4 猴祖伝説
人間は猿から進化したというダーウィンの進化論が発表されたときの英国の衝撃はどんなに大きかっただろうか、と思う。人間と猿の遺伝子が98・5%おなじだということがわかっている今でさえ、心のどこかは認めたがらない。世界にひとの猿起源神話が少ないのはそのせいだろう。チベットの猴祖神話はまれなる例のひとつだ。
吐蕃王家の故地ヤルルン谷に伝わる民間伝説では、つぎのようになっている。ここに一匹の猿が住んでいた。そこへやってきた羅刹女と夫婦になり、六匹の子どもが生まれた。三年たってもどってくると、子どもは五百匹以上に増えていて、食べ物に欠く悲惨な状態だった。
そこで猿は子どもたちを野生の穀物がなっている丘に連れて行き、これを食べろと命じた。そうして食の問題が解決すると、しだいにしっぽが消えていき、ことばもしゃべれるようになった。
この話に宗教的な彩りが添えられると、つぎのようになる。雪国チベットは法のない餓鬼の国だった。見かねた阿弥陀仏は観音菩薩を地上に送った。観音が猿に化身して岩窟で修行していると、岩魔女が見て、愛欲の念を起こした。しかし岩魔女もまたターラの化身だったのである。ふたりが交わって生まれた子どもがチベット人の先祖である。
もともと素朴な民間伝説であったのが、仏教バージョンに変形したのが後者である。観音菩薩もターラも後世、人気の出た神格なのだ。ダライラマは観音菩薩の生まれ変わりというふうに言われていたので、猿は観音菩薩の化身ということになったのだろう。
猴祖神話は、チベット・ビルマ語族には数多く見られるモティーフである。チベット人の猴祖神話が格別であるとか、めずらしい、ということはない。
『北史』や『隋史』の「党項伝」には、「党項羌、その種に宕昌、白狼あり、みな自らビ猴(ビはケモノヘンに弥)と称す」という一節がある。党項はのちのタングートやミニャクにつながるのだろうか。厳密な定義はともかく、五胡十六国から隋代にかけて、多くのチベット・ビルマ語族が猿の後裔を称していたのは、きわめて重要だ。
岷江上流のチャン(羌)族の巫師、シピは、儀礼を行なうとき猿の皮の帽子を被り、紙で作った猿の頭を老祖師として供えるのだという。最近発掘された神話では、父方の始祖はザンピワという猿であり、天神の娘ムチェジュと結婚して生まれたのが羌族の祖先だという。神話だけでなく、儀礼にも猴祖があらわれるということは、チャン(羌)族の猴祖がより古層に属することを物語っているといえる。
チベット族、チャン(羌)族のほか、イ族、ナシ族、リス族、ハニ族、ラフ族、プミ族、ヌー族、ペー(白)族、ジンポー族、ロパ族、デン(ニンベンに登)族などにも猴祖伝説が見られる。
たとえばナシ族の伝説は、三面記事的で面白い。雲南の永寧ナシ族の伝説中、洪水のあとツォデルゾは仙女ツェホジジメと結婚するが、のちツェホジジメは猿にだまされて性的関係を結び、半分人間、半分猿の二男二女を生む。トンバ経典のなかでも、仙女ツェフボボはツォゼリウと結婚したあと、白と黒の交わるところで手の長い猿と暮らし、子どもを生んでいる。モソ族(ナシ族支系)にも、天王の三女が結婚後、猿にだまされて交わり猿の子を生み、夫が帰宅したとき猿の子の体毛を焼こうとした、という伝説がある。
神界に属するはずの仙女がこともあろうに猿と浮気をして、不義の子を生むというモティーフがナシ族の伝説では一般的なのである。猿(野蛮なるもの)との交わり(恥辱)という罪の意識がキリスト教の原罪のようにわれわれの(ナシ族の)の血の中に流れているのだ。トンバ経典中には「ヒトと猿は、父親はおなじ、母親はべつ」という言い回しがあり、人間は猿から進化したというより、同等に兄弟として見ているふしがある。
もっとも多く見られるモティーフは、人間ははじめ猿だったが、火を起こし、調理された食べ物をたべるようになり、種を播き、田畑を耕すなど、「文明化」することによって、しっぽが消え、体を覆う毛が抜け、人間になるというものである。
実際にそういうことが起こったのかもしれない。人間は猿という野生の状態にあったが、文明化することによってさまざまなものを得た。一方で、勘とか感性とかを喪失してしまったのである。チャン族の巫師、シピが猴祖崇拝をおこなうのも、うしなわれた霊的感性への追悼だといえるのではなかろうか。