聖なる痛み3 人はなぜ頬に針を挿すのか 宮本神酒男 


タイプーサム祭の苦行者。シヴァの三叉鉾型の針を頬に刺す。クアラルンプール郊外バトゥ洞窟の入り口前 


タイプ―サムの苦行者。太めの針だ 


苦行者トリオは息ぴったり 


タンキーは長さ3m、直径1cmの鉄串を頬に刺す。ヨダレがたれるのは仕方がない。媽祖生誕祭。台湾北港 


インドの小チベット・スピティのピン谷。寺のチャム(宗教仮面劇)が終了したあと、中庭に颯爽と登場したのは芸能僧ブチェンたちだった 


インド・キナウル地方のシャーマンは女装して針を頬に刺す 


アムド地方のこのチベット族の村では勇者のしるしとして針を頬に刺す。「おまえもどうか」と聞かれたので、今もこの写真を見ると「おれにできるだろうか」と自らに問うてしまう 





































 クアラルンプール郊外バトゥ洞窟の正門前には、何十万人もの群集が中にねじ込まれようとしていた。どす黒い血液の群集の中を、白血球のごとき苦行者たちが進んでいた。彼らは全身に鉤(フック)をつけたり、舌に針を刺したりしていた。



この苦行者たちのなかにあっては、頬に針や串を刺すぐらいのことは、凡庸の部類に入るだろう。

私は台湾では何人ものタンキー(霊媒)が頬に串刺しするのを見ているし、青海省同仁県(レコン)のチベット族の地域では、六月会の祭り参加者全員が頬に針を刺すのを見ているので、さして驚かなかった。

 なぜ人はこんなムダとしか思えない、痛いだけの行為に熱中するのだろうか。

 聖なるマゾ行為は西欧でも行われてきた。たとえばフローレンスの聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ(15661607)は、オレンジの棘の冠をかぶって血を流し、うつぶせになって人に背中を踏んで歩かせ、ロウを身体に滴れさせた。ロウソクのロウを垂らすだなんて、古典的なSMそのもんじゃないかと思う。しかしのちバチカンは彼女を列福し、聖人の列に加えたのである。

だが彼女は頬に針を刺すことはなかった。


 一方、中国における頬刺しは、相当古いのではないかと思う。道教の用語で開紅山ということばがあるが、これは針を刺して血を捧げることを意味している。開紅山がどのくらいの歴史を持つのかはっきりしないが、タンキーの元祖のような霊媒が主役を演じる祭りが上海北方の南通に残っているので、もともとは呉越の人々が行っていた名残のように思われる。すくなくとも二千年はさかのぼることができそうだ。

 インドに目を転じると、タミル地方のタイプーサム祭の苦行者(ヒンドゥー教徒)を含むファキール(主にムスリム)と呼ばれる苦行者は、イスラム教以前から存在していたかもしれない。ただ彼らは痛める箇所として、とくに頬を重要視していたわけではない。

 私が近年何度も足を運んでいるインド北西部のスピティやキナウルでは、頬の針刺しは珍しくはない。スピティのピン谷のブチェン(芸能を見せる巡回僧侶団)はかならず頬か喉元に針を刺し、キナウルのグロクツというシャーマンは祭礼のとき神が憑依すると頬に針を刺した。おそらくたまたま彼らの頬の針刺しに遭遇しただけであり、インド北部、いやインド全体でごくふつうに行われているのではなかろうか。

 タイプーサムのとき、苦行者が針や串を頬に刺そうとすると、人々は「ベール、ベール」と声をあげた。ベールはヒンディーやサンスクリットのバール(bhal)、すなわち槍を意味しているだろう。タミル語で何と言うかは確認していないが。
 『マハーバーラタ』のなかでスカンダ(=ムルガン)はインドラの雷(イカズチ)パンチを右脇に食らってしまう。その傷から槍を持ったヴィサカや無数の子供たちが生まれ、父を助ける。スカンダは軍神として名を馳せるのである。槍を持つのは軍神であることを示し、それを頬に刺すのは勇者のしるしなのだろう。こう考えると、針を頬に刺すのは痛みをこらえてみせる以上に意義深い行為なのである。

 青海省のチベット族の村の祭りに参加したとき、「お前も針を刺せよ」と言われたことがあった。ふざけて言われたのではなく、承諾すれば針を渡されただろう。杜松を焚いた煙で針を消毒し(もちろん清めたという意味だ)エイッと刺す。刺すだけだ。
 しかし数分考えた末、意気地のない私は申し出を断ってしまった。もし大量出血したり、痛みがひどかったり、あとで傷が化膿したりすれば、「やはりこれだから外部の者は…」と陰口を叩かれていたかもしれないが。
 いまになってみると、やはり、聖なる痛みを経験する絶好の機会を逸してしまったのではないかと、後悔している。