補遺 中国チベット族のイスラーム集団改宗、サラ族の集団移住の例 

 地域ごと改宗した例として、中国青海省化隆県のカリガン・チベット族の例を挙げよう。彼らはもともとチベット仏教ゲルク派を信奉する仏教徒のチベット族だった。しかし1734年、各地で布教活動をしていたスーフィー(イスラム神秘主義)のフフィーヤ派(khufiyya)創始者マ・ライチ(馬来遅 1681―1766 アブドゥル・ハリム)がやってくると、すべてが変わった。

 マ・ライチが船に乗って黄河を渡ろうとしたとき、当地の人々は雨ごいの儀式を行っていて、船に乗ることも許可しなかった。そこでマ・ライチは馬に乗って平地を歩むごとく、事も無げに堂々と黄河を渡っていった。それを見た人々はみな(人口九千人)感服し、彼を敬うようになった。マ・ライチはこれをいい機会ととらえ、彼らにムスリムに転向するよう促した。身分証上は彼らはチベット族である。周囲からは蔵回(チベット族回教徒)と呼ばれる。

 このように地域丸ごと改宗するのは珍しくなかったが、仏教徒の多いチベット族となると、まれなことだった。キリスト教(カトリック)に改宗した例なら、デチェン(雲南省徳欽県)を中心に、北はツァカ(チベット自治区塩井県)、南は維西県の間の地域が当てはまる。彼らは同族の仏教徒のチベット人にはあまり共感を示さず、むしろ外国人のクリスチャンに同調する。しかし上記のムスリムになったカリガン・チベット族も、クリスチャンになったチベット族も、チベット族と呼ばれる。中国では、民族性がはっきりしない場合、あるいはもともと漢族の場合、回族と呼ばれることが多い。

 一方宗教グループが移動してきた例として、同じ青海省循化県の人口16万5千人のサラール(サラ族)を挙げよう。彼らは元代から明代にかけて、中央アジアのサマルカンドから循化県の盆地に集団移住してきたテュルク系ムスリム民族である。彼らは平地の中央に町を作ったが、先住の仏教徒のチベット族は丘陵地に居住する傾向があるので、うまく住み分けることができた。このように、宗教グループの移動は可能である。

 イスラム教の伝播について考えるとき、(1)定住民が移動せず、改宗した、(2)ムスリムが移動し、先住民を駆逐した、あるいは住み分けた、の二通りが考えられる。現実的には(1)のほうが多いと思われる。