第三章

天神の物語

 ある日たったひとりの妹、火の保護者は、赤い玉のネックレスの糸を替えていた。糸を玉の穴に通しているとき、ひとつの玉が囲炉裏のなかに落ちたが、彼女は気づかなかった。彼女は囲炉裏のなかの火は守られていると考えていた。作業を終えたとき、彼女は火を点けようとした。しかしよく見れば囲炉裏の赤い点は火ではなく、赤い玉だったのだ。彼女は火をもとめてさまよった。彼女はつぶやく。

「ああなんてこと、火をかきあつめようとしても、あつめられるのは灰だけ。もしプバーンユンが森の鹿狩りから帰ってきても、シャバーンユンが魚釣りから帰ってきても、お腹をすかし、喉が渇き、寒さに凍えるだろう。火がなくて、どうやって調理できるだろう、どうやってお腹を満たすことができるだろう」。

たったひとりの妹は火がなくてとても悲しかった。彼女は火をもとめてピンル・ピサウン村(Pinlu Pisaun)やラント・スムルソ村(Ranto Sumrso)を訪ねたが、火を得ることはできなかった。彼女は火をもとめてあちこちをさまよった。トゥラテキナ・グン・トゥラティナの下をさまよっているとき、彼女はミヤル・ミサルの牧人の召使と出くわした。召使にもまた火をもとめたが、じぶんはもっていないと答えた。彼は馬の番人ならもっているにちがいないと付け加えた。しかし馬の番人は持っていず、牛(チャワラ牛)の番人に会うことをすすめた。しかし牛の番人ももっていなかった。さらにはヤクの番人にもたったひとりの妹は自己紹介しながら、火をもとめた。

「私はラーヤルクティに住む者、兄はプバーンユンとシャバーンユン。私は火の守護者。上の兄はジャングルへ鹿狩りに行き、下の兄は川へ魚釣りに行った。彼らは火なしでは飢えと渇きに苦しみ、寒さに凍えるでしょう。ですから火をお与えください」。

 従者は答える。

「私は火をもっておりませぬ。カラスでしたら(pitaa mahaだから)火を分けることができるでしょう」。

 彼女はカラスに会い、火をもとめた。

「カラスさん、もし火をもっているなら、私にください」。

「もしオレが火をもっているなら、どんなお返しをくれるんだい?」

「チャウダス(Chaudas)の神を祀るときやチャウダスのシャンタン大祭(syantan)のとき、チベットの雌羊の肋骨をあげましょう。これはあなたにとって最上の贈り物のはず」。

 聞きながらカラス(カーカ・ブスンダ kaaka bhusunda)は言う。

「妹よ、天神ミヤル・ミサルの子はまさにもう臨終のときを迎えようとしている。生きながらえるのは、ほぼ不可能。おまえは葬送の際燃やす積み薪から火を取ることができるだろう」。

 こうして妹は天神の庭にたどり着いたのだった。

  たったひとりの妹は天神ミヤ・ミサルの宮殿の門の前で、ミヤ・ミサルの息子が息絶えようとしているのがわかった。息子をなくす両親の嘆きはいかほどであろう。彼らは息子にたいして言った。

「息子よ! 私たちはおまえにたいし、もうこれ以上なにもしてあげることができない。私たちは経験のある医者を呼び、占星術師に過去現在未来を占ってもらったが、おまえを助けることはできなかった」。

 ピッル・ピサウン村(Pillu Pisaun)とラウント村(Raunto)から来たふたりのミヤル・ミサルの親戚が集まった。そのうちのひとりの男は腕5本分の白布を切り取って、大きな針を使って緑色の糸で縫いこみ、帽子を作った。父親は遺体を膝の上にのせ、顔を洗い、目にギーを塗りこんだ。白布が三角形に切られ、遺体の上に遺骸布のようにのせられた。そして両側が縫いこまれた。その上にまた毛布がかけられた。母親は室内の囲炉裏に火を点し、鍋を置いた。その鍋で調理された料理は遺族にふるまわれる。最後の食事の準備がすむと、ミヤル・ミサウの親戚一同は庭に集まる。棺には運びやすいよう二本の棒がついている。ひとりの少女が家の中からベッドシーツを持ち出し、棺のなかに展ばす。近親者が遺体を運び出し、棺に安置する。遺体は骸布にくるまれ、縄でしばられる。故人の衣服や色とりどりのティカウンパ(tikhaunpa)という布が遺体の上に置かれる。葬送行列のために遺体は縄で固定される。ひとりの遺族が死者の道を示す長い白布を展ばす。この白布は葬送行列のとき、ブルカー・ヌガー帽(burkaa nugaa)をさかさまに被った故人の未婚の妹や娘がもつものである。彼女らはピンダ(供え物の団子)を供え、香炉に火を点す。近親者は遺体の入った棺を担ぎ、火葬場まで行進する。そこには天神ミヤル・ミサルの意向で積み薪のかわりに金や銀が積まれていて、火を着けようにも、着かなかった。カラスはその様子を見て、馬鹿さ加減にあきれかえっていた。

 天神は怒ってカラスに弓を引かんばかりだった。カラスはあわてて叫んだ。

「天神よ! あんたは金と銀の積み薪で息子さんの火葬をしようとしているじゃないか。肉や骨はそれでは燃えないよ。石を積んで、その上に燃える薪を置かなきゃならないんだよ。積み薪の上に遺体を置き、水で口を洗って金と銀を入れる。そして緑の葉で遺体を覆う。これらを終えたあと、遺体の五元素は消失するだろう。結果的にあなたの息子の魂は救済され、幸福な死後の旅路につくだろう。それから葬送儀礼を完成するためには死者に似せて像を作るがよい」。

