神話なし、事実のみの<ロヒンギャ史>  

ウー・チョー・ミン 

 

ネ・ウィンの国民の概念 

(1)

 アウンサン将軍と違ってネ・ウィンは外国にもともと起源がある人々、とくにインド系の人々に対して差別的な政策をおこなった。それゆえ彼はアラカンのロヒンギャに対して差別的な政策を立て、それを実行した。ロヒンギャに対して審査を行う作戦を実行したのである。1978年の竜王作戦(ナガミン)によって、およそ30万人のロヒンギャが国外に追い出されることになってしまった。彼はこれらの人々をビルマの国民とは認めなかったのである。

 しかしこれらの人々を拒絶するという目的は失敗に終わった。なぜなら難民たちはビルマの国民登録カードを持っていたからである。彼はこの難民たちを全員帰還させねばならなかった。そこで彼はロヒンギャの市民権を取り上げるために、新しい市民権法を制定するという第二の手段を取った。ロヒンギャのNRCカードを奪う計画を立案したのである。

 法を制定し、新しい法を起草するメインキャストは、高等教育長官のオー・サン・タル・アウン、歴史学教授エー・チョー博士、政治家であり、ミャンマー国家委員会メンバーのウー・ラ・トゥン・プルらで、みなアラカン人だった。彼らの影響力と遂行能力によって、ロヒンギャは市民権を持つには不適格とみなされたのである。マウン・マウン博士は主たる法のアドバイザーだった。

 ネ・ウィンは新しい法のための断固たる、厳格なガイドラインを示した。1982年10月8日、国会で厳しい演説をおこなった。10月15日、国会で新しい市民権法が批准された。

 ネ・ウィンは国会演説の中でつぎのように言っている。

 わたしたち純血のビルマ国民は、わたしたち自身の運命を作ることができませんでした。1824年から1948年1月4日まで他者に操縦されてきたのです。さて、今、1948年1月4日に独立を得たときの状況を見返してください。わたしたちの国の人々が本当の国民、客あるいは混血から成り立っていることがわかります。そして客と客の結合から問題点が生じるのです。これは独立後に起きたことです。客と混血の位置をいかに明確にするかが問われます。

 彼らには何がなんでもお金をもうけようとする傾向があります。わたしたちの国の運命を決める組織の中で、どうしたら彼らを信頼することができるでしょうか。それゆえ彼らに完全な市民権を与えることはないでしょう。それにもかかわらず、彼らにはある程度の市民権が与えられているのです。仕事に応じて食べていき、つつましい生活を送る権利なら与えることができるでしょう。しかしそれ以上のものはありません。(Paciffic Rim law & Political Journal, Vol. 23

 前の軍事政権と現在(執筆当時)のアウンサン・スーチー政権とも、ネ・ウィンの考えをいまだに堅く保持している。これらの政府はロヒンギャを国民として認めたくないのだ。彼らはロヒンギャを外国人、インド人としか見ていない。地理歴史学的なルーツはアラカンにあるというのに。彼らが言うには審査のプロセスがあるという。ビルマ国民としてNRCカードが発行される前に何十回と審査されているという事実には目をつぶって。実際、ロヒンギャに市民権を与えたのは、アウンサン・スーチーの父、アウンサン将軍だった。

 

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