては、しかしながら、星々と内的領域とは密接な関係があった。智慧の大師(マスター)のように夢想的で、宇宙は謎に満ち、おそらくは知られざる知性が存在すると考えられた。

 第二次世界大戦の最後の数か月間、連合軍のパイロットたち――その頭脳明晰さと能力に関して疑いの余地はない――が本国に持ち帰ったフー(foo)ファイターと彼らが呼ぶ飛行物体に関する奇妙な報告から、じれったくなるような可能性が生じた。フー・ファイターは銀色か炎のような球体で、どこからともなく現れたり、パイロットが乗る戦闘機と並行して飛んだりした。球や円盤という形に推進手段は認められなかったが、一種の知的指令システムのようなものが感じられた。

「もし捏造や光学的幻影でなければ」と1945年1月15日のタイム誌は書いている。「それはたしかに連合国軍の戦闘機が出会ったなかでももっとも謎めいた秘密兵器である」

 しかし連合国の科学者たちは必死にスーパーウェポン、あるいは気味の悪い飛行物体を見つけようとしたが、成功しなかった。

 帰国した十字軍が神話や驚きの物語を持ち帰ったように、アメリカの戦士たちも新しい謎を持って帰ってきた。考えや観察がどれだけの伝染性を持つか推測することしかできない。しかし1947年以来、アメリカの文民、ケネス・アーノルドは多発する「空飛ぶ円盤」の目撃のレポートをはじめた。

 飛行物体はロサンジェルス、ワシントンDC、そして有名なところではニューメキシコ州ロズウェル近くの空軍基地の上空に現れた。米軍や他の国々の陸軍は物事を真剣に受け止め、公式の調査機関を立ち上げた。そして未確認飛行物体(UFO)という新しい用語がアメリカの辞書に記載された。

 しかし米軍の調査によって結論が明らかにされたわけでもなければ、意味ある問題提起がなされたのでもなかった。それは混乱した書類か、政府陰謀論を焚きつけるような報告書にすぎなかった。

 パルプ・マガジンのファンにもその流行は伝染していったが、もっと縁起が悪い物語があきらかになった。1940年代、はずみがついたサブカルチャーの読者は、地球内部およびそこに住む宇宙人のレポートに夢中になった。地球空洞説の歴史は長く、複雑である。この伝説は1944年1月、パルプ・マガジン「アメイジング・ストーリー」誌にトゥルー・ストーリー・シリーズの一つとして再登場した。

 ペンシルベニアの作家、画家、哲学者、工場労働者、ときには精神病患者のリチャード・シャープ・シェイヴァーは尽瘁に悪意を持っている地下種族の神話を公表した。彼の物語は雑誌のエネルギッシュな編集者レイ・パーマーによって守られ、潤色された。ウィリアム・ダドリー・ペリーの『永遠の七分』のように物語はスリルに満ちていて、洞窟の中で悪人と出会ったことをレポートしている。

 SFファンの大多数は変化していた。パルプ・マガジンの読者が欲したのは宇宙船、レーザー・ガン、バック・ロジャー・タイプのヒーローであって、「奇妙だが真実」タイプの超常ドラマではなかった。ニューヨークではクイーン・サイエンス・フィクション・リーグ(あなたが間違った側に入りたくなかったグループ)はシェイヴァーの地球空洞物語を読者のメンタルに危険を及ぼすものとする非難決議を通した。

 1948年、アメイジング・ストーリー誌の共同オーナー、ジフ・デイヴィースは不平不満の多さに嫌気がさし、誌面を刷新することにした。シェイヴァー・ミステリーはそのため掲載禁止になるという憂き目を見た。

 失望した編集者のパーマーは抗議の意味を込めて辞職した。本物の信奉者として、また日和見主義者として、パーマーは一匹狼の立場をとり、シェイヴァーの物語やほかのオカルト話をメインとする雑な編集のダイジェスト・サイズの月刊誌をいくつか発行しつづけた。それには「ミスティック(神秘主義者)」や「サーチ(探求)」などが含まれた。

 パーマーの雑誌はオカルトの定期刊行物のなかでもっとも頻繁に罪作りなことをした。彼らの薄っぺらな文から作り出されたのは、異様で未知なものだったが、人をうんざりさせた。耐えられる要素があるとするなら、それはパーマーの測りがたい論理のブランドだろう。

「あなたがこの物語を読んだなら」と1953年の「ミスティック」の読者に彼は語りかける。「これはフィクションだと自分自身に言い聞かせるだろう。編集者はその通りだと請け負う。しかしもしそうでなかったら?」

 そしてアメリカ文学史のなかで唯一パーマーだけがつぎの「寄付者への注意書き」を掲載している。

「このような刊行物にたいして、お代を払っていただくのは、ミスティック・マガジンのポリシーに反しています。その目的は真実を示すことであり、真実をお金で買うことはできないのです」

 しかしこの雑誌はあきらかに売られていて、もっともいきいきとした内容は、薔薇十字会やマヤ文明、ヨーガの神秘、デ・ローレンス式のトーキング・ボード、マジック・クリスタル、タロット・カードなどの話題を提供する各オカルト教派の広告ページの記事だった。ふけ取りシャンプーの効果を保証するのはUFO著名人、空飛ぶ円盤の目撃者ケネス・アーノルドである。彼はこの男性用シャンプーターナーズ(TURN-ER’S)の宣伝に名を貸している。「ケンはいくじなしじゃないので、髪に香りをつけたりはしない」

 読者はミスティックを読まなくなり、そこから分裂した雑誌も60年代を通じてなんとか存続しただけで、ほとんど目立たなくなった。パーマー時代を生き抜いた唯一の雑誌は彼が共同経営者として創立した雑誌「フェイト(運命)」だが、それもすぐにパートナーのカーティス・フラーに渡った。

 月刊誌「フェイト」は現在も存続している。UFOや魔法の力、モンスター、奇妙な世界などを主な内容といていて(パーマーの刊行物の読者層よりも少し高位の読者層をターゲットにしている)、この雑誌は多くのSF作家や映画製作者、次世代の特殊効果の専門家たちの子供時代のイマジネーションに火をつける役目を持つことになった。