折々の  Mikio’s Book Club  

  宮本神酒男 

 

16回 チェシャー予言者ニクソンの究極の予言とは 
作者不詳『ロバート・ニクソン、マザー・シプトン、ジプシー・マーサの予言』 

 

 英国のチェシャー州という地名を知らなくても、チェシャ猫の名に覚えがある人なら少なくないはずだ。『不思議の国のアリス』に出てくるあのにやにや笑う猫である。「grin like a Cheshire cat」(わけもなくにやにや笑う)という成句になるほどこのにやつく猫は有名だ。
*辞書にはこの成句は『不思議の国のアリス』のチェシャ猫が由来と説明されているが、チェシャ猫のほうが慣用句から生まれたキャラである。なおルイス・キャロルはチェシャー州出身。

 チェシャー州で有名と言えば(いや、さほど知られていないかもしれないが)、チェシャー予言者と称されるロバート・ニクソン(1467?―?)を思い浮かべる人もいるだろう。17世紀はじめに生まれたという説もあるくらいだから、実在したかどうかもそれほどたしかではない。この作者不詳の『ロバート・ニクソン、マザー・シプトン、ジプシー・マーサの予言』(17世紀?)はこのニクソンのほか、その名が冠された洞窟が観光名所になっているマザー・シプトンやジプシーのマーサなどの伝記や予言が抄録されていて、とても貴重な書籍である。

 エドワード4世の7年目(1467)に生まれたニクソンは、早くに両親と死別し、年の離れた兄に面倒を見てもらっていた。彼は小さい頃から素朴で、めったにしゃべらず、ときたま話すとその声は荒れて痛々しかった。彼はおどろくほど皮肉屋で、話すことは予言的な意味を含んでいた。

 この時期、ヴェイル・ロイヤル大修道院の僧がニクソンを怒らせたことがあった。彼は怒りをこめてつぎのような謎めいた歌をうたった。

高く矢(arrow)を放ったなら 
すぐにワタリガラスの巣に達するだろう 

 この大修道院の最後の院長の名はハロウ(Harrow)だった。トマス・クロフト卿の前に呼ばれたハロウはヘンリー8世の優越性を否定したため、死刑に処せられたという。国王は大修道院を弾圧し、その所領をこの騎士(クロフト卿)に分け与えた。そして以後彼の子孫はワタリガラスの紋章をかかげるようになった。ニクソンの二行の歌はこうしたことを予言したのである。なお矢のアロウは院長のハロウを暗示していた。

 のちにニクソンはノートン修道院とヴェイル・ロイヤル修道院はアクトン橋で会うだろうと予言した。それは一種の戯言のように当時の人々は考えた。しかし橋の修理のためにこれらの修道院から石が抜き取られて使われたのである。

 もっとありえないと思われたのは、修道院の庭の小さな茨(いばら)がドアに使われるだろうという予言だった。茨の木は小さくて、木材として使われるほど大きくなることはなく、材質も適していなかった。この本の作者はここで「宗教改革」による破壊がいかにひどかったかについて滔々と(怨みを込めて?)詳しく述べている。このときに、迷信を除去せよ、偶像を破壊せよ、との号令のもと、宗教的熱狂によって聖なる書や建築物、貴重な記録などが灰燼に帰してしまったのである。この破壊衝動の波はヴェイル・ロイヤル大修道院にも達し、この茨の木も切られ、放牧されている羊が入るのを防ぐための柵としてドア(入り口)に置かれたのである。

 予言者ニクソンの名をもっとも高めたのは、リチャード3世とヘンリー7世の戦いに関する予言である。彼は田を耕しているとき、突然牛を止めて、鞭を振って左のほうと右のほうを指し、数度叫んだ。

「さあ、リチャード! さあ、ハリー!」 

 それから彼はこう言った。

「さあ、ハリー、その溝を取れ! そしたら勝ちだ」

 犂を持つ係の男は驚いて、帰宅したあと吹聴し、そのことはまわりに知れ渡った。しばらくして国王の使者がこの界隈にもやってきて、戦争が終わり、ヘンリーが国王の座に就いたことを宣言した。各地方を巡回して戻ってきた使者はこの予言のことを国王に報告した。愚者の口から神の摂理が発せられたことに興味を持ったヘンリーは、使者をもう一度やってニクソンを連れてこさせようとした。

