折々の記 Mikio’s Book Club
キンドル0円本を中心とした読書日記
第8回 シャーロック・ホームズの生みの親は心霊研究の大家だった コナン・ドイル『スピリチュアリズムの歴史』他
『心霊学史』という題を目にしたとき、われわれは『魔術の歴史』を著した魔術師エリファス・レヴィのようなその道の大家が著した、心霊学の通史だと思うかもしれない。この本『スピリチュアリズムの歴史』を著したのがアーサー・コナン・ドイルであることを知ったとき、われわれはびっくりし、また動揺してしまうかもしれない。
シャーロック・ホームズのシリーズだけでも相当な分量があるので見落としがちだが、コナン・ドイル(1859−1930)はじつは類まれなる多作の作家だった。ホームズ・シリーズは全体の3分の1にすぎない。
シャーロック・ホームズの名を知らない人はいないだろう。これまでホームズは何度も映画化され、TVドラマ化されてきた。最近では現代に場面を移し変えたBBCのドラマ・シリーズ『シャーロック』が好評を博している。ローリー・キングの愛弟子シリーズなど、他の小説にもしばしば登場することがあった。その人気は誕生以来120年以上たった現在でも衰えることがない。
ホームズ以外で知られるのは、何度も映画化されたチャレンジャー教授シリーズ(長編3篇、短編2篇)の『失われた世界』(ロストワールド)くらいのものだろう。キャプテン・シャーキー・シリーズやジェラルド准将シリーズのほか、『亡命者』(The Refugees)などの歴史小説や『大ボーア戦争』(The Great Boer War)などのノンフィクション作品など挙げると大変な量になってしまう。これだけ多くの作品を書き、著名な作家だというのに、大半が忘れ去られてしまっている。
近年、ある種の人々から支持され、神扱いされるようになってきたのが、心霊研究家としてのコナン・ドイルである。しかし世間一般には、シャーロック・ホームズの作者が心霊研究者であることはあまり知られていない。錬金術師という一面が知られなかったアイザック・ニュートンもそうだが、メインの業績(ニュートンはニュートン力学を打ち立てたこと、ドイルはシャーロック・ホームズを作ったこと)が傷つく恐れがあるからである。コアなホームズ・ファンからすると、ドイルがオカルト作家呼ばわりされるのは我慢ならぬことなのだ。
シルバーバーチの霊訓シリーズの翻訳で知られる故・近藤千雄氏訳『コナン・ドイルの心霊学』に収められている2つの中篇エッセイ『新しき啓示(The New Revelation 1918)』と『重大なるメッセージ(The Vital Message 1919)』、また小泉純訳『コナン・ドイルの心霊ミステリー』(原題The Edge of
the Unknown 1930)といったところが、心霊学研究家ドイルの代表作である。(英文で前2著は0円本、後著は100円本)
これらのエッセイのなかで、ドイルが基本としているのは、魂の死後存続である。自動書記や霊媒が死者の言葉を語るのは、魂が死後も生きているからこそである。その根拠は何か、潜在意識のあらわれではないか、という批判に対し、ドイルはエドムンド・ガーニーやウィリアム・クルックス、アレフレッド・ウォーレスなど著名な科学者の実験や体験をもとに反駁していく。
心霊学シリーズの総集編ともいうべき作品が、『スピリチュアリズムの歴史』(The
History of Spiritualism 1926 英文99円)である。1848年のフォックス姉妹のハイズビル事件以来、アメリカや英国をはじめ多くの国で交霊会が開かれ、さまざまな心霊現象が見られるようになったが、1920年代当時、その歴史をまとめた本はまだ誰にも書かれていなかった。もっとも早くに現れた心霊学史として、『スピリチュアリズムの歴史』は評価されるべきである。