 天神はカラスの助言にしたがい、石を積み、その上に薪を積んだ。村人たちも手伝った。積み薪の上に頭を東向きにして遺体をのせた。天神はまた浄化するために死体の口に金と銀を入れた。そして火が着けられた。

 そのあと参加者全員が水を浴びて身を浄め、死者の家に戻った。積み薪からは炎と煙が立ち昇った。煙は死者の叔母の村へとたなびいた。それから向きを変え、死者自身の村へと流れていった。葬送行列は死者の家の庭にたどりついた。参加者はお香のにおいによって身を浄め、室内に入り浄めのための酒を飲んだ。

 すべての村人が家の中に集まり、アストゥ(骨)の選び方、葬送儀礼(gwan)のこまごましたこと、用意する酒などについて討議した。彼らは儀式の段取りを決め、ジャウン(Jaun)で大麦の交換をして、九頭のヤクを入手する。それからアストゥを積み薪からもってくる。また死者の魂を導くため白布、火箸、糸をもってくる。

 このようにしてグンガト帽(ghunghat)をさかさまに被った六人の未婚の女性と上着をさかさまに羽織った五人の男性とでアストゥを取りに行く。火葬場で彼らは灰に向かって石を投げ、悪霊を追い払う。アストゥ、とくに関節の部分が竹製の火箸によって掬い取られる。アストゥは布にくるまれ、小さな箱に入れられる。彼らは家に向かう。ひとりの少女がそれをグンガト帽に入れ、背負う。ほかの女性らは整然と歩き、火葬場の灰をからだに塗った男たちがそのあとを追う。アストゥを保管する場所、カナパットゥ(kanapattu)に着くと、アストゥはそこに安置され、平たい石で覆われる。瓢箪や靴やドチャ(docha 羊毛のダジャdaja?)をその上にぶらさげる。四隅に竹のスティックを挿し、邪視を避けるためスティックの上に色とりどりの糸を付ける。瓢箪には小さな穴があけられ、水滴が落ちることによって死者の渇きを癒す。彼らが家に戻ったとき、他の村人たちはすでに家に集まっている。

 はじめに大きな鍋が燃える囲炉裏の上に置かれ、水が注がれる。死者の妹や娘たちがプレートに小麦粉を入れ、水を加えて捏ね、ダラ(トルマ)を作る。死者にはダラの下の部分、ガール・ピル(ghaar pyiru)を捧げられる。少女は死者に対して尊敬の念をこめて言う。

「死者よ! あなたは日増しに神に近づいている。あなたは神と呼ぶにふさわしい。それゆえこの捧げ物(ピンダ)を受け取ってほしい。それはあなたの魂を救うでしょう。古い魂はすでに割り当て分をもらっているので、この捧げ物をもらうことはもうできないのです」。

 少女たちは小麦粉の残り半分からシミ・ガルバ(shyimi garba)やシミ・チャムペナ(shyimi champyena)と呼ばれるダラを作る。それらは鉄のスティックでプレート上に置かれる。そのあとふたりの少女はグンガト帽(bandatyina chyiklaa)を被り、燃えるたいまつと水がそそがれた瓶、グワンユ(酒)のつがれた杯などをもって家を出る。木の梯子が架けられ、屋根の上に上れるようになれる。三角形に切られた板にスレートを重ねたものが屋根の上の太陽が昇る方向に置かれる。死者のためにこねたシミ・ガルバとシミ・チャムペナのピンダはその上に置かれる。少女たちはこのとき大袈裟に泣き叫び、悲しみをあらわにする。

 親戚縁者はシミ・チャムエナとシミ・ガルバを作り、ピンダとして死者に供える。それらはゲティ(gethi)樹製のボウルに入れられているが、竹製の篭で参加者全員にふるまわれる。そして彼らは宣する。

「友人たちよ! ピンダはすべての家族にふるまわれた」

 そのあと彼女たちは故人の着ていた衣服で竹篭を覆う。性別によって(故人は男性なので)上着(シャラクハマ・ランガー syalachhama rangaa)やグンガト帽(ワダン・ティナ・チクラー wadan tyina chikulaa)なども使う。馬の尾製の長い縄(ティンピャースリ tyinpyaa suri)や棘樹の枝(ルチナチ ruchinachi)もまたその上に置く。竹篭は家の中の部屋の隅に置く。夜があけるとひとりの少女がシミ・チャムエナとシミ・ガルバを運び、ふたりの少女が随行し、それらをピンダとして死者に捧げる。彼らは村を上方から回る。村人は死者のアストゥを死者そのものとして客人として歓迎する。村の下方でピンダを配りおえたあと、彼らは死者の家にもどる。

 天神ミヤル・ミサルの親戚縁者(pinlwu pisaun あるいはraunto sumsaum)は葬送儀礼(gwan)のために死者の家に集まった。長時間噂話をしたり、論じ合ったりしたすえ、大麦と塩とを交換するため、シャーウン(Syaaun)へ山羊と羊とともにトゥディ・シャージ・ジュンディパー(Twudi syaajyi jyundioaa)を送ることに決めた(山羊を頭上に、羊を背中にのせて運ぶことができる人物という意)。塩で満たされるはずの袋を山羊や羊にのせ、固定する。またふたりのヤクの売買人(Yaatukcha)が指名された。従者は大麦を得てグワンユ(gwanyu)つまり酒を醸造する。出発する前、ふたりのヤク売買人は籾米を撒きながら死者に呼びかける。

