シャンバラとケサル王 (宮本編)
アンドレイ・ズナメンスキー (ロシア)
『赤いシャンバラ』(2011)
チベットやモンゴルにおける反中国的予言
中国の攻勢にたいし、チベット人やモンゴル人はシャンバラのような予言を頼りとするほかなかった。1840年代、タシルンポ僧院を訪ねたフランスの宣教師ユック神父は、チベットの国家主権を侵害している中国に対する精神的レジスタンスとして、この神話がいかに役立っているかについて述べている。
ユック神父が聞いた予言によれば、仏教の信仰が衰えたとき、「禁断の王国」(チベット)は中国人に乗っ取られてしまうという。
真の信仰を保持するのは、パンチェンラマを信奉するカロンだけとなる。彼らはアルタイとトゥヴァの間のどこかに避難所を見つけることだろう。このはるかに遠い神秘的な北方の国で、パンチェンラマの転生が発見されるだろう。
その間、服従させられた人々は、自発的な反乱という形で侵略者に対して立ち上がるだろう。
「チベット人は武器を取り、一日で、若者も老人も、すべての中国人を殺すだろう。そしてだれひとり国境地帯に侵入することはできないだろう」
このあと、怒った満州皇帝(清朝皇帝)は大規模の軍隊を招集し、チベットへ侵攻し、人々を斬り殺し、町を焼くだろう。
「血がほとばしり出て、赤い川の先に血溜まりができるほどだろう。中国人はそうしてふたたびチベットを占領することになるだろう」
それは聖人中の聖人である転生したパンチェンラマが、不信心者から信仰の篤い者を救うために乗り出すときのことである。チベットの精神的リーダーは、聖なる共同体のメンバーを、生きている者であれ、死んでいる者であれ、集めて、矢やマスケット銃を装備した強力な軍隊をつくりあげるだろう。
パンチェンラマに率いられた軍隊は南へ行進し、中国人を八つ裂きにするだろう。彼は信仰の敵を一掃するだけでなく、チベット、モンゴル、中国全土、はるか遠くの大国オロス(ロシア)までも征服するだろう。
パンチェンラマは世界の王であり、チベット仏教は世界で勝利したと宣言するだろう。
「壮麗な仏教僧院があらゆるところに建てられ、世界全体が仏教の祈祷の力を認識することになるだろう」
内陸アジアの遊牧民の世界は、叙事詩の伝説、神話、妖精物語、物語に満ちている。一般的な民衆、とくに文盲の羊飼いは、そういったものを共有している。あるいは物語の語り手やシャーマンから受け取るのである。
予言は口承文化においては、重要な役割を持っていた。とくに困難な時期、生活が不安定で、劇的な変化に精神が対応しきれないとき、民衆を助けるという面があった。予言は燎原の火のように広がり、民衆をなぐさめ、奮い立たせて敵に向わせ、彼らを正しい道に導いた。
学識のあるラマは頻繁にこれらのメッセージを紙に書きとめ、連鎖手紙(幸福の手紙)のように他の寺院にまで渡っていった。
モンゴルやチベットの人々は、これらの予言を真剣に受け止めた。たとえば、ユック神父は、チベット人がシャンバラの予言を文字通りに信じていることに驚愕した。一般的なメッセージだけでなく、具体的にどういうことが起きるかという予言の詳細にいたるまで、真実とみなしていたのである。
「だれもがそれら(予言)をたしかなものとして、誤りのないものとして話をしている」
キリスト教のバイアスがかかっているとはいえ、明敏な宣教師はまた、出回っている予言の爆発的な力について記している。
「こういったばかばかしい、突飛ともいえるアイデアは大衆を、とくにカロン(*カーラチャクラの予言)を信じる人々を動かした。彼らは将来、チベットで反旗を翻すだろう」
もし20世紀はじめの内陸アジアに予期したできごとが実際に起きているとしたら、神父は正確に、北方からひとりの賢明な強い意思を持った個人がやってきて、民衆の感情に訴えて自身がパンチェンラマと宣言することを予言していたことになる。
シャンバラ以外にも、モンゴル人・チベット人が精神的抵抗を示す手段がいくつかある。そのうちのひとつは、英雄叙事詩の英雄を、また歴史的人物を聖なる存在に転じるというやりかたである。たとえば、チンギス・ハーンはモンゴル仏教の守護神に転じている。
もうひとりの人気がある神は、ブリヤート人、東モンゴル人、チベット人の間で流布している伝説的英雄、ゲセル・ハーンである。悪から人々を救うため、ホルムスタ神から送られたゲセルは、競馬の競技に勝利することで彼の王国を取り戻し、チベットの悪魔どもを打ち破り、モンゴルで略奪を働く野蛮人を粉砕し、彼らを追って遠くペルシアまで遠征する。土着の叙事詩人は、輝かしい英雄の偉業を歌い、筋書きに彼なりの詳細を加えていく。
物語の語り手の一部は、ゲセルとシャンバラ王を融合させた。シャンバラ王は必要なときに北方からふたたび現れ、悪魔の勢力から人々を救い出すのだ。