折々の  Mikio’s Book Club  

   宮本神酒男 

 

第3回 過去の未来 海野十三『三十年後の東京』 

 

 幼い頃、1999年7月になればこの世が終わる、もし終わらなくても世界規模の大災害が降りかかってくるのではないかと、漠然と考えていた。自分自身は夭折の詩人になるかもしれないと考えていたので、自分がこの世の終末を体験できるかどうかは実感として理解できなかった。

もちろんこれは五島勉著『ノストラダムスの大予言』の影響をモロに受けていたせいである。世界中がノストラダムスの予言のために大騒ぎしているだろうと私は思い込んでいたが、じつはここまで騒いでいたのは日本だけだということを、最近になって知った。

 五島勉の大予言シリーズ1作目が出たのが1973年なので、予言の「人類滅亡」は26年後のことだった。大ベストセラーになった要因のひとつは、この26年後という絶妙な時期があるだろう。

世紀の変わり目となれば、人々の不安感が増し、予言関連の本が巷にあふれ、新興宗教のリーダーたちがこの世の終わりをわめきちらすであろうことは、当然想像できることである。

 かといって100年後の予言のような話には、だれも興味を示さない。自分が確実に生きていない未来の話などどうでもいいのである。30年後の予言や予測となれば、想像するくらいならだれでもできるし、運よく覚えていれば、検証することもできるのだ。

 ジョージ・オーウェルが近未来小説を書いたとき、タイトルを『1984』としたのは、その年が1948年だったからだと言われる。数字の4と8を入れ替えただけだが、では1949年だったらタイトルを『1994』としたかといえば、そうではないだろう。『1994』なら45年後で遠すぎ、『1974』なら27年後で近すぎる、ということで36年後はかなり妥当な線なのである。

 当時、第二次大戦が終わり、東西冷戦の新しい秩序の時代がやってこようとしていた。ジョージ・オーウェルはスターリンのソ連に陰鬱な未来社会を見ていたのだろう。そのため『1984』は未来社会というより、冷戦の幕開けの時代を投影した社会小説になってしまった。1984年の時点を見ると、中国では文革が終わってから10年とたっていなかったし、ソ連は崩壊の兆しが現れていたものの、全体主義国家として恐怖政治を体現していたので、オーウェルの「予言」はある程度当ったといえるだろう。

 もし60年後の未来を「ネット社会」として描いていたなら、オーウェルはノストラダムス以上の予言者として歴史に名を残したはずである。しかしいまだかつて50年以上のちのことをはっきりと言い当てた予言はない。

 アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』(小説も映画も1968年)は革新的なSF小説(映画)である。80年代はじめ、このキューブリック監督の映画をはじめて観たとき、その未来ぶりは磐石で、百年後に見ても近未来のように見えるだろうと思ったものだ。90年代に観たときも、古い映画なのに、古さを感じさせないことに驚かされた。この映画の命は永遠かと思われた。

 しかしさすがに2001年を過ぎてから観ると、画面が劣化していることもあるが、たとえば船内の計器類とかハル(人工頭脳)などがあまりに前時代的で、未来としてどうしても見ることができなくなっている自分に気づく。

 挙げればきりがないけれど、『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』『ブレードランナー』『トータルリコール』といった近未来SF映画は、上映年から時間がたち、設定した未来が過去のものとなってしまっている。そうすると頭の中で変換しながら観るという面倒くさい作業をしなければならないのだ。

 

 海野十三(18971949)と書いてウンノジュウザと読むことを今日はじめて知ったくらいだから、その著作を読んだことはなかった。しかし漠然とジュール・ヴェルヌの日本版というべきSF小説の大家であることくらいの知識は持っていた。ジュール・ヴェルヌは小さい頃好きだった数少ない小説家のひとりだったのである。