「新しい死者よ! われわれはいまおまえに捧げるためのヤクを買いに行こうとしている。すべての障害が取り除かれるよう、取り計らってくれたまえ」。

 従者が笛を鳴らし、家畜が動き始める。

 さて羊牽き(twudisya)山羊牽き(nyudipaa)はトゥルティンの丘の頂上にあるビク(Bikwu)廟に着くと、石を積み、旗を立てた。道の上のガバラー神(Hayaagabalaa *Hayagriiva?)の場所で銅製のベルを鳴らす。そしてニランダン(Nilandan)を通り、ソダルガ(Sodarga)にある天神ミヤル・ミサルのシャンバト(Syanbato)に至る。彼らは羊や山羊にのせていた袋(karkha)を地面に下ろし、テントを覆うように立てる。彼らはそこで休憩する。ヤクの売買人はシルカ(sirkhaa)に着き、シルカの王ピピ・ハヤー(Pyipyi hayaa)に会う。礼を尽くしたあと、上方に向かってさらに進んでいく。彼らはチュナカリ・ダン(Chunakali dan)を経てラウンリナ山(Raunlina)の峠に達し、(廟で)旗を立て、神に祈る。峠から下ると、ラジマシャティ(Rajimasyathi)、すなわちラジマという紳士の馬ラクチ(Lachchhi)が石になり、沈んだという池があるシシャウンケ(Shyisyaunke)に至る。インドラ神の使いが水の中の石と化したという伝説もある。彼らは蛇の守護神を浄めた。そしてガーラー(Gaalaa)、ゴラマラー(Golamalaa)を通ってピャラシタ(Pyalasitha)に着く。彼らは言う。

「ピャラシタの神よ! われらはミヤル・ミサル神の息子のためにヤクを買いに行こうとしている者である。われわれのチャンワラ(chanwara)を救いたまえ。戻ってくるときには、プリ(あるいはチャパティ)と山羊を献じよう」。こう彼らは約束した。

 ヤク売買人がクワナダンパー(Kwanadanpaa)に着くと、インドラ神の従者が棲むというニュンタイ・ティ(Nyuntai ti)を蛇の守護神の聖水によって浄め、白い籾米を撒いて祈りを捧げた。さらに上がって、ウンディ村(Wundi)クワンダパ(Kwandapa)のハヤークワタラ(Hayaakwathala)にある大女神の寺院で色とりどりの旗を挿した。ずっと歩いていくと、マーハーマーティ(Maahaamaati)に小さな川が流れていて、彼らは小さな橋をかけた。さらに上がってブンディ村(Suma Bundi)の中央にある対の胡桃の樹で一休みする。村の下方に住むサーラナクシェ(甥 saalanakshye)は行方不明のため、親族は葬式を執り行うことができないでいた。村の上方にはワーグラ(叔父 waagura)が住んでいた。彼らはプバーンユとシャーンバーンユンのたったひとりの妹ためにチャワルを買った。彼らはヒャムダリ(Hyamdari)、チョトゥ(Chhotwu)またの名をチガリク(Chhigalik)、グンカ(Gunkhaa)の大女神の寺院を経て、ジュンシラパ(Junsirapa)、そしてジュンハーウ(Junhaau)またの名をゴーリャーンガ(Gawryaanga)に達する。彼らは地元の人々と挨拶を交わした。

「ゴーリャーンガの人々よ! われわれはトゥルティ・グルネタの上方に住む天神ミヤル・ミサルのヤクの売買人である。われわれは天神の息子の葬儀のためのチャワルを買いに来た。ヤクを買うことを認めてほしい」。

 彼らはヤクを購入することができ、そのお返しに金と銀を持ち主に与えた。

 チャワルとともに、チュップ・ビャラチャイ(chuppwu byalachai)、すなわち山羊もまた葬式のために連れてこられた。ヤートゥクチャ(ヤク売買人)はゴーリャーンガ村の村人にチャンガラ・ナイ(changara nai)、すなわちチャワルの代金を渡した。彼は籾米を撒きながら、唱えた。

「新しい死者よ! このチャワルはあなたが選んだものだ。そのしるしにチャワルは身をぶるぶる震わせたのである。売買人はそれを見て喜び、ルジャン(rujyan)という縄を角の結び、ニマジャン(nhimajyan)という縄を鼻に結んで、出発に備えた。別れの挨拶をして、彼らは下方へ向けて歩き始めた。アルタルッバ(Altarbba)、チャウフシャ・ダルティ(Chaufwusya dharti)、シャクシナ(Syaksina)を経て、クシトゥ(Kshytwu)あるいはチヤレカ(Chhiyaleka)に至り、マルラ(Marula)でチャワルを岩に結びつけ、休息を取った。それからコカチオ・クティ(Kokachio kuti)、リビナ・ダン(Rhibyina dan)を経て、対の胡桃樹のもとで休憩を取り、サラナクシェン(Salanakhsyen)とバグラ(Bagura)で坐って休んだ。ワーグラ(叔父)は妹がもたらしたチャワルを運び、籾米で祝福し、角と鼻に縄を結んで、出発した。下方へさらに歩き、チャンティアウン(Chanthiaun)に感化されたピャラシタ(Pyalasitha)に着いた。

