(2)「ロヒンギャ」は歴史のある言葉ではなく、近年作られたものである?

 なぜ彼らはあえてそう言うのか。場所や人々などの名前の歴史性を追跡するのはとても困難なことだ。民族名の語源探しはもっとも論争を引き起こしやすい。しかしロヒンギャの言葉の語源は正確に、はっきりとわかっている。それは直接的に当地アラカンと結びついている。

 
SB・カヌンゴ博士やパメラ・グトマン博士ら著名な学者や一部のラカインの作家たちは、アラカンの語源はラカサ(Rakhasa)、ラカシャ(Rakhasha)、ラカプラ(Rakapura)などだという。何世紀もの間、アラカンと接してきた人々は、わずかずつ発音が異なるさまざまな名で呼んできた[訳注:羅刹天、すなわちラークシャサと関連づけられるのだろうか]。それらはアルコウン(Arhkoung)、ラカム(Rakham)、ラクチャン(Rakchan)、ロハン(Rohang)などで、アラカンは英国人の呼び名である。それは今も使われることがある。伝統的なベンガル文学では、アラカンは広く、頻繁に、ロハンと呼ばれてきた。(カヌンゴ 2002
 このように、ロハンという地の人々がロヒンギャなのである。

 1940年代後半から50年代前半にかけて英国外交ファイルに記録されたのは「ルワンギャ」(Rwangya)。ロハンギャと発音されることもあった。それらは植民地時代の共同体で使われた。(J・ライダー)

 ベンガル語では、ランブリー(Rambree ラムリー)島の人々はランビエッジャ(Rambiezzya)と呼ばれ、チャッタガム(Chattagham 公式にはチャットグラム)の人々はチャッタガニヤ(Chattaghanyia)と呼ばれた。カヌンゴ博士もグトマン博士も、ビルマ人はアラカンをラカインと、ときにはラカイン・ピ(Rakhine Pyi)と呼んだ。つまりラカインは土地の名称であって、人々の名ではないということになる。人々はラカインター(Rakhine Thaa)と呼ばれ、ラカインだけのときもあった。

 ビルマ人の人々の呼び方には法則性があった。たとえば、下ビルマ人はアウッター(
Aukthaa)、上ビルマ人はアニャター(Anyathaa)、インレー湖の人々はインター(Eingthaa 発音はインダー)と呼ばれた。この法則でいけば、ラカインに住む人々はラカインター(Rakhinethaa)となる。

 ラカインターはアラカン人によって、自分たちのことを話すときに使う一般的な、日常的な言葉である。ときおりラカイン人は誇らしげに言う。「いやあ、知ってるだろ! おれはラキネターだ」というふうに。ラカインターはビルマ人の支系である。ビルマ人歴史家は言う、彼らは9世紀以降ビルマに入ってきて、最初にバガンを築いた。それからアラカンを含むほかの場所に居住地域が広がっていった、と。(タン・トゥン博士 
1994

 オーストラリア人学者パメラ・グトマン博士は最近の調査からつぎのように言う。

 ラカイン人はアラカン(ラカイン)にやってきた最後の重要なグループです。いつやってきたかは、論争を引き起こしています。年代記は領土を失いたくないので、古さを誇張しています。文化的にも、言語学的にも、ラカイン人はビルマ人と密接な関係があります。彼ら自身はビルマ民族でもっとも古い一族だと考えているようですが。

 よく知られているのですが、ラカイン語は多くの点で古代語を残しています。とりわけ「
rの音です。山脈(ヨーマ)によって隔てられてきたため、古音が残ったのは間違いありません。しかし、このように隔てられたことによって、新しい形に発展するということもあるのです。(パメラ・グトマン 1976) 

 ほかのラカイン人作家と同様、エー・チャン博士はヤンゴンで開催された歴史解説集会で言った、「ラカイン人はチベット・ビルマ語族です。こんな格言があります。ピン・イッ・マ・ナイン・ラカイン・メー。これは、「r」と「y」のスペルを確かめたいなら、ラカイン人に聞け、という意味である。

[訳注:かつて軍事政権の意向で、ラングーン(
Rangoun)がヤンゴンに、イラワジ川(Erawadi)がエーヤワディー川に表記変更された。この決定には反発する人も多かった。なぜならミャンマー北部やラカインでは「r → y」の音韻変化が起きていなかったからだ。ラカインの古都ムラウー(Mrauku)も、現地ではミャウー(Myauku)とは発音しない] 

