「もう一生セックスすることはないのだろうか。だれかと2つのスプーンが合わさるみたいに寝ることはないのだろうか」
――禅の女性実践者が語る老いの哀しみと克服――
スーザン・ムーン『老いるということ』(2011)を読む
宮本神酒男
老境にさしかかるとは
老いは、男と女のどちらかにだけやってくるものではない。なのに、男は女も老いることを、女は男も老いることをよく知らないし、知っていても、どういうふうに老いるかまでは知らないか、あるいは知ろうとしない。禅の研究者であり実践者でもあるスーザン・ムーンが肉体の変化、精神面の変容、悩み、問題点、たのしみ、克服の仕方などについて忌憚なく、赤裸々に語ってくれることによって、われわれは女性の老いについてかなり理解できるようになった。
町を歩いているとき、ショーウィンドウにちらりと姿が映る。はじめ、それが自分だとは気づかず、自分よりすこし年をとっただれかだと思う。
50回目の同窓会に参加したとき、わたしは部屋を間違えたのかと思った。ここにいる老いぼれたちはだれなのだ? ひとりの白髪の老人の顔をじっと見る。それがわたしのおさげをいつも引っ張っていた男の子だと気づいて愕然とする。
人から見た自分と、自分が思っている自分との間にはズレがあるものだ。60歳の女性を見て、「60代かな」とわれわれはぼんやりした印象をもつかもしれないが、本人は50代に見えると信じているかもしれない。傾向としては、自分が考えるより、外見は年をとって見えるものである。「若く見える」などとお世辞を言われたら、本気で年齢より自分は若く見えると信じ込んでしまいがちである。男心にも意外と繊細なところがあり、若く見られると人にばかにされたように感じ、年上に見られると「老いぼれあつかいしやがって」と憤ったりするものだ。
もともとシングル・マザーで一度も結婚したことのないスーザン・ムーンが最後に長期間ともにすごしたパートナーと別れたのは、彼女が50代なかばのことだった。
わたしはたしかに目に見えない一線を越えてしまった。もうわたしに(女としての)市場価値はないのではないかと恐れた。
一線というのは、前章「モーロワのよりよく老いる技術」のなかで引用したコンラッドの「影の一線」とおなじで、この線を越えると老人の世界に入っているのである。このとき彼女は、肉体の変化を感じるようになっていた。
顔についた深い皺、あごのたるみ、手の甲の茶色いしみ、これらを気にしないわけにはいかなくなっていた。種としてのオスはこれらを見逃さず、瞬時に顔をそむけ、近くにいる若いメスのほうにちょっかいをかけているのである。
年をとると切実な問題となるのは、記憶力や知力の衰えである。「たしかブッダも年をとってからよく鉢(はつ)をどこに置いたかわからなくなったという」とスーザン・ムーンは述べている。この一節の出典は明確でないが、悟りを開いたブッダといえども、生身の人間である以上、晩年には老齢をひしひしと感じていたかもしれない。
膀胱とおなじように、年をとってわたしの知力は縮小してしまった。車をどこに停めたかわからなくなり、友人といっしょに探し回ることも何度かあった。
年をとって忘れやすいのは、人の名前である。
どうしても人の名前が思い出せないとき、思い出そうとするのをやめると、頭脳の屋根裏部屋から名前が「どうかしましたか」と言いながら、ひょっこりと姿を現すことがあった。
物忘れが激しくなると、生活に支障をきたすようになる。
スーザン・ムーンは自身の体験を語る。空港のセイフティ・チェックで、いつもは持ち歩かない贈答用のバター・ナイフをバッグに入れていたところ、係官に呼び止められた。結局機内に持ち込んでもいいということになり、安堵して飛行機に乗り、目的地に到着した。このときX線に手荷物を通す際、トレイにパソコンを置いたまま忘れて搭乗し、翌朝までそのことに気づかなかったという。これ以降、彼女は名前の入ったステッカーをパソコンに貼るようになった。