ところが実際、この本はほとんど世間から忘れ去られてしまっているのだ。その要因は、シャーロック・ホームズ好きのコナン・ドイル・ファンのほとんどが、できればなかったことにしたいと思っている著作だからである。独創性あふれるシャーロック・ホームズの生みの親が、オカルト崇拝者だなんて、ファン心理からすれば耐えきれないことだろう。たしかに、ホームズを書けるのは世界でコナン・ドイルただひとりだが、心霊学史を書くことができる人ならドイル以外にもいるだろう。
『スピリチュアリズムの歴史』に何が書かれているかを知るために、手っ取り早い方法として、その目次を見てみよう。
<1巻>
第1章 スウェーデンボルグの物語
第2章 エドワード・アーヴィング シェーカー教徒
第3章 新しい啓示の予言者
第4章 ハイズビル事件
第5章 フォックス姉妹の生涯
第6章 アメリカにおける初期の発展
第7章 英国における夜明け
第8章 ひきつづき英国における発展
第9章 D・D・ヒュームの生涯 *綴りはHomeだがヒュームと発音
第10章 ダヴェンポート兄弟
第11章 ウィリアム・クルックス卿の調査(1870−1874)
第12章 エディ兄弟とホームズ家
第13章 ヘンリー・スレードとモンク博士
第14章 スピリチュアリズム(心霊主義)の総合的調査
<第2巻>
第1章 エウサピオ・パラディーノの生涯
第2章 1870年から1900年にかけての偉大な霊媒たち チャールズ・H・フォスター マダム・デスペランス ウィリアム・エリントン ステイントン・モーゼス
第3章 SPR(心霊現象研究協会)
第4章 エクトプラズム
第5章 心霊写真
第6章 口寄せとその器
第7章 フランス、ドイツ、イタリアのスピリチュアリズム
第8章 現代の偉大な霊媒たち
第9章 スピリチュアリズムと戦争
第10章 スピリチュアリズムの宗教的側面
第11章 霊能力者が見る死後の世界
こうしてみると、本書が『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の延長線上にあるが、より体系的、より具体的になっていることがわかる。前2著で触れなかったスウェーデンボルグ(1688−1772)を巻頭に持ってきているのは、心霊学史の構成を考えたとき、あらためてその偉大さに気づき、スピリチュアリズムにおけるその先駆性と影響力を再評価しようと考えたのかもしれない。
スコットランドの聖職者エドワード・アーヴィング(1798−1834)もまた、ドイルがそれまで触れてこなかった重要人物である。アーヴィングはもともと聖書の予言に強く惹かれていて、彼の説教は次第に終末論的になっていった。ドイルによると、1831年7月、彼の集会に参加していた何人かの信者が、礼拝室や奥まった部屋で彼らに霊が降りる様子を目立たないように披露するようになったという。こうしてアーヴィングはスピリチュアリズムを理解するようになった。
コナン・ドイルが紹介する霊媒のなかでも、もっとも気に入っていたのはダニエル・ダングラス・ヒューム(1833−1886)だろう。没後に出版されたマダム・ヒューム(2番目の夫人)著『D・D・ヒューム その生涯と使命』の序文を買って出たほどである。ヒュームはその生涯を通じて、言葉は悪いが、しっぽを出さなかった。ドイルにいわせれば、それは彼が本物の霊媒だったからである。しかし同時に、彼ほど毀誉褒貶が多い霊媒もいないだろう。ドイルは序文で「人類、とくに英国民は彼にあやまらなければならない」と述べている。つまり、まるでカリオストロと同類であるかのように山師扱いしたが、物質主義的な攻撃にもめげず、「魂の不滅」を証明してみせたと賞賛している。
前2著になく、この本の1章をさいている重要なテーマは「スピリチュアリズムと戦争」である。ドイルは「1914年まで多くの人はスピリチュアリズムという言葉を聞いたことがなかった。この年、突然死の天使が家に舞い降りたのである」と述べる。
