ロヒンギャ:ミャンマーの知られざる虐殺の内幕  

3 民主主義への回帰(20082015) 

マバタ(MaBaTha) 

 懸念されたのは、過激民族主義者の仏教徒グループが大衆デモを組織するだけでなく、国の教育システムを管理しようとしていることだった。つまり国の日曜学校に副読本を提供しはじめたのである。このテキストはマバタ(MaBaTha)、すなわち民族宗教保護機構が作ったものだった。このグループは他の宗教に対して差別的だった。

 マシュー・ウォルトンが記すように、このことは、仏教徒が民衆からどのようにとらえられているかに関して、複雑な状況があることを示している。ミャンマーでは多くの人にとって、この手の学校はなくてはならない存在だった。というのも、彼らにとって反イスラムのメッセージを教えることより、仏教の教えのほうが重要だったからである。原則的にマバタは、脅威と感じさせるものから仏教を守ることに重点を置いていた。そもそも年長のメンバー全員が、指導層が推進する暴力的な反イスラム・メッセージに賛同しているわけではなかった。それにもかかわらず、宗教的に触発されたこのグループの核となるメッセージは、寛容なものではなかった。仏教がイスラム教の脅威にさらされていると主張していたのである。

 マバタは969運動と結びつき、「仏教徒のものを買おう」キャンペーンをおこなって、ムスリムのビジネスをボイコットしようとした。この目的を達成するために、マバタは政治的に方針を変え、差別が法律の枠内に収まるように、国会でUSDPと同盟を結ぶことにした。「仏教徒のものを買おう」キャンペーンは、国のサポートを得ることができた。しかしUSDPは潜在的な選挙民を動揺させたくなかった。

 このことは、ムスリムが経営している場合が多い食肉処理場を閉鎖するキャンペーンに波及していた。このキャンペーンのもとをたどると、ミャンマー中の牛をムスリムが食べてしまうのではないか(またこのように農業に害を与えるのではないか)という恐怖から生まれたものだった。ラカイン北部のラブッタ(Labutta)で、マバタの圧力のもと、地元当局はまず地元農家が牛をムスリムの食肉処理場に売らないように試みた。そしてつぎに食肉処理場のライセンスの発行を拒否した。

 これらはムスリム共同体の生活や宗教活動に大きなダメージを与えた。過激民族主義者にとって、これはムスリムに攻撃を加えているのではなく、ムスリムの宗教的実践が、仏教が受け入れられるものではなかったからである。「我々はムスリムのビジネスを意図的に狙っているわけではない。彼らは、これがいかにメリットを得るのに役立っているかと信じながら、動物を殺している。これが我々と彼らとの異なっている点なのだ」。ごく自然に一部の過激派民族主義者はさらに進み、ムスリムが食肉処理場を経営できるのは、「彼らが我々の喉をいかに切るか、練習しているから」である。

 マバタはまた、方針にあえて反対の意見を叫ぶ仏教徒に対する威嚇のキャンペーンに関わってきた。アウンサン・スーチーは非難の対象にはならないという西欧の大前提に関して、仏教はもともと威嚇的ではないという見方に疑義をはさむ必要があった。すべての宗教とおなじく、多くの人に多くのことがある(人それぞれ)ということであり、寛容でありつつ公正であり、ときには過激主義に傾くこともあった。ミャンマー、スリランカ、タイでは、宗教が民族性と混同されることがあった。それが、異なる宗教の信者やエスニック・グループに対する暴力を正当化するため、過激主義者によって口実として利用されたのである。

 目下のところ、政府も、野党も、過激民族主義仏教徒に対して立ち上がろうとしているとは聞いたことがない。両者とも、過激民族主義グループの僧侶たちと関係を持っているという。あるビルマ人ジャーナリストはつぎのように記している。「わが国には二つの強力な組織があります。軍隊と僧侶の団体です。これらは愛国主義と宗教を推進します。それはメディアの報道に影響を与えるのです」

 現時点でも、仏教徒コミュニティの間のロヒンギャに対する偏見は根強い。当たりさわりのない宗教的考えでも、ねじ曲げられて、不寛容の方針にあったものに変えられる。多くの仏教徒は、ロヒンギャの苦悩を輪廻転生の見地からとらえる。すなわち過去世で罪を犯したので、今苦しんでいると考えるのである。

 マバタにはもうひとつの面がある。それは徐々に表に出てきていることである。なぜ2010年以前に存在しなかった運動がいま影響力を持っているかと言えば、それが政権によって発足し、支えられているからである。サフロン革命の間に逮捕された僧侶たちは、マバタに参加し、ムスリムに対する憎悪のメッセージを拡散することで、金銭を受け取り、国家の庇護を受けてきた。

 

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