それからは日々何かを置き忘れるようになった。スーパーで買い物をするとき、財布をカートに置き忘れたことがあった。お茶を入れるとき、茶こしに茶葉を置く前に湯をそそぐことがあった。
孫娘がやってくるというので、彼女は同年輩の友人の女性にベビーベッドを借りようと電話をした。しかし相手が受話器を取った瞬間に、何のために電話をしたか忘れていたのである。彼女は友人にたずねた。
「わたしがなぜ電話をしているか、あなた、知ってるかしら?」
こういったことがつづいたので、彼女はさすがに心配になり、知り合いの彼女とおなじ60代の心理学者に相談した。「この年でしたら、よくあることです」と彼に言われ、一息つく。この年で一定の記憶障害が起こるのは、いたって健全なことなのだ。彼女はつぎのような結論を導きだした。
年をとればとるほど、あなたの人生のほとんどが過去のものとなっていく。そしてあなたの記憶はそのまま個人の歴史となる。
彼女はあきらかに軽度の痴呆症を患っているようだが、その予兆は20年も前にあらわれていた。
夜中に目覚めたとき、わたしは自分がどこにいるのかわからなかった。それはそんなにめずらしいことではなかった。旅をしているとき、わたしのような体験をしたことのある人もすくなくないだろう。しかしこのときは状況がちがった。
(……)わたしは未知の暗闇の空間のなかで何かが砕ける音を聞いた。「ここはどこなの?」とわたしは自分にきいた。しかしより深刻な問いかけを自分にしていた。「わたしはだれなの?」
私(宮本)はよく海外を旅していたので、旅先の宿で、あるいは帰国後の自宅で、夜中に目覚めた時にそこがどこであるかわからないことがしばしばあった。何年も暮らしている自分の部屋が一瞬別の見知らぬ部屋のように感じることもあった。しかしさすがに自分がだれか、と問いかけることはなかった。しかし彼女の体験談を読むと、「わたしはだれ?」は「ここはどこ?」からそれほど離れていないことがわかる。こうした体験は、だれもが将来老人性痴呆症を患う可能性があることを意味している。
禅の実践者としての老い
32歳のときから30年にわたって禅に親しんできたスーザン・ムーンも、老年に達すると、その実践法を変更せねばならなくなった。セッシン(接心)のとき、はじめて椅子に座って坐禅をおこなうことになったのである。
足を組んで蓮華座に坐ることに慣れてきた彼女にとって、それは当然抵抗感を覚えずにはいられないことだった。楽をして坐るのであれば、最初からそうすればすむ話ではないか。
その何年か前、坐禅仲間のひとりが膝の手術をしたあと、椅子に坐って坐禅をおこなうことになった。「どんな気持ちか」と彼女がたずねると、彼はこうこたえた。
「痛みが恋しいよ。それがないと、精神を集中するのがむつかしいんだ」
痛みというものは、じつは坐禅におおいに役立っているのだ。
「痛みがなかったら、坐禅をしているとき、何に集中すればいいの?」と彼女は自問した。
彼女の別の友人は、痛みを極限まで我慢して坐禅をしたときのことを語った。まさに極限に達しようというとき、彼は啓示を得た。突然、全宇宙が開かれ、すべてがすべてであることを示したのである。
「痛みなくして得るものはない」とその彼はのちに断言した。
禅の老師もまたつぎのように言った。
「もしいま痛みを避けるなら、年をとり病気になって、痛みを避けられないとき、どう対処するのかね? 痛みとどうやって生きていくか、学びたいと思わないか」
こうして痛みを覚えながら坐禅をつづけることを学んできた彼女にとって、椅子に坐るのはかえって苦痛であり、屈辱だった。
私(宮本)は怠惰なほうなので、実践体験は乏しいかぎりだが、インドやネパールでチベット仏教やボン教の瞑想コースを多少はためしたことがある。参加する外国人もさまざまなタイプの人がいるせいか、近頃は、蓮華座を強要しない風潮があるようである。できる人には蓮華座をすすめるが、老人や病人など坐るのが困難な人には、リラックスして好きなポーズで瞑想することを提案することが多い。
