犬殺しのオイディプス        宮本神酒男 

エディプス・コンプレックスと犬祖神話が交わるとき

 ジグムント・フロイトほど毀誉褒貶(きよほうへん)に取り囲まれた偉大な知性もないだろう。フロイトの画期的な、と同時に広く反発を呼んだ精神分析学上の概念のひとつが、エディプス・コンプレックスである。
 父親を殺し、母親と交わりたいという願望。それはあまりに衝撃的であり、日常的に理解できる範囲をはるかに超えていた。父殺し、母子相姦両者が実際に起こるということは、まずありえない。

 しかし世界を見回したとき、エディプス・コンプレックスを地で行くような神話が散見されるのもたしかなことなのだ。ユングの言うように人間の無意識は神話のなかにあらわれるということなのだろうか。
 私はまたアジアに広がるエディプス・コンプレックス型神話のなかに、やはりアジアに分布する犬祖神話と重なるものがいくつかあることに注目している。

 民族の始祖(正確には始祖の子)は犬が父親だと知らずに殺してしまい、また(顔面に刺青を入れたなどの理由で識別できなくなった)母親と交わってしまう。こうした行為はしばしば洪水などの大災害を人類にもたらす。
 ということはフロイトが考えたような人間の無意識の願望ではなく、人類の考えうるかぎり最大のタブー破りということなのだろうか。しかも犬の子は犬であり、いわば人間は「犬畜生」なのである。

 エディプス・コンプレックスは、古代ギリシアのホメロスの叙事詩やソポクレス三部作などに現れるオイディプス神話からフロイトが抽出して名づけた心理学上の概念であり、用語である。

 よく知られたオイディプス神話の骨子をあらためて示そう。

 

    テバイの王ライオスは「生まれてくる息子がかれを殺すだろう」という予言を聞いて、妻イオカステとのあいだに生まれた赤子の踵を釘で貫き、羊飼いに命じて山中に捨てさせた。しかし羊飼いは命にそむいてコリントスの羊飼いに渡し、さらにコリントス王がもらいうけて養子にした。

     オイディプスは成人するが、「父を殺し母と結婚する運命にある」というデルポイの神託が下り、神官たちによって追放される。オイディプスはコリントスを出て旅をしていると、王ライオスが乗った馬車に出くわした。馬車が強引に進もうとするので、頭にきたオイディプスはライオスを父と知らずに殺してしまう。

     ライオスは悪疫をもたらしたスピンクスに神託をうかがうため、デルポイに向かう途中だった。スピンクスは人々に謎かけをしていた。それは「朝に四本足で歩き、昼に二本足で歩き、夕方に三本足で歩くものとはなにか」というものだった。

     だれもが答えに窮していたとき、オイディプスは「人間」とこたえて謎を当てる。ショックを受けたスピンクスは崖から飛び降りて自害する。オイディプスは報償として、王位と亡き王の妻であるイオカステを母親と知らずに手に入れたのである。註一

 

 この「父殺し」「母子相姦」というモティーフは、人類の無意識層に潜む共通の心理現象なのだろうか、それとも、フロイトの個人的な感懐から発せられたものにすぎないのだろうか。
 私はそこから定理のようなものを導き出すことはできないが、アジアの神話のなかにそのモティーフを見出せることは、特筆すべきことと考える。
 しかもその神話において、父は始祖であり、犬なのである。

 インドネシアからインドシナ半島、中国南部、さらには日本をも含むじつに広大な地域にさまざまな犬祖説話、及び犬婿入譚が分布している。始祖神話の多くは、洪水が発生し、生き残った兄妹の近親結婚から人類が繁栄するというパターンを踏襲している。
 犬祖神話の場合、その兄が犬なのである。しかし兄と妹でなく、まれに母と息子のあいだから子孫が繁栄するというパターンがある。しかも息子は犬が本当の父だと知らずに殺してしまうのである。
 フロイトがこれらの神話の存在を知っていたら、エディプス・コンプレックスを体現する神話として小躍りして喜んだだろうか。 


