ボン教

 「ボン教はチベット土着の宗教である。仏教の影響を強く受けながらも、今日まで生き残った」とトゥッチは説明する。じっさいのところ、仏教の影響を受ける以前の「原ボン教」を復元するのは、ナンカイ・ノルプらの飽くなき探求をもってしても、なお困難だといわざるをえない。

トゥカンラマ三世の分類法によるボン教の三段階「ドゥルボン(出現したボン)」「キャルポン(派生したボン)」「ギュルポン(変容したボン)」でいえば、レコンのボン教もチベットの他の地域と同様、チベット仏教、なかんずくニンマ派ときわめて似た宗教形態なのである。

 レコンにおいて、ボン教と仏教、民間信仰の関係はどのようになっているのだろうか。ダライラマ14世のように「ボン教は仏教の5番目の宗派」と捉える傾向があるが、私が話をしたレコンのチベット人の大半が「ボン教は法を知らない」などと非難したり、蔑視したりした。

 民間信仰の代表ともいえるルロル祭は、一部をのぞいてボン教とは関わりをもたない。むしろ仏教と密接な関係にある。僧侶がルロル祭に参加したり、観覧したりするのは基本的に禁じられてはいるが、一般の村人にとっては仏教信仰活動の範疇なのである。仏教と対極にあるように思えるシャーマンであるハワも、そのロンウ寺との関係は、ネーチュン・クテンとデブン僧院の関係に比せられる。ハワやネーチュン・クテンは仏教の敵ではなく、守護者なのである。そしてユハ(山神)もまたパドマサンバヴァによって調伏されて以来、仏教の強い味方なのだ。こうした民間信仰的なものは、すくなくとも現時点ではボン教とはいっさい関わりがない。調伏される前のユハがボン教の神であったかどうかはさだかではない。

 レコンのボン教の支柱は市街から南へ20キロ下った曲乎郷のムフサ寺(dmu gsal sgar)である。1994年に改修されたが、もとの寺殿は15、6世紀に建立された。現在の活仏はオンジャ九世(Bon brgya dGe legs lhun 'grub rgya mtsho 67歳)である。レコン内だけでなく、周辺からも多くのボン教徒が参拝に訪れる。

 おもなボン教村はつぎの五つ。

 ホルナク(黄乃亥 Hor nag)ジツァン(吉倉 dKyil tshang)ジャンリ(江日 sKyang ri)マパ・チョンウ(麻巴群吾 sMad pa 'khung bo) ランジャ・サソマ(浪加沙索麻 gLing rgyal sa so ma

 最大イベントであるチャム(宗教仮面劇)は、これらの村で順繰りに正月5日~8日と10月8日~11日の年二回、開催される慣わしになっているが、2002年正月は、ランジヤ・サソマから山を上って二時間ほどのダルジョン村(Dar grong 海抜3千メートル)でおこなわれた。この村に番がまわってくるのは三年に一度ほどだという。

 ダルジョン村の特筆すべき点は、ボン教徒と仏教徒が同居していることだ。32戸、260人ほどの小村だが、そのうち18戸が仏教徒(ニンマ派)の家族である。両者のあいだに婚姻関係は普通におこなわれており、結婚しても相手の宗教に改宗することはない。ある西寧で学ぶ大学生の青年(22歳)の場合、八人兄弟のうち二人はボン教徒、二人は仏教僧、二人教師、二人農民。二人の姉妹は学生と主婦。兄弟のなかにボン教徒と仏教僧が含まれることに注目したい。