ルーミーについて補足 宮本神酒男
■ 『神秘と詩の思想家 メヴラーナ』(丸善プラネット 2006)という本が出版され、すぐに入手して読んだとき、ついにルーミーが日本に紹介されたこと、しかもスピリチュアルな書といった類の浮ついたものではなく、良心的な、本格的な内容であることに私は感動した。しかしあらためてこの本を眺めると、気になることが多々あるのだ。
たとえば、なぜルーミーという名前をタイトルに入れないのか。原題が『Jalal al-Din al-Rumi』なのだから、ルーミーを隠す必要もないのだが。メヴラーナがわが師という意味の由緒ある称号だとしても、欧米で人気のあるルーミーはあくまでもルーミーとして知られているのだから。もしニューエイジ世代に知られているルーミーという名を避けたかったとするなら、それは本末転倒のような気がする。この本によると、ルーミーという名は「ギリシア人の住地」を意味する、ディヤーレ・ルームの名で呼ばれたアナトリアに彼が定住したことに由来する呼び名だという。しかしこの解釈は一般的ではない。アナトリアはこの頃イスラムの支配下に置かれたばかりだったが、ずっと長い間東ローマの領土であったのであり、依然としてローマ(Rum)と呼ばれていた。呼び名が地名に由来するのはそのとおりである。ただルーミーという名で呼ばれた人物は歴史上数多く、イスラム社会ではメヴラーナ(トルコでの発音)かジャラールッディーン・ルーミーと呼ばなければわからない。
もうひとつ気になったのは、シャムス・タブリーズィーの扱いが小さすぎることである。誤解を恐れずに言えば、ルーミーはこの放浪するダルヴィーシュに身も心も奪われてしまったのだ。シャムスはルーミーより20歳ほど年上だったが、老成したふうではなく、天才肌のカリスマ的人物であったようだ。一度ダマスカスへ去ったシャムスをトルコのコンヤへ連れ戻すが、しばらくして忽然と姿を消す。嫉妬したルーミーの弟子たちがシャムスを殺害したのではないかと言われるが、はっきりしない。このことはトルコではよく知られていて、ノーベル賞作家のオルハン・パムクも『ブラック・ブック』(現時点では未訳)という小説のなかに「だれがシャムスを殺したのか」という章をたてているほどである。
じつはこの小説においてパムクは創作ならではの大胆な推論を披露している。主人公のガリプは失踪した妻と元夫の著名ジャーナリスト、ジャラルを追っている。このジャラルはルーミーとシャムスの関係を調査し、それについて独自の推理をコラムという形で書いていた。ジャラルの考えによれば、シャムスを殺して遺体を井戸に捨てたのは、シャムスを愛してやまなかったルーミー本人だという。もちろんこれはフィクションであり、ジャラルも小説中の登場人物にすぎない。
シャムスを失い嘆き悲しむルーミーの姿は、恋人を失って嘆く姿そのものだった。ルーミーの詩の多くはこの悲しみから生まれたといっても過言ではない。そのシャムスについてわずかしか触れていないのは、「ルーミー大全」としてはやはり不十分だと思うのだ。
一方『愛の旅人――詩人ルーミーに魅せられて』(ロジャー・フースデン 2003)は「アルケミスト」張りの自分探しの旅の物語。欧米ではイスラム教神秘主義(スーフィズム)がギリシア正教と同様親しまれていて、ルーミーの詩が広く愛されていることがこの小説からもよくわかる。シャムスはルーミーが追い求めた師として重要な役が与えられている。
このほか『ルーミー その友に出会う旅』という本が出版されているが、こちらは未読。読む機会があればコメントを追加したい。
さらに気になるのは、ルーミーの民族について意図的に言及していない点だ。生地であるバルフはゾロアスター教の聖地(教祖ザラスシュトラが埋葬されたという)であり、バクトリア王国の都でもあった。しかし数百年にわたってペルシア帝国のホラサーン地方の主要都市であった。当時、モンゴルに侵略される前、すでにイスラムの支配を受けていたが、住民の多くはペルシア人であった可能性が高い。ルーミーがペルシア語で著していたのは「文学的文章を書くのにふさわしいと一般的に考えられていた言語がペルシア語」であっただけでなく、彼の母語がペルシア語であったからではなかろうか。人生の大半をトルコのコンヤで過ごしたのだから、トルコ語を話すのに不自由はなかったろうが、書く言語はペルシア語だった。。
■ ルーミーは音楽のテーマにもよく選ばれる。トルコ人アーティスト、メルジャン・デデ(Mercian Dede)はスーフィー、とりわけルーミーを主題とした曲を好んで作る。「Dreams of Shams(シャムスの夢)」という曲があるが、このシャムスは上述のシャムス・タブリーズィーのことだ。私は渋谷で行われたメルジャン・デデの公演に行ったことがある。そのなかで旋舞するダルヴィーシュをイメージした踊り子がおよそ20分、くるくると回りつづけるというシーンがあった。ただ回りつづけているだけなのに、私は不覚にも涙を流してしまった。感動したのである。そこにはルーミーの「陶酔」があらわれているように思った。その陶酔とは忘我であり、神との合一だろう。
ミニマル・ミュージックの巨匠フィリップ・グラスも、ルーミーをフィーチャーした「Monsters of Grace」と銘打たれたコンサート(1998年UCLA)をアルバムとして出している。フィリップ・グラスの音楽とともにルーミーの13の詩篇が朗読される。詩はもちろん原詩ではなく、コールマン・バークスの翻訳詩である。ところでフィリップ・グラスはユダヤ系のアメリカ人。ルーミーのすばらしさは、民族や宗教の壁をはるかに超えた高みに達しているのだ。
もうひとつ「VISIONU Spirit of Rumi」というコンピレーション・アルバムを紹介したい。映画音楽で知られるグレアム・ラベルがプロデュースしたアルバムで、ルーミーをテーマとし、カッワーリ音楽(スーフィー音楽)の巨匠、故ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンらが参加している。私はひそかに名盤だと思っている。