ドイルはそれ以前から霊的な現象に興味を持っていたが、第一次世界大戦を境に大きくその方面に傾斜していった。なぜなら彼自身、息子、妻の弟、妹の夫、甥二人を戦争で失ったからである。彼が死後存続という考えに固執するようになったのはこの時期からのことである。あの失われた世界(ロストワールド)を探検したチャレンジャー教授さえ、『霧の国』(The Land of Mist 1926)ではスピリチュアリストに転向するのだ。シャーロック・ホームズがスピリチュアリズムに改宗してもよかったのだろうけれど、さすがにシャーロキアンを怒らせるわけにはいかなかったようだ。
*ちなみにキンドル版では、チャレンジャー教授シリーズ全作品(『失われた世界』『毒ガス帯』『霧の国』と短編『分解マシーン』『世界が叫ぶとき』英文)が収められて99円である。
チャレンジャー教授が今回冒険のために向ったのは、ギアナ高地がモデルとされる「失われた世界」ではなく、交霊会が行われていた身近な心霊教会だった。教授ははじめそれをナンセンスだと思ったが、次第に霊の存在や死後の存続をを確信するようになる……。『霧の国』は心霊学を唱道するとても奇妙なオカルト小説である。シャーロック・ホームズの作者が到達した地点がここだというのは、ある種感慨深いものがある。
スピリチュアリズムにどっぷりと浸っていた頃、ドイルは『妖精の出現』(The
Coming of the Fairies 1921)という不思議なエッセイを書いている。これは少女たちが妖精とともに写っている何枚かの写真をもとに、その真実性を訴える内容の本だ。現代のわれわれの目からすると、紙でこしらえた(雑誌を切りぬいたものであることがわかっている)妖精と写った写真であり、信憑性を問うほどのレベルに達していない。偽物、作り物はたしかに多いが、スピリットや妖精は実在するというのがドイルの基本的な姿勢だが、これもまた、偽写真だとしても妖精は存在するということなのだろうか。なおこのドイルが少女たちを擁護した「コティングリー妖精事件」をもとに映画化したのが「フェアリーテイル」(1997)である。映画自体は妖精の実在を前提とした美しい作品である。
心霊主義に没頭するコナン・ドイルに対して批判的な声が多かったのも事実である。奇術師フーディーニもそのひとりだった。ふたりは1920年に出会い、親交を深めるが、1922年に関係に亀裂が入る。フーディーニは気乗りしていなかったが、ドイルは自動書記による交霊会に彼を誘った。霊媒(コナン・ドイル夫人だった!)を通してメッセージを伝えてきたのはフーディーニの母セシリアだった。
しかし霊媒が紙の上方に十字を書きいれたいたことから、フーディーニは疑念を持つようになる。母は、つまりフーディーニはユダヤ人であり、キリスト教の十字架を書くはずがなかったのだ。しかも「母」はドイツ語でなく、話せるはずもない英語でメッセージを書いたのである。こうした疑念を手紙などに書いたことがドイル夫妻に伝わり、彼らの仲違いは決定的になった。ドイルはもともとフーディーニの奇術が好きで、仲違いしたあともフーディーニのことを賞賛し、彼がずばぬけた超常的能力を持っていると口にしていた。一方のフーディーニはすべての霊媒がイカサマだと考えていた。彼らのトリックなどすべて簡単に見破れると考えていたのである。*以上、トゥイ・サザーランド『フーディーニとは誰なのか』(英文 2002)参照
現代のわれわれからすれば、新しい時代を切り開くとドイルが考えたスピリチュアリズムはその後停滞し、科学からはほど遠い存在になってしまった。近年の霊能力ブームも、あくまでブームであり、ドイルが訴えた実在性を示す証拠となるものではない。とはいえ、オーラのようなものは本当にありそうだし、死後の魂の存在も否定されたわけではない。霊媒を通じた死者のメッセージもすべてがイカサマとはいえないだろう。科学からは離れてしまったとはいえ、人間の心はまだまだ心霊現象の存在に希望を抱いているのである。