老いについて    宮本神酒男 

老いのことはキケロに聞け 

 古代の老いの権威といえば、共和制ローマ時代の作家にして政治家、マルクス・トゥッリウス・キケロ(BC106−BC43)である。厖大な著作のひとつ「老年について」という副題で知られる『大カトー』が後世にまで知られ、影響を与えてきたのだ。私は現代の哲学者アリスター・J・シンクレア(1960− )とともに、キケロについて考えてみたい。*シンクレアの著作は『老年、死、来世』(2014)。キケロとメーテルリンクをとくに取り上げている。

 『大カトー』は、84歳の大カトー(BC234−BC149)の口を借りて老年について語った、もちろんキケロ自身の老年観、死生観について述べたエッセイ(対話篇)である。

 シンクレアは、詩人ディラン・トマスと詩人バイロンの、死に抗(あらが)おうとする詩を例に挙げ、老年と不可避の死にたいして怒りまくるのは、まさに若者の特徴であると述べている。ディラン・トマス(19141953)もジョージ・ゴードン・バイロン(17881824)も、老年を経験せずにこの世を去っている。これら老年と死との戦いには、「老人の使い古しの脳ではなく、若くて創造的な心の知恵と献身が必要とされる」(シンクレア)のである。

 老年は探求され、利用されるべきものとキケロは信じていた。それとうまくやっていけば達成できるものがたくさんあるのに、避けられないもの(老化と死)にたいして戦いを挑むべきではないというのだ。そこにはむしろ喜びと楽しみがあるという。

 しかしキケロがこのエッセイを書いたのは62歳のときであり、死の前年である。大カトーは84歳という設定であり、トマスやバイロンといった夭折の詩人ほどではないにしろ、十分に老年を経験しないうちに書いているのだ。キケロはまだまだ楽天的にすぎたといえるかもしれない。

 エッセイ中の大カトーは、「老年が惨めなものと思われる4つの理由」を挙げている。(キケロー『老年について』中務哲郎訳をもとにした)

(1)老年は公の活動から遠ざける 

(2)老年は肉体を弱くする 

(3)老年はほとんどすべての快楽を奪い去る 

(4)老年は死から遠く離れていない 

 まず(1)に関してだが、老人には老人にふさわしい仕事があるというのが大カトー(キケロ)の主張である。高齢化社会を迎えつつある現代日本にそのままあてはめられるような提言である。大カトーは問う。

「老人の法律家はどうだ? 神祇官や鳥卜官や哲学者は?」

 そして自ら答える。

「彼らは歳をとっても何と多くのことを覚えていることか。熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる」

 何というポジティブ・シンキングだろうか。大カトー(キケロ)は例として、「非常な高齢に至って悲劇を作った」ソポクレースの名を挙げる。キケロによると、悲劇作りに熱中するあまり家政をおろそかにしたソポクレースを、息子たちは呆け老人として強制的に引退させようとした。つまり禁治産者にしようとしたのである。裁判でソポクレースは書き上げたばかりの『オイディプース』を読み上げ、呆け老人でないことを証明してみせたという。

 そもそも大カトー(キケロ)が例として挙げる人物が、現在にいたるまで名を残すほどの大詩人であり、あまりに特殊すぎるだろう。ごく普通の老人は高齢になって創作活動をすることなどなかなかできない。それにソポクレースが悲劇を書き上げたばかりというのが本当かどうか、あやしいところである。上述のカントのように、稀代の知性を誇った人物でさえ痴呆症になることがあるのに。

 (2)の体力についても、老人ならではの頑固ぶりを発揮して、大カトー(キケロ)は「今、青年の体力が欲しいとは思わない」と述べて、「何をするにしても体力に応じて行うがよいのだ」と結論づける。

 そしてクロトーンのミローンという最強のレスラーと謳われた男が、若い選手たちを見て嘆いたことを批判している。そして老いても愚痴をこぼさなかったとして、法律家のアエリウスを賞賛している。肉体の強靭さで名を成した者が体力の衰えを嘆いているのに、老齢を悲しまない法律家を引合いにだしても仕方がない気もするが。

 大カトーは、老年期の体力の衰えは、青年期の悪習の結果だと主張する。放蕩無頼の節度なき生活を送ると、弱り切った肉体を老年期へと送り渡すことになるという。つまり若い頃から鍛錬し、節制を守れば、老後に体力を温存することができるというのである。

 キケロはまた「耄碌と呼ばれる老人特有の愚かさ」について述べているが、この耄碌(deliratio)というのは、シンクレアによるとアルツハイマー症のことらしい。それをキケロは性格の弱さに起因するものとみなしていたのである。

 (3)の老年によって快楽が奪われてしまうことに関してだが、これは嘆くことではなく、むしろ喜ぶべきことなのだと大カトー(キケロ)は述べる。それは彼が快楽こそ悪徳であると考えるからだ。