 その頃ニクソンはオーバーの町にいたが、狂人のように町中を走り回り、「国王に呼ばれた」しかし「宮廷に行くとそこで黙らされる(clammed up)ことになる」と叫んだ。黙らされるとは、餓死して死ぬということである。それは真剣に受け取られず、町中の人から冷笑を浴びた。みな、国王はあれほど賢いおかたなので、こんな汚くて鼻水を垂らしているような愚か者を宮廷に呼ぶことはないだろうと相手にしなかった。

 しかししばらくすると本当に国王の使者がニクソンを探しにきたのである。だれもが驚愕し、彼の予言能力は見直されることになった。ところが本人は宮廷に行くと、そこで餓死することになると考えていた。

 ニクソンが宮廷に着くと、国王は予言者の力量を試したくなった。国王はふだん着けている高価なダイアモンドの指輪を宮中のあらゆる人に見たかどうか聞き、それから隠し持った。王はニクソンに「なくなったものが何であるか言うてみよ」と問うた。ニクソンは古いことわざを用いて答えた。

隠した者のみが見つけられる 

 国王は予言者を試しただけだったので、この答えで十分だった。

 さて国王はニクソンが餓死を恐れていると知っていたので、自由に宮中を移動してよいと告げた。台所にいれば、餓死することなどありえないだろう。専用の役人を置くほどの念の入れようだった。

 しかし国王が狩りに行くとき、ニクソンは宮中に残されることになった。もし残して狩りに出かけたら、二度と生きている姿でお目にかかることはないと訴えたが、願いは受け入れられなかった。なぜならそのために専用の役職を置いたのだから。

 専用の役人はしかし、国王が門から出ていくと召使いたちがニクソンをばかにしたり、いじめたりするのではないかと考え、ニクソンをクローゼットに閉じ込めてしまったのである。これは役人がよかれと思ってしたことであり、それが予言の成就につながるとは夢にも思わなかった。その頃おりしも国王から役人にすぐ国王のもとに駆けつけるよう命令が下った。役人はあわてて出てしまったので、ニクソンをクローゼットに閉じ込めているのを忘れて宮廷を出てしまったのである。数日後、宮廷に戻ったとき、役人はニクソンが餓死しているのを発見する。

 予言というものはつねにパラドックスを含んでいる。このニクソンの場合でも、ニクソンがすぐれた予言者なら、その予言はかならず当たるということになり、どんなにあがいても餓死する運命は免れないということになる。もし免れたなら、予言者としてはたいしたことない、ということになってしまう。予言が当たっても当らなくても、ニクソンにとっては悲劇的な結末にならざるをえない。これぞ究極の予言である。

 たとえばサイババは90歳を過ぎて死に、その後生まれ変わると予言していたのに、84歳で死んだ。これは予言がはずれたということになるが、それでサイババの評判は地に堕ちただろうか。もし90歳まで生きていたら、本人はどう考えただろうか。予言が成就するために、早く死ぬべきだと考えただろうか。

 そしてもちろん、ロバート・ニクソンが創られた存在である可能性を完全に捨て去ることはできない。上述のように、ニクソンは宗教改革(16世紀)の前段階の時期を生きたのであり、カトリックのシトー会に属していたヴェイル・ロイヤル大修道院(12701538)を守った貴族から生まれたのかもしれない。また、18世紀のジャコバイトの反乱(17151745年)とつながる潮流から生まれたという見方もある。その場合、ニクソンの予言はジャコバイトとも無関係ではないだろう。そうするとニクソンの予言は後世の人々にとって都合のいい予言ということになるかもしれない。


 この書にはロバート・ニクソンの予言詩が収録されているので、その一部を紹介したい。このなかにたとえば、

リンカンがかつてそうであり、ロンドンが今そうであるように 
ヨークが三つのなかでもっともすばらしい都市となるだろう 

という一節がある。
 リンカンはリンカンシャー州の州都であり、いまでは歴史を感じさせるもののあまり目立たない町だが、昔は宗教的にはリンカン司教を擁するイングランドの中心地だった。そしてロンドンを現在の大都市としているのは当然としても、未来の大都市としてヨークを挙げるのは奇異である。ヨークとはニューヨークのことだろうか。そうだとすれば現代の世界の中心ニューヨークを予言していたことになる。しかし一方で、もっと最近になって創られた(偽造された)か、改竄されたかもしれないという疑念も生じてくることになるだろう。


⇒ ロバート・ニクソンの予言詩