接心ではじめて椅子に坐ったとき、彼女はひとりでないことに気がついた。もしひとりなら、床に坐る人々のあいだに孤高として坐することになり、なんともきまりが悪いのである。このとき、終了が近づいていることを示すベルの音が鳴るのを祈らずにすんだはじめての接心となった。
老いとのつきあいかたを教えてくれたのは禅だった。たとえばキッチンで彼女はハサミを手に持って立っているのだが、なぜハサミを持っているのかわからなかった。しかし太陽の光がハサミの金属の刃に反射し、壁で踊っているのを見たとき、至福の喜びに満たされる。彼女はティック・ニャット(ナット)・ハンの言葉を思い出していた。
「本当の奇跡とは、いまこの瞬間めざめていることである」
彼女は心の底から声を出して言う。
若い人も、「無限の今」に深く浸り、超越的な瞬間を経験するかもしれない。それは何日間も瞑想をしているときかもしれないし、ハンググライダーをやっているときかもしれない。わたしはある部屋からある部屋にハサミをもっていくあいだに、それを体験することができた。
彼女はまた、友人たちとハイキングに出かけたが、思いがけない急勾配にさしかかったため、彼女ひとり山歩きを断念し、岩の上で休んだときの体験を語る。そのとき一枚の黄色い木の葉が舞いながら落ちてきた。
その木の葉がほかの木の葉の上に落ちるのを聞いた。木の葉がほかの木の葉の上に落ちる音をあなたは聞いたことがあるだろうか。
若いときなら聞き逃したであろうこのささやかな音を発見した喜びについて、彼女は語っているのである。彼女はこれを「年長者の瞬間(とき)」と呼んだ。年をとったからこそ鋭くなる感性もあるのだ。
老いてからのセックス
「もう一生セックスすることはないのだろうか。だれかとスプーンが合わさるみたいに寝ることはないのだろうか」
スーザン・ムーンはそう問いかけ、いま現在相手がいないので、すぐにそういう関係になることはありえないが、今後もずっとないかといえばわからないと自らこたえている。しかし同時に、もし自分がセックスを望んでも、だれも性的関係を持ちたがらないだろうとも述べ、揺れる感情を吐露している。
やはり皮膚のたるみが気になるのである。明るいところに出たくないとか、ナイトガウンは脱ぎたくないと考えてしまうのである。
いっしょに年をとった夫婦なら、お互い、ゆっくりとたるんできた皮膚のことはあまり気にならないだろうが、あらたに人と知り合うとき、ふたりとも皺だらけならば、話はまったく異なる。
彼女はもともと好きな人とセックスするのは好んだが、セックスをしなかったからといって、どうしてもしたい、とまでは思わなかったという。そのかわり人が恋しくなることはあった。
セックスがしたいと言うのは、ハイキング・シューズをはきたいと言うのと似ていると彼女は独特の表現で述べる。
わたしはパイウート峠に立ち、眼下の湖面に雲の影が横切るのを見ている。ハイキング・シューズがそこへ連れて行ってくれないかとわたしは願う。
セックスをしたいとは、わたしはけっして思わない。ひとりの人間からその部分だけを切り取るわけではないからだ。ベッドの上で横にいる人が本を読んでいたかと思うと、つぎの瞬間、その人はいびきをかいている。わたしが肘で軽くつつくと、いびきはやみ、静かな寝息に変わっている。
つまりセックスを含めたその人全体が好きなわけであって、セックスだけを切り取って好き嫌いを言うことなどできないということである。年老いた彼女が恋しくてたまらないのは、こういう男性との触れあいであり、セックスそのものではないのだ。
結局恋しいのは、生身の暖かい血なのだと彼女は言う。それに触れたり、触れられたりすることが、心の癒しになっているのだ。老人にとってその代替となるのはマッサージであったり、歯医者に行くことだったりするという。孫をあやすのも代わりになるだろう。ペットも十分に飢えを満たしてくれるだろう。
しかしそれらは心の通うセックスには及ばない。なぜならそれは親密さをもたらしてくれるからである。親密な相手がいれば、触れたり触れられたりする伴侶がいれば、その代わりを求める必要もないのである。