T

 犬祖説話に関しては、福田晃『犬婿入の伝承』註二や大林太良『東南アジア・オセアニアの犬祖説話』註三に詳しい。
 ここではエディプス・コンプレックス的な「父殺し」と「母子結婚」をふくむ犬祖説話に焦点をしぼり、両論文が挙げていないカトゥー族註四の犬祖説話(ナンシー・コステロ『カトゥ族の民間伝承と社会』註五をテキストとする)とあわせて、比較考察を試みたい。

 本旨に入る前に、両者の分類を要約したい。福田晃の分類はつぎのとおり。

 

[] 華南山地少数民族の犬婿入(槃瓠型)

華南のヤオ族、ミャオ族、ショー族のあいだに分布する槃瓠伝説。

 敵の将軍の首を得れば帝の娘を娶らせようという布令を出したところ、首を獲ってきたのは槃瓠という犬だった。犬と娘のあいだに生まれた六男六女が互いに夫婦になって(兄妹相姦)かれらから子孫が繁栄した。註六

 

[] マライ・メルグイ島モーケン族、台湾高砂セデック族の犬婿入

  王女が犬と戯れて子供を孕んだ。王は立腹して犬と娘を舟にのせて川に流した。舟は海に出て島に漂着し、ひとりの息子を生んだ。息子は二日間で大人になった。母は島のあちら側をめぐりなさいと言い、自身は反対側をまわって、出会って夫婦になった。(母子結婚) この夫婦から子孫が繁栄した。《マレー半島、モーケン族》註七

セデック族(タイヤル族)トロック蕃の伝説はもっとシンプルである。

  (豚の糞から出た)女が犬と交合して息子を生む。息子は成長して母と結婚した。かれらはじつに子沢山だった。《台湾花蓮県、セデック族》註八

このB型は「父殺し」は確認されないが、「母子結婚」が中心モティーフになっている。

 

[] 海南島族、インドネシア・カラング族の犬婿入

  大陸にひとりの君主がいて、足の傷に悩み、治したものには娘を与えると約束する。そこへ一匹の犬がやってきて、足をなめて癒す。約束なので娘を犬に与えるが、犬と娘を舟に乗せて海に流す。舟は海南島の南岸に漂着する。やがて犬と娘のあいだに息子が生まれる。息子は狩りに出たとき、父親であると知らずに犬を棒で打ち殺す。(父殺し) 母は犬が父親であることを打ち明け、家を出る。母は顔に刺青を入れて別人のようになり、戻って息子と夫婦になった。(母子結婚) 《中国海南島、黎族》

冒頭の部分は槃瓠伝説モティーフのバリエーションである。ついで漂着モティーフがくる。そのあとの中心モティーフはあとで述べるカトゥー族の犬祖説話ときわめて似ている。カトゥー族の説話に顔の刺青は出てこないが、かれらの習俗に紋面(顔面刺青)があることは留意したい。(ちなみに台湾タイヤル族にも紋面の習俗がある) カトゥー族の分布地域がラオス南部からベトナム中部にかけての山岳部であり、海南島とさほど離れていないことを考えれば、ダイレクトに伝播したことも考えられる。この点に関してはあとでくわしく考察したい。

つぎのカラング族の説話は黎族のものとよく似ている。

  王の尿を雌豚が飲んで孕み、女児を産む。長じて機織りをしているとき糸枠を落とす。拾った者と結婚すると公約したところ、黒犬が糸枠をくわえてやってくる。公約なので女は犬と結婚し、やがて息子が生まれた。母が素性をあかすと、息子は恥じて犬を殺した。(父殺し) 母は息子に指輪を与え、この指輪があう娘と結婚しなさいと言った。娘が見つからず、帰ってきたら母の指にあったので、母と結婚した。(母子結婚) 息子はスラウェシ島に渡り、マカッサル人やブキ人の祖先となった。 《インドネシア・ジャワ、カラング族》

 二話とも「父殺し」「母子結婚」が基本モティーフである。

 

[] 沖縄の犬婿入

 福田は与那国島、宮古島、沖縄本島の犬婿譚を挙げ、ほかに全国から集めた二四の犬婿譚(そのうち奄美大島五、徳之島一)をリストアップしている。そのなかから、宮古島の島建伝説を挙げよう。

