シャーマンの旅 第7章
ウェティコという疫病
シャーマンたちはいつだってこの破壊的な、サイコパスのような力のことを知っていた。異なるシャーマン的な文化が違う名前でそれを呼んでいた。何度も言うように、西欧社会では我々がシャーマンを抹殺してきたので、これに対する名前を持たない。それゆえほかの文化から名前を拝借しなければならない。(シャーマンという言葉自体がそうして他から拝借した) だからこの破壊的な、サイコパスのような力に対し、我々は北米のアルゴンキン族の言葉からウェティコという語を当てたのである。この言葉は、ポール・リーヴィの著書『ウェティコを駆逐する――悪しき呪いを破壊』(2013)によって、またジャック・フォーブスの『コロンブスとほかの食人者たち:開拓、帝国主義、テロリズムというウェティコ病』(2008)によってよく知られるようになった。現代においては、簡単にオンライン上でウェティコに関する記事やほかの情報、資料を見つけることができるだろう。ウェティコは、寄生する霊であり、思考様式である。きわめて破壊的であり、貪欲、身勝手、過度な消費に突き動かされることである。それはウィルスのように人々にうつり、文字どおりとり憑く。ひとたびだれかに憑いたら、人は錯覚して、自己の名声と権益を増大するために、他者の生命力やエネルギーを消費することが自然であり、称賛すべき生き方であると考えるようになる。そして操られて、人を食い物にし、寄生するライフスタイルを送るようになる。本質的に、彼らは他の人々や地球を食うカニバル(人食い人種)なのである。
ウェティコは中間世界の精霊である。彼らは上層世界や下層世界には存在しない。それは中間世界にはびこっている。(それが「えぐり出す」ためのもうひとつの理由であり、中間世界でおこなうことには注意しなければならない) それは繁栄し、破壊のなかに隠れようとし、欺瞞を育てる。それとうまくやっていくために、我々はまずそれが存在していることを知り、それを特定し、我々が取り組んでいるものであることを理解しなければならない。それはつねに我々とともにいるのだ。シャーマンはそれが古代から存在する精霊だという。じつにそれがウェティコについてシャーマンが持っている知識なのである。シャーマンは過去にはウェティコをコントロール下に置き、この精霊から狩猟採集民の安全を守った。何十万年もの間、シャーマンは我々の守護者だった。シャーマンは精霊のパワーを知り、理解していた。そしてウェティコのようなものがいかに危険であるかを熟知していた。狩猟採集民社会においてウェティコの兆候が現れれば、叩き落し、根こそぎにしたのはまさにこうした理由からだった。(野生のヒヒの群れがゴミ捨て場でおなじことを学んだ) 我々がシャーマニズムに背を向けたときにはじめて、ウェティコは自由に人の文化にとりつき、感染し、我々がいま見ている、あるいはそのなかで生きている疫病になるのだ。
(つづく)