 彼らがピャラシタ(ピャラシ谷)に着いたとき、かねてからの約束通りチャップ・ビャラチャイ(子羊 chappwu byalachai)とプーリーを女神に捧げた。

「チャンティ山神に感化されたピャラシ女神よ! 天神ミヤル・ミサルの息子のチャワルを導きたまえ」

 彼らはマーリパ(Maalipaa)、ダルマ(Darma)、ダジャン(Dajyan)、ショショティ(Syosyoti)、ディンディ(Dindi)、ヤグスル(Yagswuru)、シャジャタ(Syajatha)を経て、シャウン川(Syaaun)を越えてラチビ(Rachibyi)にギーを捧げ、ジブティ(Jibti)のラム・サムピャー(Ram sampyaa)に到着した。彼らは十字路に棘樹の枝を置き、邪視がチャワルにつかないようにした。それから下っていくと怪物グバラ・チャマ(Gubala chhama)を退治し、ラウンリナ山(Raunlina)山頂のシャカプンウ(Syakhwapunwu)に達したとき、大女神の廟で旗を立てた。さらに下るとシルダーンガ(Sirdaanga)のシャンボトゥ(Syanbotwu)、すなわち欲望世界を打破する場所に至った。ピピ王(Pyipyihajaa)のシルカ村(Sirkhaa)を経て、大麦をチベットの塩と交換する役目を負った山羊と羊の世話人トゥディスガー(Twudisgaa)とニュンディパー(Nyundipaa)が家畜をともなって出発した。彼らはダウンダウンラ(Daundaunlaa)とパガラー(Pagalaa)を経てカーリ川(Kaali)を渡った。彼らはコタムダン(Kotamdan)とトゥサール・パーニ(Tusaar paani)を経てガルタダ(Galthada)に到着した。

 シャラウンシャン・タム・ター(syaraunsyan tam taa)、すなわちシャーウン(syaaun)の住まいのなかで最高の水路である石製の水路から水を引く。シナ・ドゥム・ドゥマ(Sina dum duma)の八番目の穀物倉庫のあと、九番目の穀物倉庫にたどり着く。彼らはシャラム(Syaram)で出会い、挨拶を交わす。彼らは森から薪をもってきて、水路から水を引き、三つの大きな石で囲炉裏を作る。彼らは米を囲炉裏の上にのせ、ダル・スープを作る。食事の準備が整うと、羊飼いのニュンディパーはテントを立て、食事を取る。山羊飼いのウディシャー(Wudisyaa)は鎌をもち、山羊の頭を牽いて歩くと、足跡を羊の群れが追っていく。羊飼いは穀物の持ち主と大麦と塩の交換について話し合いながら言った。

「主人よ! 私のひとつまみの塩に対し、二掴みの大麦ではどうかね」。

 話はそれでまとまり、交換して得た大麦を山羊飼いはつぎつぎと袋に詰め込んだ。翌日、羊と山羊の背袋にぎっしりと大麦を詰め込み、帰路に向かった。山羊飼いと山羊の群れが前を、羊飼いと羊の群れが後を歩いた。

 長い道のりののち、トゥディシャーとニュディパーは穀物の持ち主の九番目の倉庫を過ぎ、寺院で籾米を撒いて大女神を拝み、色とりどりの旗を立てたあと、ガルタータ(Galthaatha)に到着した。クブス・クブス(Khubswu khubswu)、クシャラナシウ(kshyaranashiwu)、そして伝説に出てくるショリララー(Syorilalaa)を経て、ラルパン(Rarpan またはラプラー Raplaa)のシンシャー・ダール(Synsyaa dhaaru)水路に到着し、水路を開いた。それから長い間歩き、ダウラパイロ(Dhaulapairo)、コテ・ダン(Kothe dan)を経てビャサ(Byasa)谷から流れてくるカリ川を渡り、パンガラー(Pangalaa)に着いた。カルゴティハヤー(Kargothihayaa Karagothe=女神)を経て、シャバラウンタン(Syobharaunthan)に着くと、羊・山羊とともに休憩を取った。彼らは羊や山羊の背に積んでいた荷物を下ろした。山積みになった荷物を見たカラゴタ女神の祭司は恐れおののき、言った。

「私はここの女王。私以上に力ある者、尊敬される者などあろうはずがない」。

 女神のことばを聞いたふたりに異論はなかった。それでも彼らは荷下ろしをやめなかったので、荷物の山はますます堆くなっていった。

 山羊や羊の背からつぎつぎと下ろされる袋を見て、カラゴティ女神の祭司は驚いて言った。

「あなたの袋は山積みになって、私の家よりも高くなった」。

 カラゴティ女神の祭司はそう言いながら、震えおののいた。いっぽう彼らはまた袋を羊や山羊の背にのせ、ふたたび歩き始めた。上方に歩くと、シルダン(Sirdang)のシャンバントゥ(Syanbantwu)で休憩した。ラジャトゥ(Rajatwu)とチャワジャカラ(Chhawajakhara)すなわちヤク売買人はそこで休憩を取った。羊飼いと山羊飼いとヤク売買人はそこでいっしょになった。さらに上方に歩き、破壊の大神ヘウヤーガバラー(Mahadeva Heuyaagabalaa)が鎮座するバルワ洞窟(Baruwa fwu)にたどりついた。