 海野十三はおそらく日常的にも変わった人だったのではないかと思う。だから変わった小説を書くのではなかろうか。たとえば『生きている腸』という読者を困惑させる小説がある。これは実験のため取り寄せた腸(はらわた)をリンゲル氏液に入れて保存していたところ、ひとつの生命体のように動き出すという話。

 先月(2014年3月)、東京女子医大の研究グループがiPS細胞を使って心臓のポンプの働きをする筒状の組織を作り出すことに成功した、というニュースをTVで見た。試験管のなかで激しく脈打つ筒状の組織は、リンゲル氏液に入れた腸を彷彿とさせるものがあった。ここ最近見た映像のなかで、もっとも(往年の)SFっぽさを感じさせるものであった。

 さて、話を「過去になった未来を描いた小説」に戻そう。奇妙な話ばかりを書く海野十三の『三十年後の東京』(のち改題されて『三十年後の世界』)もそういった近未来小説のひとつである。

 冒頭は「昭和五十二年の夏は、たいへん暑かった」からはじまる。昭和52年(1977年)といえば相当昔のことのようだが、この小説が書かれた時期はその30年前の昭和22年(1947年)なのである。30年後の未来が37年前、というのはなんとも理解しがたい構図である。

 この年、日本アルプスの谷で直径3mの金属球が発見される。このなかから冷凍人間が取り出された。それは13歳の少年だった。彼は20年後(実際は30年後)世の中がどう変わっているか見たかったので、「冒険をした」のだという。

 世の中の変化を知りたがるのは少年ではなく、おとなだろう、と私は素朴な疑問を持った。しかし、これが少年向けの冒険小説だとしたら、少年の視線になるのは仕方ないことだろう。

 30年後、銀座は大きく様変わりをしていた。人々は原子爆弾を警戒して地下に住むようになったので、監視塔を除くと、林と草原しかなかったのである。

 この30年の間に大きな戦争が一度起こったが、いまは戦争をやめ、休戦状態にあるという。というのも、遠く宇宙から近づいてくる物体があり、それが異星人の来襲と思われるため、地球上で戦争しても仕方がないというふうに意識が変わったからである。

 少年は母親に会いたくなる。生きていれば80歳だという。もうこの世にいないのでは、と少年はなかばあきらめかけていたが、目の前に現れた老女は元気そうだった。彼女は心蔵病で死にかけたが、人工心臓によって健康的な生活を送っているという。

 しかしこの人工心臓、背中に背負った背嚢のようなものだという。科学技術が進んだのなら、心臓とまったく同じに見える人工心臓が作られてもいいような気がするが、それでは少年向けの小説にならないようだ。

 そのほか30年後の東京で見られるのは、「ビルのなかの農場」や特急列車で簡単にアメリカやヨーロッパに行ける「海底都市」などである。また羽田空港から月世界探検隊が10台のロケット艇に乗って出発することになっているという。

 67年前の近未来像というのは、やはり直線的な科学技術への信仰のようなものが反映されている。それはある程度順調に実現されてきている。たとえば半世紀前の漫画「スーパージェッター」のなかで主人公たちが使っていた未来の通信手段は、携帯として現実のものとなっている。

 しかしまったく予想されなかった進化の例としては、まずネットを挙げるべきだろう。われわれは半世紀前と比べ、瞬時に何万倍もの情報を入手することが可能になったのである。また瞬時に世界中の多数の人とコミュニケーションを取ることが可能となった。

 ということは、同様に、われわれは2044年のことを予測することも予言することもできないのだ。地球温暖化であれほど騒いでいたのに、30年後、氷河期突入が世界の大問題になっているかもしれないし、一番近い地球型惑星に有人ならぬ有ロボット宇宙船を飛ばしているかもしれない。「宇宙人が地球を攻撃してくる」とか「多数のUFO飛来」といったことはありそうではあるが、むしろダグラス・アダムスが『銀河ヒッチハイクガイド』に書いたように、「宇宙には地球型惑星が無数にあり、地球のことなどだれも興味を示さない」ことがわかるようになっているかもしれない。