ロヒンギャ(イスラム教徒)と仏教徒のあくなき報復合戦      宮本神酒男

 最近(2012年6月)またもロヒンギャ絡みのニュースが紙面をにぎわすようになった。ミャンマー西部のラカイン州を愛する者にとって、この世界一不幸な人々、ロヒンギャの動静を黙過することなどできない。ラカイン州のバングラデシュ国境に近いマウンドーやブティタウンなどで「イスラム教徒(ロヒンギャ)と仏教徒の復讐合戦」が勃発し、6月15日時点の集計では29名の死者が出て、2500以上の家屋が焼失し、3万人もの人々が避難せざるをえなくなったという。(6月27日には国境に近いバングラデシュのコックス・バザールなどで大きな水害・土砂災害にみまわれた)

 ニューヨーク・タイムスによると、ミャンマーの民主化が進み、インターネットが開放されたことにより、ネット上に「犬」「盗人」「テロリスト」といったロヒンギャに対する憎悪の言葉の数々が爆発的に蔓延することになった。国民の90%が仏教徒であるミャンマー人にとって(カレン族やカチン族、チン族、ナガ族など少数民族の多くはキリスト教徒だが)イスラム教徒(4%)の、しかも国籍をもたないロヒンギャは、インターネットを見るかぎり、「外国人」であり、敵なのだ。欧米や日本の投資を呼び込みたい現テイン・セイン政権にとって、ロヒンギャ問題は獅子身中の虫となりつつある。ジュネーブでメディアの質問を受けたアウンサン・スーチー女史も「すべての人は国籍をもつ権利を有する」といったやや曖昧な表現をするにとどまった。

 今回の騒動のことの発端は、5月、仏教徒の少女がイスラム教徒(ロヒンギャ)の男たちに襲われ、殺されたことだった。翌月3日、バスから10人のイスラム教徒が引きずり降ろされ、殺される。仏教徒側の復讐である。すると8日、怒ったイスラム教徒の群衆が仏教徒の村を襲撃し、数人の死者を出した。復讐の連鎖が終わる気配は今のところない。(7月3日のロイター発の記事によると、イスラム教徒10人殺害に加担したとして30人が検挙された) 

[追記] 
 2012年10月末の10日間、ロヒンギャ(ロヒンジャ)に対する民族浄化がおこなわれ、89人の死者が出るとともに3万人近くのロヒンギャが家を失ったという。衛星写真の解析からもたらされた情報によれば、ラカイン州チャウピュー(チャウプル)のムスリム地区は整然と、計画的に焼き払われ、600の家屋と200のハウスボートが灰燼に帰した。本文で述べたように(「マグ人とカマンチ」)、1660年、ムガル帝国のベンガル太守シャー・シュジャとともに亡命してきた人々はチャウピューがあるラムリー島に定住したという。おそらくずっと以前からベンガル系イスラム教徒のコミュニティーが存在していたのだろう。

 今年(2013年)の正月、タイのボン島(プーケット島の沖合)で避難先を求めていた73人が乗ったボートをタイ政府がミャンマーへ追い払おうとして、国際的な非難を浴びた。2008年、2009年にも、数百人のロヒンギャ難民を海上に駆逐し、その結果多数の死者が出ている。タイ政府はかつては難民を受け入れたが、これ以上の近隣諸国からの労働者を望まない方針を打ち出しているのだ。ミャンマーでは国籍が認められず、タイには拒絶され、バングラデシュやマレーシア、インドネシアも難民が飽和状態にあり、ロヒンギャ難民の状況は依然として改善されていない。

*2016年10月9日、ロヒンギャの地域で警察施設3か所が襲われ、9人の警官が殺害されたという。許しがたい事件ではあるが、これをきっかけにまた血なまぐさい応酬合戦がはじまらないことを願うばかりだ。


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