レコン民俗誌

 

 

レコンの社会と文化

 レコンを含むアムドの農業区(ユル yul)は、古くから戦略的農業基地として発展してきた。農民(ユルパ)と、遊牧区(ドク 'brog)の遊牧民(ドクパ)とは、生活様式ばかりか、身体的特徴や言語にも違いが生じている。

農民の思考法が遊牧民のそれと異なるのは当然のことであり、祭礼(ルロル祭)にもそのことが反映されている。

しかし、レコンで実地調査してみると、農民とはいっても、中国大陸の農民とはずいぶんおもむきがちがうことに気づく。定着農耕民でありながら、かならず若干の遊牧民的な家畜を所有しているのである。まるで定着する前の遊牧民の頃の名残であるかのように。かつて屯田兵が定着する場合も、牧畜兼業農民であったと思われる。それがレコンのチベット人のもっとも一般的な生活形態だった。註1

 この章ではレコンの定着農耕社会について述べたい。重点的に調査した部落は、チベット人の部落としてサフチ(Sad dkyil 約200戸 約1100人)、テウ(The bu 67戸 370人)、ソグル(Sog ru 90戸 675人)、マパ(sMad pa 115戸 670人)、ロンジャ・マル(gLing rgya ma ru 82戸 560人)。

土族の部落としてニェントフ(gNyan tog 350戸 2300人)、トルジャ(Tho rgya 170戸 245人)、またかつては土族、現在は蔵族に分類されるサンゲション・ヤンゴ (Seng ge gzhong ya 'go 128戸 765人)の八部落である。2