 昔、宮古島が津波に襲われ、女ひとりだけが生き残った。女は犬を夫とした。潮がひいてやってきた神(倭人)は犬が蛸をのせているのを見つけた。犬のあとをつけていくと女がいた。女に夫は誰なのかと尋ねると「坐ったら高殿、立てば長殿」と答えたので、神は隣りにいた犬を殺した。のちに女は神と夫婦になり、子孫が繁栄した。

 「父殺し」「母子結婚」ともみられないが、もともと犬祖神話であったのは「宮古人は犬の子」という侮蔑語が生じていることからも推測される。註九

 

 大林太良の分類(一九九三)は以下の通り。

@槃瓠型

Aカラング型(ジャワ・カラング族を含む西インドネシア、カンボジア)

B癩病型(北スマトラのアチェー族の伝えるニアス島民、南スラウェシ、インドシナのスティエング族、広東ヤオ族、海南島黎族、台湾平埔族)

C漂着型(スマトラとその西部の離島、アチェー族の伝えるシマルー島住民、モーケン族、ビルマのペグー族、アッサムのアンガミ・ナガ族、マニプール)

D洪水型(ニコバル諸島、インドシナ東南部のバナール族やパコー族)

E親孝行型(カンボジア、タイ、フィリピン)

F東北アッサム型

G出現型(フィリピン)

 

U

カトゥ族はベトナムのクアン・ナム州からラオスのシェコン州・サラヴァン州にかけて分布する人口四三〇〇〇人(ベトナム側にほぼ三分の二)ほどのモン=クメール語系に属する民族である。

いくつかのロングハウスが楕円形状にまとまって集落をなし、まわりを垣が囲っている。その中央に「男たちの家」とよばれる集会所がある。

 かつてカトゥ族には遠くの村から子供を奪ってくるという習俗があった。子供たちの血は精霊に捧げられ、その髪は「男たちの家」のなかに吊るされた。またかれらは狂人を土に生き埋めにすることがあった。

年に一度の殺牛儀式のときには、水牛が屠られ、村の精霊に捧げられる。

ほかに目立つ特徴といえば、女性の紋面をあげないわけにはいかない。奇しくも、類似した犬祖説話(父殺しと母子結婚を含む)をもつ台湾セデック族(タイヤル族)や海南島黎族にも紋面の習俗が見られるのだ。黎族の犬祖神話では紋面が重要な役割を担っている。母は家を出たあと、紋面を入れ、別の存在になって戻ってきて息子と結婚するのである。

 黎族の他の民間伝承に、ある美しい女が国王に見染められて求愛されるが、恋人との愛を貫くために顔に刺青を入れ、醜くなって国王にあきらめさせる、という物語がある。註一〇 紋面を醜いとするのはおそらく漢族的な、あるいは現代人的な見方であり、黎族やセデック族、カトゥ族、トゥルン族等にとっては顔に刺繍を施すという感覚があったかもしれない。ニュージーランドのマオリ族の綉面(正確には刺青ではなくペインティング)などはあきらかに美しく見せるために入れているのだ。

 

カトゥ族の犬祖説話は三種類採集されている。とくに説話Tが台湾セデック族や黎族の説話に近いが、他の二つとあわせて示したい。

 

《説話T(低地カトゥ)》

 はじめ天も地もなかった。それから天の精霊が太陽、月、星を造った。それから天の精霊は人を造り、その子孫が地上にあふれた。それから長い時がたち、天の精霊はマンギの時、すなわち「すべての終わり」をもたらした。そして地上には女と犬だけが生き残った。(マンギは遠い昔の時間のことだが、とくに大洪水を指している)

 女と犬は夫婦になり、野焼きをして暮した。犬が野に出ているとき、女はご飯を炊きながら息子に言った。「お父さんにご飯をもっていきなさい」

 息子はお父さんというのは人のことだと思った。でも、野に出ると犬しかいなかった。犬は喜んで息子にじゃれついた。しかし息子は犬があまりに長くじゃれついてくるので、カッとなって殺してしまった。

半年後、息子は成長して大きくなった。母は言った、「あなたはジャングルのほうへ行きなさい。わたしは違う方向へ行きます」。さらに「何年ものち、サプーンという名の少女と会ったら結婚しなさい」と付け加える。

