折々の  Mikio’s Book Club  

   宮本神酒男 

 

第4回 女に逃げられる男に共通していること 中原中也『我が生活』 

 

 中原中也は「近所の詩人」である、文字通り。高校生の頃、私は自転車に乗って中也も在籍した高校に通っていた。ふだんは田んぼのなかを走ったのだが、帰り道に寄り道するときは、中原中也の実家や井上(聞多)公園のあたりを抜け、湯田温泉の湯煙のなかを走ることもあった。中也の老母が長生きして住んでいた実家は今では立派な記念館となり、井上公園は足湯もある観光歴史公園に変貌している。ネットを見ると、この公園は旧高田公園で、2012年に井上公園になったという。あれ、じゃ、昔のしょぼい(たしか石碑ひとつなかった)井上公園はなんだったんだ? 明治維新の功労者で長く外務大臣を務めた井上馨(聞多)の邸宅があった場所の公園だから、同一だと思うが。

 近所に住んでいた詩人だから好きだったのではなく、好きな詩人がたまたま近所に住んでいたのである。大学の偉い先生が推奨するような学識ある詩人でなく、心に直接ズンとくるような詩をうたう詩人だからこそ、敏感な時期の私は好きだった。だから、石碑に刻むにはもっともふさわしくない詩人だと思う。できれば刻んでほしくない、とさえ思うのだ。

 たとえばネットで井上公園のウィキペディアを見ると、園内の石碑に中也の詩が刻まれていると記されている。

これがわたしの古里だ。さやかに風も吹いている。

ああおまへは何をしてきたのだと吹き来る風がわたしにいふ。

 写し間違えなのか知らないけれど、旧仮名遣いが間違っているし、用いられた漢字が変えられ、もとの詩句が省略され、毒のない観光詩になってしまっている。もとの「帰郷」の後半はつぎのようになっている。(キンドル版『山羊の歌』を参照した)

これが私の故里(ふるさと)だ 

さやかに風も吹いてゐる 

    心置きなく泣かれよと 

    年増婦(としま)の低い声もする 

あゝ、おまへはなにをして来たのだと…… 

吹き来る風が私に云ふ 

 私が好きな中也の詩のひとつには、たとえば「臨終」と題された詩がある。

(略)

神もなくしるべもなくて 

窓近く婦(をみな)の逝きぬ 

   白き空盲(めし)ひてありて 

   白き風冷たくありぬ 

(略)

町々はさやぎてありぬ 

子等の声もつれてりぬ 

   しかはあれ この魂はいかにとなるか? 

   うすらぎて 空となるか? 

 京都に下宿しているとき、近くの窓に商売女の姿が見えたのだろう。きっとその女は純良な心を持っていたのだろうが、だれからも同情されることなく病死してしまう。神はこの女を憐れまないのだろうか。この詩が実際にあったできごとから生まれたのかどうかわからないが、中也はすぐ近くの他人の死を知ってこの世の無情あるいは無常について考えさせられたのかもしれない。

 今回『我が生活』という短いエッセイを読んで、バカという前置詞がつくほど中也がやさしい男であることを知った。思えば、中学生のときから何度も中也の詩を読んできたが、このエッセイを読むのははじめてだった。同棲していた女に逃げられたこと、逃げた相手の男が小林秀雄であることは知っていたが、そのことについて書いていたことは知らなかった。

 私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。 

 エッセイはいきなり自虐的なフレーズからはじまる。女が中也から略奪した男(小林秀雄)のところへ引っ越すとき、荷物を持っていくのを手伝うのである。なんというやさしい男だろうか。しかしそのやさしさが、疎まれた原因のひとつではないだろうか。小林秀雄は対照的にクールな男だったに違いない。中也は自分が馬鹿だとわかっているけれど、性格的にそうせずにはいられなかったのである。

 私は恰度、その女に退屈してゐた時ではあつたし、といふよりもその女は男に何の夢想も仕事もさせないたちの女なので、大変困惑してゐた時なので、私は女が去つて行くのを内心喜びともしたのだつたが、いよいよ去ると決つた日以来、もう猛烈に悲しくなつた。 

 ふられたくせして、男の夢想や仕事を理解しない女だから内心去っていくのを喜んだ、と思い切り負け惜しみを述べたそのすぐあとに、「猛烈に悲しくなった」と本心を吐露している。日本の文壇に名を残した詩人でなかったら、たんなるもてない男の気持ちをつづった日記としか思えないだろう。しかし、であるからこそ、わがことのように感じてしまうのである。逃げられた女が逃げて行く相手の男のところに行くのを手伝ってやる、まぬけな男。それはほとんど可能性がないとわかっていながら、わずかによりを戻してくれるのではないかという期待があるからである。実際、女はそんなやさしすぎる男に魅力を感じず、戻ってくるということはない。

 私はさよならを云つて、冷えた靴を穿いた。まだ移つて来たばかしの家なので、玄関には電球がなかつた。私はその暗い玄関で、靴を穿いたのを覚えてゐる。次の間の光を肩にうけて、女だけが、私を見送りに出てゐた。

 中也が冷徹にこのシーンを描写しているのは、そうしなければ悲しみがこみあげてきてしまって、抑えようがなかったからだろう。しかし抑えきれなくなった中也はこのあとの文章で気持ちを爆発させている。

 俺は、棄てられたのだ! 郊外の道が、シツトリ夜露に湿つてゐた。郊外電車の轍(わだち)の音が、暗い、遠くの森の方でしてゐた。私は身慄ひした。

 中也は下宿に戻り、ひとりでいることのつらさが身に染みてくる。いままでいっしょにいた女が男のもとに、しかも友人のもとにいると考えれば考えるほど、くやしくてたまらなくなる。

 とにかく私は自己を失つた! 而も私は自己を失つたとはその時分つてはゐなかつたのである! 私はただもう口惜しかつた。私は「口惜しき人」でああつた。

 中也に言わせると、新しい男は文学青年で、本を読むとその本の著者のように思いなす「知的不随児」であったという。女も男に影響されて、恋愛観も男の考え方を受け入れるようになる。中也にとって許しがたかったのは、彼女が中也の欠点を人に語ったことであった。この欠点があったがゆえ、彼女は迷ったすえ、いまの男を選んだというのである。その欠点がどういうものであったか、いまでは知るよしもないが、男にとってはこのくやしさに屈辱感もあいまって、気持ちのやり場に困ったことだろう。

 いよいよ私は、「口惜しき人」の生活記録にかかる。 

 という一文でこのエッセイは終わっている。ということは、中也はこのできごとをもとにして、私小説を書こうとしていたのである。中也はいわば自己の気持ちを赤裸々に語る天才だったので、書いていればすぐれた作品ができあがっていたのではなかろうか。しかしまもなくして、わずか30年の人生を終え、この私小説は取りかかることもなく終わってしまうのだ。この口惜しさが晴らされることなく、つまり文学作品に昇華されることなく終わってしまうのである。