6 白と黒の謎

長年私の頭を悩ませてきた問題がある。それは、中国西北から西南にかけて、民族が白と黒に分けられることである。こちらは白族、あちらは黒族、というふうに分けられるとは、どういうことなのだろうか。

たとえば甘粛と四川の境界上に分布する自称ペー(一説には自称ド)の白馬族。これは名前の示す通り、白系。雲南大理などに分布するペー(白)族はもっと一目瞭然だが、自称もなぜか白馬族とおなじで、かつ中国語の白Baiの雲南方言発音と一致する。白はこのあたりの多くの民族の言語ではパァだ。だからパァミ、つまりプミ族は白系だ。白族も地方によっては自称レブで、リス族の自称と一致する。レブのレ、リスのリは白をあらわしている。ネパール東部のリンブー族の名もレブがなまったものと考えていい。リンブー語とリス語は同系統の言語でもある。

 自称ノスのイ族はノ(黒)ス(人)なので、黒系。古代には烏蛮と呼ばれていた。四川凉山イ族の場合、部族のなかにも支配者階級の黒イと被支配者階級の白イがあり、いっそうややこしくなっているが、黒族が白族を征服したのだと考えられる。雲南のアシ族やサニ族(両者ともイ族支系)などは白系のイ族である。ナシ族もナ(黒)シ(人。発音はヒ)であるから黒系である。

 しかし当のナシ族の人々に言わせれば、「とんでもない、われわれは白を崇拝している」ということになる。ナは黒ではなく、大いなるものの意だ、というのが彼らの主張だ。思うに、白崇拝か黒崇拝かは、白系・黒系とは無関係なのではなかろうか。

 最近になって、まさにこの点、チベット・ビルマ語族の白と黒に関して研究してきた学者がいることを知った。齢80を超える大老学者、陳宗祥氏である。

 氏によると、チベット・ビルマ語族は白人(白族)と黒人(黒族)とその他(融合)に分けることができる。白人は羊種であり、ジンポー族、ドゥロン族、コーラオ族、プミ族、白族、ピャオ族(古代ビルマ人、バーマ)が属する。黒人は牛種であり、メンパ族、アチャン族、ラフ族、リス族、ハニ族、ヌー族、ナシ族、イ族が属する。チベット人やチャン族、西夏人、凉山イ族などは融合である。ビルマ人、すなわちバーマが白族というのには驚いてしまったが、たしかにバーマとプミ族のパァミは似ている。

 とはいえ、厳密に区分けしようとした瞬間、手からスルリと抜け落ちてしまうような感触もある。リス族も黒族に入っていて、私の分け方とは異なっている。しかし鳥瞰的視点から見た場合、レヴィ=ストロースがひとつの部落に「双分組織」を認めたように、チベット・ビルマ語族全体のなかに白と黒の「対(つい)」を認めることができるのだ。

 なぜそういうものが生まれたのか、はっきりしたことはわからないが、遊牧民の時代に白と黒の対立、ないしは競合があったのかもしれない。中央アジアの歴史を見ると、モンゴル系やトルコ系民族が建てた国に、カラ・キタイやカラ・ハーン朝などカラ(黒)という語が好まれている。カラは黒色であるだけでなく、強盛という意味合いもあるのだ。上述の「ナは大いなるものの意だ」というナシ族のことばを思い起こすだろう。

 匈奴などと隣り合っていた古代羌族に黒優勢の観念が芽生えても不思議ではない。北から南へ移動し、侵攻した遊牧系民族が黒を標榜し、それに対抗した民族(農耕民とはかぎらない)が白を標榜したとしても不思議ではない。ナシ族がもともと遊牧系で、黒を標榜したものの、信仰においては白色崇拝だったとしても、なんら不思議ではないのだ。

 ナシ族のトンバ経典『白と黒の戦い』は、しかしこの文脈でとらえるべきではない。和士華氏は、諏訪哲郎氏が黒=遊牧民、白=農耕民、と捉えたことを激しく非難し、この話の起源を古代中国の商(白崇拝)と夏(黒崇拝)の争いにもとめている(2002)。しかしそれはあまりにファンタジーすぎるだろう。

 私は、一部の欧米の学者が論じるように、ゾロアスター教やマニ教の影響を受けたボン教宇宙創世神話がナシ族にもたらされた、「光と闇の戦い」神話だと考える。トンバがこの経典を唱えるのは、治療儀礼のときが多いのだ。近代療法に瞑想療法というのがある。白血球が癌細胞と戦い、やっつけていく場面を瞑想し、実際に癌治療にむすびつけるのである。白が黒と戦い、勝利することで、病気を起す魔物を退治することができるのだ。

 もしかすると、白と黒が光と闇である必要性はないかもしれないが、ネパール東部のリンブー族の神話にも、類似の「光と闇神話」がある。ユマという慈悲深い女神は「永遠の光」であり、戦争やいさかい、どろぼう、よこしまな考えなど、すべての「暗黒」を取り払うのである。白はやはり光であったほうがいい。

 現在も四川北部のアバ州を北上すると、遊牧民のヤクの毛を織って作った黒いテントが増えてくる。獰猛な牧羊犬までもが黒く、威圧感ったら相当なものがある。しかし遊牧地帯より南部は、黒の衣装が圧巻な大凉山イ族の地域を除くと、白色崇拝のほうがずっと目立つのである。チャン族やプミ族、ギャロン、ミニャク、ナムイなどの村を訪ねれば、まず白石崇拝が目に飛び込んでくるだろう。白のほうが清浄、善、明瞭といったイメージとむすびつきやすいのだ。

四川のチャン族には、シピ(巫師)がうたう白神と黒神の戦いの物語がある。白神はよい神、黒神は悪い神。黒神は白神に問う「おまえさん、何をしてるんだい」。白神は答えて「ひとは私を必要とする。私がいれば、富み、潤い、牧畜もさかんになるだろう」。白神は逆に問う。「じゃあおまえは何をしてるんだい」。黒神が答える「おれは妖魔と結び、悪鬼と交わってるのさ。いたるところに禍をよび、夫婦は仲たがい、嫁姑は大喧嘩、家畜には疫病をもたらし、家庭は不幸のどん底ってわけさ」。白神は怒って言う「すべての元凶はおまえだな。陰山の後ろ(辺鄙な場所)へ連れてってやる」「陰山の後ろへ連れてって、それがおまえに何の得になる?」「私は守護神なのだ。チャン族を守る義務があるのだ。おまえを陰山の後ろへ連れて行けば、すべてがよくなるのだ」

 この物語は(実際は韻を踏んでいるのでリズミカルだ)秋の収穫のあとなどによまれ、善神が悪神を退治することによって悪鬼を駆逐しようというものである。だから勝負は最初からついているのだ。