ずっとのち、ふたりは互いに母、息子と知らずに会い、結婚した。ふたりから子孫がたくさん生まれた。

子孫のなかで重要な人々はベトナム人になった。山に残った重要でない人々はカトゥ族になった。ベトナム人は賢く、よく勉強し、道具を作り、裕福だが、カトゥー族はいつも疲れている。天の精霊はビア(神話英雄)をベトナム人に与えたが、カトゥ族にはなにも与えなかった。カトゥー族は通貨を知らず、物々交換をしていた。

 

《説話U(高地カトゥ)》

水があふれ、ベトナム人もカトゥ族も死に、犬と女だけが残った。

水はいっぱいになったが、流れなかった。そのとき手のひら六枚分の巨大な蟹がいた。蟹は洪水の水が噴き出てくる穴から出ることができなかった。穴の口を石が塞いでいたからだ。鳥もネズミも、地上にいるものはみな死んだ。ニワトリもブタも人もみな死んだ。

そして女と犬だけが生き残った。犬が夫になって、女とのあいだに五女六男の子供ができた。子供たちは父に言われるとおり、家を建て、トウモロコシを植えた。

子供の一人は父(犬)を抱き上げて、なにをしているのかと尋ねた。父は、ナイフで蔓を柱に結わえ、竹の家を造っているのだとこたえた。大洪水が起きたとき、長老たちが蔓を結わえなさいと言った。(そのとおりにしたから大洪水を生き延びた) 女は男(犬)に従った。(だから女も助かった)

 

《説話V(低地カトゥ》

たくさんの人が(大洪水で)死に、犬と女だけが生き残った。

(大洪水の前)犬は女に家を建て、主柱を立て、垂木を、とくに縦方向の垂木を作るように命じた。(だから助かった)

かれらは男と女だったので、ジャングルに行き、男(犬)と妹(女)は寝た。ほかに人がいなかったので、近親相姦ではなかった。そこからベトナム人やカトゥ族、それからあらゆる人々が生じた。

しかし大洪水が起こり、すべてが終わった。川もジャングルもみな洪水に呑み込まれた。海も大洪水に呑み込まれてすべてが終わった。

二匹の蟹がいた。蟹は太陽にかみついた。蟹が太陽にかみついたので、太陽は大洪水のなかに消えた。

昔カトゥ族は人を殺して、なまで食っていた。(本筋とは関係ない)

 

説話Tの構成をみていきたい。

@ 大洪水があった。(洪水型)

A 犬と女だけが残った。(UやVからすると犬は長老のように賢かった。だから生き延びることができた)

B 息子が生まれる。

C 息子は父と知らずに犬を殺す。(父殺し。黎族とまったくおなじ。カラング族は犬が父と知って殺す。微妙にちがう)

D あっという間に息子は成長する。(モーケン族の場合二日で成長するが、ここでは半年。早く成長しないと母子相姦が成り立たないという辻褄合わせという面もあるだろう)

E 母と息子は別れる。(モーケン族の説話と同様、ちがう方向に別れることによって、他者となる。黎族が紋面を入れるのもおなじ意味合いがある)

F 母子と知らずに結婚する。(母子結婚)

G この母子から子孫が繁栄する。(特定の集団・氏族)

 

このカトゥ族の犬祖説話はおどろくほど黎族およびカラング族の説話と似ている。民族系統になにか共通点があるのだろうか。

しかし言語の系列でみても、カトゥ族はモン・クメール語系、黎族はタイ語系(ただ他のタイ語系とは大幅に異なる)、カラング族はマレー系に分類され、同系統の民族とは言い難い。

目安とするためカトゥ語(Kと略)と黎語(黎と略)の若干の基礎語彙をあげて比較しよう。(目安なのでカタカナ表記とする)註一一

目:マッ(K)チュチャ(黎) 鼻:モ(K)カッ(黎) 口:ブアム(K)パム(黎) 耳:キトル(K)サイ(黎) 空:プレン(K)ファ(黎) 太陽:マップレン(K)チャワン(黎) 月:キーセ(K)ニャーン(黎) 犬:チョ(K)パ(黎) 水牛:ティリイッ(K)トゥイ(黎)

 これだけでも、かなり離れた言語であることがわかる。しかし、太陽を「目」であらわすモン・クメール語的性格(カトゥ語では空の「目」という)が黎語にもみられる(ワンの「目」。ワンは語義不明)ように、表面上の差異よりも近似している可能性はある。ちなみに低地カトゥ語では犬をアヌッといい、日本語のイヌとよく似ているが、偶然の一致にすぎないだろう。