 彼らはトゥルティナ(Tulthina)の山頂に至り、ブブ・スマリムティナ(Bubu sumarhimthina)のチャワルをたったひとりの妹に渡し、責任を果たすとともに仕事を終えることとなった。彼らは行進して天神ミヤル・ミサルの息子のアストゥ(骨)が保存された場所に到着した。彼らはシャバントゥ(Syabantwu)に着くと、チャワルを結びつけた。山羊飼いと羊飼いは家畜を庭に連れてきて荷下ろしをした。村人は集まってきて、大麦を各自の器に移しかえた。それらは囲炉裏端に保存され、グワンユ(gwanyu酒)作りに使われる。

 囲炉裏から取り出されたグワンユは敷物の上に広げられ、冷まされる。それにはバルガー(balgaa)、つまり麹が混ぜられる。翌日、酒は十分に発酵している。担当の少女は新酒の味見をし、宣する。

「親戚の皆さん、近所の皆さん、お酒はとても甘く、柔らかい味に仕上がりました。死者の魂もとても満足されることでしょう」。

 村人ピナルワウ・ピサウン(Pinalwau pisaun)とラウント(Raunto)はまた死者のためにご飯を炊いた。さまざまな食事が囲炉裏から運ばれた。主宰人クシャマー・ジュナクシュム(Kshyamaa junakshum)は故人の叔父を遣って、故人の像を作るためボジュ・パトラ(Bhoj patra)の樹を伐らせる。義理の長女には故人のための靴を縫わせる。またピンダ(団子)を作るため、ふたりの女が製粉所に行かされ、穀物を挽く。彼らは穀物袋を背負い、ジュンティ(Jyunti)にある製粉所に行く。彼らは穀物を水車に入れ、水を流す。粉が挽かれ、ダラン(トルマ)が作られる。こうして魂は崇められ、ピンダを受け取ることができるのである。ひとりの少女はシン・ウィヒナ・ダラン(Sing Wihina Dalan すなわち角のないダラン)に祈りながら、言った。

「新しい死者よ! このグワンユ(酒)とグワナジャー(gwanajaa供え物)がおまえの取り分である」。

 少女はダランの半分を製粉所の主人に与え、残りを村人に分配した。また死者の魂に捧げられた麦酒にもふるまった。そして麦粉は袋に詰め、水の流れは止められた。袋を背負い、少女らは死者の家に向かった。ソソ川(Soso)の川岸、マーイタン(Maaithan)に着くと、道路の下の泥神ビムミャータナ(Byimmyaathana)に塩と白い籾米を捧げた。彼らはチャウダシュ(Chaudash)の神バンバーシャ・サイ(Banbaasya sai)の下で休憩を取った。それから道を上がって行き、天神ミヤル・ミサルの邸の庭に着くと、クシャルマ・ジュンクシュマ(Kshyarmaa Junkshyma)は彼らを邸内に呼び寄せた。彼らは死者の像のためにボジュパトラ(Bhojpatra)樹を切る叔父と靴を縫う義理の娘を浄めた。村人らはピンダを捧げる。ダランに祈った少女はこう言う。

「死者よ、このダランはおまえに捧げられたものであり、受け取らなければならない」。

 これ以降、ピンダを捧げる儀式がはじまったのである。

 薪は三つの石で作られた囲炉裏に置かれた。鉄鍋は囲炉裏のなかに置かれ、油が注がれた。油の中に大きなパン屑(khwarapwunwu)と小さなパン屑(khwarumyinwu)が入れられた。パン屑は先の尖った棒で混ぜられた。プディが大きな皿に盛られた。プディは死者の魂に捧げられたのである。ふたりの少女がバダンティナ・チクラー帽(badantyna chikulaa)をさかさまに被り、アルミニウムの水差しに水をそそぎ、杯に麦酒を入れ、たいまつをもって庭から屋根の上に上がる。日が昇る方向の屋根の上に三角形の木を置き、その上にさらにスレートを置く。彼女たちはその上に2個のプディを置いた。また反対方向に手でビールを撒く。

 屋根から室内に戻ると、村人によってジャーロニ(jaaloni)が用意されていた。ジャーロニは大きな篭のなかに入っているが、その上は棘樹(ラチナチ rachinachi)と馬の尾(ティンピャースリ tyinpyaasuri)でできた縄で覆われていて、邪視によって害されないようになっていた。少女らはその篭をもち、クシャルマー・ジュンクシャマに渡した。彼は家族の数を数え、各家にロニを分配した。そのあとすぐレロニ(Rheloni)、すなわち浄化のためのプディが作られ、グワン(葬送儀礼)完了後の浄めに使われるのである。天神ミヤル・ミサルの村人、プウィルウィ・ピサウンとラウント・スムサウが呼ばれる。

 すべての人が食事をし、麦酒を飲む。義理の長女がベトゥ(betwo)の火をつける。彼らはベトゥ(マーバン maaban)の周囲を、ドラムを叩きながらまわる。次の日カナパットゥ(kanapattu)、すなわちアストゥ(骨)が保存された場所へ行く準備をする。そのために必要なものをそろえる。トゥムフ・ボクチャ(thumfu bokcha 靴)、赤や青の食べ物(saamaakhalana サーマーカラナ)、白籾米、金銀の装飾品、ターバン、ワダティナ・チクラ帽(wadatyina chikula)、ジャンカ・フル(janka furu 焼いた籾米か大麦。死者の旅のガイドに使われる)などである。義理の長女がチャワルを庭に連れて入り、マーバンに繋げる。村人や少女たち、長女らはアストゥが保存された場所へ行き、アストゥを取り出して、トゥムフ・ボクチャ(死者のための靴)に入れる。靴は縫い閉じられ、安全になる。蛇よけ、色とりどりの糸、スレートなどが骨の上に置かれ、イスタン(isthan)は投げ捨てられ、粉々になる。彼らはチャガーンヤ(chhagaanyaa)、すなわちチャワルのところに戻ってきて、白い籾米を撒いて崇めながら言う。

