ロヒンギャ:ミャンマーの知られざる虐殺の内幕  

4 ロヒンギャ関連(20082015


ミャンマー政府の反応 

 政府は移住危機に対し、さまざまなやり方で反応してきた。多くは気が滅入るほど予測可能であったが。そもそもこの危機を論ずるために召集されたASEAN地域サミットへの出席をミャンマー政府は拒んだ。最終的に折れた政府は、ロヒンギャという言葉を用いないという条件が確約され、ようやくバンコクでの会合に出席することに同意した。そのかわりに「不規則な移住者」という言葉が使われることになった。

 ミャンマー政府のスポークスマンはつぎのように述べた。「誰も私たちに圧力をかけることはできない。誰の圧力も受けようとは思わない。この問題を解決するためには正しく対処する必要がある」。会議のあと、インドネシア海軍は、沈没する危険のあるすべてのボートを助けることで同意した。ミャンマーは、国外に出るさらなる難民を防ぐため、国境を閉じることで同意した。またほかの地域大国、とくにマレーシアは、難民問題をめぐってミャンマーに対し、しびれを切らし始め、核となる原因――ロヒンギャの弾圧――を止めるべく、直接的な介入を求める準備を整えた。

 しかし国境を閉じたミャンマーは、ロヒンギャが直面する問題に取り組みさえしなかった。ミャンマーはロヒンギャ迫害を止める意思を持っていなかった。そして政府の多くの人は、ロヒンギャ全員をバングラデシュに追放したいと考えていた。基本的態度は、ミャンマー大統領執務室副長官のウー・ゾ・テイが統括していた。「ベンガル人に対する政府の政策に変化は見られなかった」(D・グレアム 2015) もしその通りなら、ラカインの拘留キャンプは単純に恒久的な刑務所になるだろう。そして国際社会はまた問題を無視する状態に戻るだろう。予想されたことではあったが、与党議員たちは、難民がロヒンギャであることを否定した。

 ミャンマー国軍の司令長官、ミン・アウン・ライン将軍は言った。「マレーシアとインドネシアに上陸したボートピープルは、国連の援助を受けるため、ロヒンギャ・ムスリムのふりをしているようです」と。彼はまた、「ほとんどの犠牲者が、自分たちがミャンマーから出国したロヒンギャであるとみなされるのを期待しているようです。やはりUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からの援助を期待しているのです」。ほかの政府スポークスマンも同様の主張をしている。

 あるスポークスマンは言った。「移民がミャンマーから来たかどうか、確認しないかぎり、何とも言えません。人身取引のほとんどの犠牲者は、ミャンマーから来たと主張しています。彼らにとってそれが簡単で、便利がいいからです」。もちろん、国は彼らに基本的な市民権を付与するのを拒み、彼らが持っている身分証を取り上げてしまった。ロヒンギャにとって彼らがミャンマーから来たことを証明するのは至難の業だった。

 上述のように、ミャンマー国内のバイアスがかからない情報の流出は限られたものだった。そして大半の普通の人々は難民危機について気づきさえしなかった。それは偏見と国内の情報不足のなせるわざである。このように国際的な批判に対する政府のいつもの鈍感さと国内の圧力の不在が、反応の遅さにつながった。

 ついに八月、ラカインの地元当局は二十人ほどを人身取引の罪で裁判にかけることに同意した。これにつづいて、密輸業者が国内追放のキャンプに捕らわれた15万人ほどのロヒンギャから搾取しているとされるのを、政府は否定した。この限定された取り扱い方の変化はアメリカの関心を呼び、『人身取引報告書2015年』に記録されている。それはとくにミャンマー当局に批判的である。国務省の査定はとくに手厳しかった。

 政府当局はビルマ国内の人身取引に関与している。カチン州やシャン州北部の紛争によって追放された9万8千人、ラカイン州から追放された14万6千人を含む民族地区の男、女、子供たちは、とくに人身取引に対して脆弱だった。レポートによれば、一部のロヒンギャの女性はラカイン州の性的人身取引の被害者となっている。地元の人身取引業者はサギ的なやりかたで男をリクルートし、パーム油やゴムのプランテーション、翡翠などの貴石の鉱山に送り込んで強制的に働かせた。子供たちは性的人身取引の犠牲になるか、ティーショップや農業セクター、あるいは乞食として強制的に働かされた。 

 ミャンマー当局が、ロヒンギャの問題に介入しないどころか、積極的にロヒンギャを追い出そうとしていたのは、査定が難しかった。ミャンマーの反応は決まっていた。まず国際的な批判をかわし、それから無視しようとした。そして権力者の側から発した敵意のこもった論評が彼らの行動にインパクトを与えた。アメリカ国務省の査定は以下の通り。

 「ミャンマー政府は、国境上の性的人身取引の問題に取り込もうとしたが、国内の人身取引に対し責任がある公務員を含む、人身取引業者の数が多すぎて、改善することができなかった」。以上のように曖昧なまままとめている。これを基本として、20人の個人の意図された迫害は、外部からの圧力をそらすための必要な公的応答にすぎなかった。しかしそれは外部の圧力に一定の効果があるという見解を支えるものであった。

 しかしながら、ラカインの過激民族主義者は、ロヒンギャを強制的に追い出すだけでなく、過程のすべての段階で関与していた。レポートが示唆するのは、一部のボートの乗組員はタイ人かラカイン人仏教徒だった。最近のロイター通信の記事はつぎのようにレポートしている。「彼らは銃を持った11人の男たちに護衛されていた、と彼は言った。ほとんどはタイ語を話す者たちで、ひとりだけがラカイン人、すなわちラカイン州の多数派仏教徒民族だった」。

 これが孤立したできごとというより、広く起こっていることだとすると、とても懸念すべき事態である。それはラカイン過激民族主義者がロヒンギャに出ていくよう強制しているということである。しかし前述のように、難民ではなく、奴隷労働に立脚した成長する漁業があり、直接的に補充されたのである。そして奴隷労働を使って機能している漁船から彼らは利益を得ているのである。

 

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