 

 つぎに想定できるのは、犬祖説話を伝達した虫媒のような存在だ。ベトナム中南部を中心に、長い間南シナ海全域に版図をたもったマレー系のチャムパ国は、犬祖説話を広めた虫媒の有力候補といえるだろう。
 海南島南岸三亜附近に小さなコミュニティーを形成するイスラム教徒はチャムパ人の末裔であり、黎族と隣り合って住んでいるのは興味深いことだといえる。マレー系であることでカラング族と一致し、分布地域にカトゥ族(やベトナム・カンボジア国境のスティエン族)を含み、黎族と接するのは、看過できない事実である。

ただ犬祖説話の確認ができない以上、チャムパ人がそれを広めたと断定することはできないが、かれらの海洋を股にかけた活動が説話拡散に一役買っている可能性は十分にある。そして人類に普遍的なエディプス・コンプレックスとあいまって、父殺し・母子相姦の犬祖説話が各地に広がったのではないだろうか。

 

V

オイディプス神話をもうすこし掘り下げてみよう。

オイディプスは両足の踵をピンで貫かれて山奥に捨てられたとき、「四本足の獣たちの住処へ放逐された」と吉田敦彦はみる。註一二 

つまり、「謎を解くべくスピンクスの面前に立ったとき、オイディプスは、外見的にはたしかに二本足だったにもかかわらず、すでにした父殺しと、謎を解けばたちまち不可避的に犯すことが定められている母子姦によって、内実のピュシス(nature)においては、二本足の人間に価するものではなくなり、四本足の獣とまさに同然の存在に化してしまっていた」

もしオイディプスが四本足の獣同然であるとするなら、オイディプス神話と犬祖神話には共通点が多々あることがわかる。

「病気を治した者には」(黎)「謎を解いた者には」()――「国王の娘を」(黎)「未亡人となった国王の妻を」(オ)――与えようという御触れが出る。そのとき病気を治した(謎を解いた)のは――「犬」(黎)であり、「四本足の獣同然の者」(オ)――だったのである。

 オイディプスも犬祖説話の始祖(犬と女のあいだの子)も、考えられうるもっとも非道な「父殺し」と「母子結婚」という二重の大罪を、知らぬうちとはいえ、犯してしまうのはなぜだろうか。

謎解きをしていたオイディプスは、王殺しの犯人がじぶんであることをつきとめ、獣と変わらない自己の正体を知って恥じ入り、おのれの目を潰してしまう。

テバイの災いはじつはオイディプスの罪の汚れによって起ったものだった。英雄であるべき王自身に災禍の責任があったのである。

犬祖説話にははっきりと語られているわけではないが、始祖が犯した罪の汚れによって災いが発生したと考えられる。世の中に洪水や旱魃、病気、事故があるのは、始祖が犯した二重の大罪のためなのだ。原罪のようなものである。

始祖は、神のごとき威力をもった犬(狼祖神話のオオカミと同等であろう)の血を引くだけでなく、あらゆる災禍を背負い込むことによって、より複雑なすがたの英雄でありえるのだ。

  

一 『神話伝承事典』(大修館書店)など

二 『昔話 研究と資料』4 (一九七五)所収

三 埴原和郎編『日本人と日本文化の形成』(朝倉書店 一九九三)所収

四 菊池一雅『インドシナの少数民族社会誌』(大明堂)

五 Nancy A. Costello Katu Folktales and Society』(一九九三)

六 松本信広『東亜民族文化論攷』(誠文堂新光社 一九六八)

  三品彰英『神話と文化史』(平凡社 一九七一)

七 大林太良編『日本神話の比較研究』(法政大学出版局 一九七四)所収

  生田滋『東南アジアの建国神話』

八 台北帝国大学言語学研究室編『原語による台湾高砂族伝説集』(一九三五)

九 慶世村恒任『宮古史伝』(復刻板 一九七三)

一〇『黎族民間故事選』(上海文芸出版社)

一一『Katu-Lao-English Dictionary』『黎語簡志』

一二 吉田敦彦『オイディプスの謎』(青土社 一九九五)