「新しい死者よ! 神とおなじように我々を守ってください」。

 チャワルはぶるぶると震え、死者を受け入れたことを示す。村人はその角にラタム(ratham)、すなわち印をつけ、白い旗をくくりつける。死者の衣服、靴などはチャワルにのせられる。

 死者が生前着ていた衣服やターバン(ケロ・シライ kero silai)、ルチナチ(棘樹の枝 ruchinachi)、馬の尾から作った縄などを牛の上に置く。白い旗をガイドの印としてその角に結わえる。家路につく前、ひとりの男が棘樹の枝で牛の背を叩き、魔を祓う。そのあと男はそれを十字路に埋める。少女たちは牛を追い、叔父あるいは義理の長女が角を押さえながら、天神ミヤル・ミサルの家の庭にたどりつく。クシャルマ・ジュンクシマによって庭には筵が敷かれ、その上にさまざまな食事が用意される。少女は牛の角に結われた白旗をクシャルマ・ジュンクシマの家の窓に掲げる。村人たちは牛を死者の魂に捧げるため、食べ物や麦酒を与える。少女たちは泣き喚いて、死の悲しみを表現する。これらのあと、牛から衣服などが取られる。義理の長女はまた牛をマーバンに結びつける。それから彼らはジュ(jwu 死者の像)を作る。

 ジュを作るため、ドカ(竹篭)をさかさまにして伏せ、グカシン(三つの木片)を立てる。部屋中に丈夫な縄が張り巡らされ、衣服や靴などが吊るされる。まずトゥンフ・ボクチャが像の足元に置かれる。その上に衣服が置かれる。死者の像の顔は十二支が描かれた円形の真鍮、ラムチェ・マーダネ(lamchwe maadane)で作られる。像は装飾品、金や銀で飾られる。その肩には弓と矢が掛けられる。ショールや白い布を掛ける。像のまわりには、芥子油の灯明、炒った麦粒を混ぜたギー、アルミニウムの杯に入れた麦酒、ふたつのプーリー、二片の肉などが供えられる。像の左右には花が挿された一対の水瓶が置かれる。ジュンクシャマーはアマリチャ(道のプラダルシャク)とバリチャ(イスタンのプラダルシャク)を連れてきて、寝かせる。それは死者の魂を救済に導くためである。はじめに家族がジュに供え物をして籾米を撒いて祈る。つづいて村人や親戚、友人があいついで祈りを捧げる。アマリチャとバリチャもフル(白籾米)を供え、魂を救済に導く。

 天神ミヤル・ミサルの婚姻関係のある外戚集団ギクミ(gikhwumyi)が太鼓を鳴らし、集団でダンスを踊る。彼らが奏でる音楽は亡魂を死者の世界へ導くだろう。ひとりの男が庭の中央で火をつけ、そのまわりを彼らは集団で踊る。彼らはカンガー・ビャナ・トゥル(kangaa byana thulwu)というターバンを被り、盾と剣をもって踊り、冥界と現世の交わる場所、バントゥ(Bantwo)から庭にやってくる。彼らが庭に着くと、義理の長女や叔母方がジャーンド(jaand)という飲み物を与える。このように人々は手に手を取ってダンスを踊り、亡魂の恐怖感を減じるのだ。ひとりの近親者はジュ(jwu 像)を前につぎのように言うだろう。

「新しい死者よ! 外戚の人々が盾と剣をもち狂騒的な雰囲気のなかで踊っている。だからすこしも恐れる必要などない」。

 彼らは室内に入り、ジュ(像)を置くと、義理の長女は麦酒で迎える。アマリチャ(Amarhicha)とバリチャ(Barhicha)はジュの左右に坐り、亡魂を導く儀礼を行う。翌朝クシャルマ・ジュンクシマ(Kshyarmaa junkshyma 導き手)は村人ピントゥ・ピサウン(Pintwu pisaun)とスムサウン(Sumsaun)を呼び、彼らにジュジュシャ(jyujyusya)、すなわちマンサ・ピンダ(mansa pinda)を与える。彼は家族の数を数え、それを村人たちにも分配する。

 ブントゥ(Buntwo)においてティヤウ(Tyaau 供品)が捨てられる。同時にベトゥ(Betwo)つまりマーバン(Maaban)でも囲炉裏に火が着けられる。村人や他村からの人々は集団で踊り、囲炉裏のまわりで太鼓を鳴らせば、次第に他界の存在が感じられるようになる。マーバンでティヤウを捨てたあと、義理の長女の親戚たちは清潔な生活用具をもって家の中に入ってきて、クシャルマ・ジュンクシマに渡す。彼はゴリカルパ(golikalpa 一対のピンダ)、二片の肉、一対の花で飾った水差し、大きな杯の麦酒などをジュ(像)に供える。アマリチャとバリチャは魂を救済へと導く。ひとりの男がロニ(loni)の入ったドコ(doko)をマーバンにもってきたあと、数を数え、人々に分配する。天神ミヤル・ミサルの庭では死者の叔父が食べ物を死者に供えている。囲炉裏には火が着けられ、鍋がその上に置かれる。