 キケロはタレントゥムのアルキュータースという人物に語らせる。

「自然が人間に与える病毒で肉体の快楽以上に致命的なものはない。この快楽を手に入れるために、飽くことを知らぬ意馬心猿の欲望がかきたてられるからである」

 この欲望から「祖国への裏切り、国家の転覆、敵との密談」が生まれる。また「淫行や姦通やすべてのこの類の不品行」は快楽の誘惑によって焚きつけられるという。

 欲望が枯れて好々爺になることがそんなにすばらしいことなのかと、問いただしたくもなるが、大カトーは臆せず老年を賛美する。快楽は「熟慮を妨げ、理性に背き、精神の眼(まなこ)に目隠しをする」のだという。もし若いときに人並み以上に性欲や権力欲が強かったなら、老境にさしかかって欲望が消えたときには、ある種の喜びがあるのかもしれない。

「いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間を満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身とともに生きる、というのは何と価値あることか」

 大カトーは快楽を欲しがらなくなったことを喜び、節度ある酒席を楽しんでいるという。彼は飲食への意欲は持たなくなったが、会話への意欲は増した。

「先祖がはじめた宴会の司会者の制度、先祖の流儀で盃にあわせた左端の席から進んでいくスピーチ、クセノポーンの『饗宴』にあるような小ぶりでとくとくと注がれる盃、夏のワイン冷やし器、冬の太陽や暖炉、みな好きだ」

 と、大カトーはまるで詩人のごとくたくみに酒席を礼賛する。もちろんここに描写される老人はローマ帝政時代の理想的な貴族の老人なのであって、現代の孤独な老人にその姿がどれだけ参考になるかはわからない。

 とはいえ大カトー(キケロ)はじつは農夫たちの楽しみにも触れている。収穫ばかりでなく、大地そのものの力や本性が楽しませてくれるのだという。農事について語るときのキケロはまるで少年に帰ったかのようである。キケロは(もはや大カトーではない)葡萄の発芽、植え付け、撞木(しゅもく)挿し、吸枝、挿し木、根分け、取り木、水やり、溝掘り、鋤き返し、施肥など具体的なことを興奮気味に語る。

 たしかに現代での、庭の手入れや盆栽いじり、家庭菜園などは老人の最高の楽しみになっているかもしれない。歩けるうちにはゴルフもいい。これらは若い頃の快楽に取って代わるものとなるだろう。

 (4)の老年が死に近いということは、だれもがあまり考えたくないことだ。しかし大カトーは「何を恐れることがあろうか」と問う。

「死というものは、もし魂をすっかり消滅させるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続けるところ(原文はfuturus aeternusすなわち永遠の未来)へと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ」

若い者にも、死がやってこないという保証はない。

「それどころか、その年齢のほうがはるかに多くの死の危機に囲まれている」

 ある意味、青年より老人のほうがよい状況にあるという。

「あちら(青年)は長く生きたいと欲するが、こちら(老人)はすでに長く生きた」のだから。

 まあ屁理屈だが、もっともといえばいえなくもない。

 こうして死のことについて考えるうちに、まだ62歳のキケロは(翌年死去するので人生の終わりに近づいていた)84歳の大カトーの達観した心境に至ろうとしていた。

「自然にしたがって起こることはすべてよきことのなかに数えられる。とすると、老人が死ぬことは自然なことだろうか」

「青年が死ぬのはさかんな炎が多量の水で鎮められるようなもの、老人が死ぬのは燃え尽きた火が何の力を加えずともひとりでに消えていくようなもの」

「果物でも、未熟だと力ずくで木からもぎはなされるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ」

 この成熟こそ喜ばしいことだと、大カトーは結論づけたようなことを述べている。

そしてもはや「生を嘆くのはわしの気に染まぬ。生きてきたことに不満を覚えるものでもない。無駄に生まれてきたと考えずに済むような生きかたをしてきたから。そしてわしは、わが家からではなく旅の宿から立ち去るようにこの世を去る」という明鏡のごとき心境に達する。

 旅立ちのときはこのようにして、まことにすばらしいものである。

「魂たちの寄り集う彼(か)の神聖な集まりへと旅立つ日の、そしてこの喧騒と汚辱の世から立ち去る日の、何と晴れやかなことか」

 この一節には、おそらくキケロのこのように生を終えたいという願望とこれから起こることのいやな予感がこめられているのかもしれない。

 現実の世界ではカエサルが暗殺されたあと、その後継をめぐってマルクス・アントニウスと激しく争うことになり、翌年には刺客によって自らの命を奪われることになるのだから。当時としては63年という生涯は短くはなかったが、理想の寿命は大カトーのような84年と考えたのかもしれない。

しかしキケロは予言が当たったかのように、旅先で(厳密には亡命の途中で)死ぬ。その日は望んだ通りの晴れやかな日ではなかったろう。

 


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