 考古学局主任でムラウー博物館のキュレーター、ウー・サン・シュウェ・ブはこう書いている。「アラカンの歴史はビルマ人がウェータリー王国を転覆させた957年に始まる」。
 アラカン人で国会議員を務めたこともある歴史家のウー・ラ・トゥン・プルはつぎのように書く。「アラカン人とビルマ人は血も言語も姻戚関係にある。実際同盟関係にあるようなものだ」。
 さらに彼は述べる。「祝福された古典的なビルマ人(
Lawkidbidna Ngad)と宣言すべきではなかろうか」

 つづいて言う。「これだけは言わせてほしい。ミャンマー、タライン、ラカイン、トヴォイ、バレン、タウン・トゥ、そしていわゆるカヤン、この七つのグループはミャンマー民族とみなされるべきだ」(ウー・ラ・トゥン・プル 1958

 ラカイン人とビルマ人の民族的におなじルーツという考えは、真実からそんなに遠くない。一方でアラカンはベンガル語でロハンと呼ばれ、その地に生まれた人々がロヒンギャと呼ばれる。それを否定したり、言い争ったりするのは意味のないことだ。それは言葉の違いによるのだ。その本質や意味は、おなじである。アラカン人(Arakanese)、ラカイネター(Rakhinethaa)、ロヒンギャ、すべてがおなじ意味を持つ。尊敬される歴史家であるアーサー・フェア卿でさえアラカン国王を「ロアン(Roan)」すなわちロハンの王として描く。(A・フェア 1883

 さてここでロヒンギャという言葉は歴史的なものではなくて、独立後に作られたとすると、それは真実を強く否定したことになり、ロヒンギャを貶め、間違ったイメージを与えることになる。上述のように、ロヒンギャという言葉自体は、アラカンの歴史とおなじくらいに古いのだ。アラカンのほかの人々は、政府からふさわしい民族名を頂戴している。だからロヒンギャという言葉がムスリムのために残されていたのである。

 西欧人は一般的に民族名としてよりもムスリムというイスラム信仰を持つ人々としてこの名を用いている。アラカンのムスリムという場合、完全にそれは真実である。ここにムスリムとロヒンギャはおなじ存在を表わす同義語である。よってわたしは論文を通して、ムスリムとロヒンギャをトピックにあわせて使い分けなければならない。調査が十分におこなわれないとき、ロヒンギャの語源に関してこれ以上の推測はできないようだ。

 ベンガル人はビルマ語の「ラカイン」をうまく発音することができない。彼らの言葉において、ラカインは茶碗という意味である。彼らはアラカンをロハンと呼び、そのムスリムに対してロヒンギャと呼ぶ。[訳注:ロヒンギャである著者は、アラカン地方をロハンと呼び、そこに住むムスリムをロヒンギャと呼ぶ、とここに述べている。なぜ強調するかと言えば、ある日本人著者が「ムスリムだけを意味せず、ロハンという地域に住む人々の総称だった」と述べているからである。仏教徒ラカイン人がアラカンに来る前からロハンという名はあったのだろう。なお仏教徒ラカイン人はマグ人と呼ばれていた] 

 そもそも、ラカイン人は、ロヒンギャという言葉はベンガル人政治家によって作られた新しい言葉だといつも言ってきた。歴史のある言葉ではないというのだ。何十もの証拠や記録に光が当てられるとき、エー・チャン博士のようなロヒンギャ否定論者は、ベンガル人はラカイン人をロヒンギャと呼んでいると主張し始めた。ロヒンギャとラカインは言葉も民族も全然違うという前提を建てて、フランシス・ブキャナン博士は言語研究をしてきた。ブキャナンの調べた「ルインガ」の言葉や数詞は、現在のロヒンギャの言葉そのものだった。

 「ルインガ」から派生したロヒンギャは、記憶されないほどの昔からある言葉だ。フランシス・ブキャナンはルインガを引用する唯一の歴史家ではない。ジル・クライストのインド言語研究やレナルのベンガル地図、アーサー・フェア卿の『ビルマ』に引用する英国人旅行家アルバート・フィッチ[ラルフ・フィッチ?]のなかにも見いだされる。

 J・ライダー博士はロヒンギャという言葉の古さについて論じ、確信的に言う。「ムスリムの歴史的根源を、すなわち文化遺産の一部としてアラカンに存在していたことを主張する権利を持つことを誰も否定することができない」と。(ライダー 2015

 彼はさらに書いている。「これは暫定的な提案です。あとで検証しなくてはなりません。たとえばロヒンギャという言葉が、地元の教師組合のために、1936年に作られたものとします」[訳注:もしロヒンギャが新しく作られた名前だったとしても、ロヒンギャという存在が新しいわけではない、という意味] 

 

⇒ つぎ