 ナティハーラ(natihaala)、すなわち叔父側の人々は囲炉裏からご飯を持って、庭に出て筵をひろげ、その上にカーペットを敷く。ご飯といっしょにさまざまな料理や麦酒が出される。お香や白籾米なども亡魂に捧げられる。このあとバトゥ(マーバン)から牛が引いて来られる。叔父と義理の長女はチャワル(牛)に白籾米を撒きながら、言う。

「新しい死者よ! よく聞け。いまおまえは死者の世界の住人となった。(この世に執着するという)悪い考えは持たないほうがいい。さあ、我々に何をしてほしい? 我々はピンダでおまえを養うつもりだ」

 それから村人ピンル・ピサウンやラウント・スムサウンは呼ばれて供え物や叔父、長女が捧げたピンダなどを食べた。村人も饗宴に呼ばれた。人数を数えてそれぞれに食事と酒がふるまわれたので、だれもが相応の分を得た。真昼時、マーバンの囲炉裏に火が着けられた。

 ラビャーミ(Rabyaamyi クラン内の親戚)とジュンバーミ(Jyumbaamyi クラン外の村人)がマーバンでジャンス・ダウス太鼓(jansu dauswu)を叩きながら、集団でダンスを踊る。彼らは口笛を吹き陽気に騒ぎたて、亡魂を霊界にとどめようとする。そうして親戚や村人は松明をもち、グンガト(ghunghat)のようなバダンティナ・チクラ帽(badantyina chikula)をさかさまに被って、庭からマーバン(maaban)へ向かう。マーバンではプリュ・プクセ(pwuryu pukse 奉納物)が人々に配られる。バダナティナ・チクラ帽を(さかさまに)被った少女たちや、シャラ・チャマラガー(syala chhamaragaa 長い外套)をさかさまに着た男たちは奉納物をもって家の中に入り、あとでマーバンへ持ち帰る。クラン内の親戚やクラン外の村人、友人などはマーバンで盾と剣をもって集団でダンスを踊る。像に供えられたものは熱狂のうちに捨てられる。叔父や義理の長女、ついでピンル・ピサウン(Pinlwu pisaun)やラウント・スムサウ(Raunto sumsau)が浄めのダンスを踊る。彼らはこうしてスタク(sutak)、すなわち誕生や死による穢れを免れる。像にかけられていた布飾りははがされ、家の中に運ばれる。

 大きな筵が庭に準備される。その上にきれいな布がクシャルマ・ジュンクシュマ(Kshyarmaa junkshyma)によって置かれる。奉納された米が皿に盛られる。アルミニウムの杯には麦酒が注がれる。水瓶は水で満たされる。チャワル(chawar)は叔父によってシャンバトゥボ(syanbatbo 祭壇)から運ばれる。チャワルははじめに妻によって捧げられる。また牛のあばら骨が洗われる。牛はパウンチャーケル(paunchhaaker)、すなわち最後の食事として捧げられるのだ。親族や村人が家の中に入ると像から剥ぎ取られた服や飾りがある。口笛を吹いたりやじったりという熱狂的な雰囲気のなかで近親者がほぼ裸になった像を背負って家の外に出る。家の外では村人たちがわずかに残っていた像の服を剥ぎ取る。ふたりの少女は死者の道を示す白い布をひろげ、それに沿って死者の衣服や靴、剣や弓矢がチャワルの上に飾られる。チャワルは家から外に捨てられ、その後アストゥ(asthu)の場所に持っていかれる。主宰者は少女と少年を指名し、アストゥを浄める場所へ行かせる。彼らには奉納した炒ったアクシャタ(akshyataa)を手渡される。彼らはアクシャタの入った袋をもってアストゥの場所に着く。そこから彼らはトゥムパウ・ボクチュ(thumpawu bokchwu)、すなわち死者の靴を持ち出す。長い時間歩いたあと、高い頂上に着き、そこで彼らは三個の胡桃を落とす。古い亡魂たちは自分たちの席のことを忘れてそれを追いかける。そうして新しい亡魂は霊界の安らぎの場所に席を得ることができるのである。

 少女と少年は浄めの場所、ラーケ・ラーラウン(rhaake rhaaraun)に着く。彼らはジャンカ・フル(janka fwuru)、すなわち死者を霊界に導くために炒ったアクシャタで満たされたカルカ(karkha)、すなわちバッグをあける。少女はジャンカ・フルを取り出してグンガト帽のなかに入れ、浄めのために村人に分配する。彼らは家にもどったときに言う。

「この場所は棘樹とゴミに満たされ、我々はもう二度と来ることはないだろう」。そう言ったあと、彼らは杉の枝をもって降りてくる。彼らは顔や手を洗い、九つの白石九つの黒石を選ぶ。長い道のりを下って、彼らはアストゥを保存している場所にたどりつく。同じクランの者たち、クランの異なる隣人たちがここに集まってくる。叔母の側の者が石を並べ、村人はそれを飛び越え、こうして浄めをする。そのあと石が叔母側の者によって破壊される。村人たちは、手に手を取り、同じ足取りで、喜びに満たされ、家路に向かいながら言うだろう。

「悪い時は過ぎた、いい時が来ようとしている。祖先の神よ、我々を守ってください! すべて三十三天の神々と女神らは我々とともにあります」。

 こうして口笛を吹いたり熱狂したりしながら村人たちは死者の家の庭に着く。

 死者の家の庭に大きな筵が敷かれる。浄めのためのプディ、籾米が盛られた皿、麦酒が満たされた土瓶、花が飾られた水瓶、羊のあばら骨肉、塩、胡麻油と混ぜられたチリ、これらが庭に置かれる。すべての村人が集まり、祖先神を拝むプジャのために使われる籾米が配られる。プジャのあと、クラン外の村人が羊のあばら骨肉を切り、塩やチリを混ぜ合わせる。プラサド(prasad)、すなわち神に奉納される酒と食べ物は村人に分配される。

 翌日、聖水で満たされた大きな瓶、穀物が並べられた大きな筵、白旗が挿された緑樹の枝、また小麦粉でできた鹿の像がのった皿など、祭祀に必要な物はクシャルマ・ジュンクシマによって揃えられた。村人たちはまた家から穀物(米)をもってきた。クシャルマ・ジュンクシマは数を数え、奉納物を村人に分配した。浄められた物を受け取ったあと、村人たちは古くなった奉納物を捨てる。そして古い靴を屋根の上の三角形の木あるいは棒の上に置く。プディが盛られた皿やきれいな水の入った瓶なども捨てられる。そして村人たちは浄めの意味で自身に油を降り注ぎ、マッサージする。

 ミヤル・ミサルの女性は(まとめていない)髪を洗い、梳る。そしてスタク(sutak)、すなわち不浄の象徴としてはずしていた腕輪類をふたたびはめる。はずしていた首飾りも首にかける。

 クシャルマ・ジュンクシマはナリ(nali)を穀粒で満たし、家の中に入る。人々は小麦粉で作られた牡鹿の像に祈りを捧げ、白旗の挿された緑樹の枝や籾米の盛られた皿、花が挿された聖水の瓶などをもって室内に入る。村人や親戚は集まって新しい死者の魂に祈りを捧げる。彼らは白籾米をもち、犠牲の山羊を屠る。屠る前に、緑樹の枝を置き、死者の名を唱え、お香を燃やす。聖水を山羊の背中に撒き、新しい死者に向かって言う。

「新しい死者よ! 日に日におまえは神と等しくなろうとしている。どうか我々にご加護を!」

 それから山羊は受け入れた徴に尾をふるわせる。すると山羊は屠られる。

 シャーマンは山羊の肝臓を見て占いをする。

「村人よ! よく聞くのだ。肝臓を見ると、死者が我々のプジャを受け入れたことがわかった。死者の魂は我々を守ってくれるだろう。今後悪い日は少なくなり、いい日が増えていくだろう」。

 山羊の肝臓は塩やチリとよく混ぜ合わされ、村人に分配される。そして村人たちは祈りをあげる。

「雌鹿のように美しくあれ、牡鹿のように長生きであれ! 希望と享楽と繁栄が村中に広まりますように!」。

 

ブブ・アウマリミナの残部Bubu Aumarhimyina

 タカウン・ティピャー川(Takaun tipyaa)のラーヤルクティ(Laayarkuti)に住む二兄弟のたったひとりの妹は正門から庭に入ってくる。彼女はミヤル・ミサルの冥界の幻影を壊すべく燃えている火を庭に見る。彼女は火を取り、その炎を消し、くすぶる火を持って自身の家の中に入る。彼女は死んでしまった兄弟の二体の像を作り、親戚や隣人や村人を呼ぶ。彼らは二体の像を二兄弟とみなし、火葬場にもっていく。

 火葬場に着くと、積み薪が組まれた。積み薪のなかに木が入れられる。東に顔を向くようにして遺体を積み薪の上に載せる。また浄めのため遺体の口に金銀を入れる。そして緑樹の葉や花が手向けられる。

 着火され、煙が遺体から上がる。風が強く吹き、煙は叔母の村の方向へなびいていく。風の向きが変わると、今度は死者の村の方向へとなびいていく。積み薪は燃えつきて、灰になる。村人は集まって灰のなかからアストゥ(遺骨)を選び出す。5人の男と6人の女がアストゥを運ぶべく、羊毛の糸や白い布、小箱などを持って、家から火葬場へ向かう。火葬場に着くと、男が灰に向かって石を投げ、魔物を追い散らす。男は竹箸で灰をまさぐってアストゥを探す。しかし実際に燃えているのは兄弟プバーンユとシャバーンヤウンの像にすぎないので、アストゥはみつからない。そのかわりにピンチャ(pincha)という貝状のものを持ち帰る。毛糸を持った少女たちがアストゥ(の代わり)を背負って家に帰る。アストゥはアストゥ・イスタン(Asthu isthan)に安置され、ミヤル・ミサルによって執り行われる儀式をキャナリンシャ(Kyanarhinsya)が模する。

 ミヤル・ミサルの息子の葬送儀礼をたったひとりの妹が模する。彼女は兄弟プバーンユとシャバーンヤウンの葬送儀礼に必要な物をすべて集める。チャワル牛も死者の象徴として必要とされる。彼女は不謹慎な関係で夫とした兄弟の葬送儀礼を行う。空は黒雲で覆われる。夫婦関係は不謹慎だったので、嵐がやってきて、雷がとどろき、雷光が光った。そうして妹とチャワル牛は消えた。間違った行為による報いなのである。