7 男9女7の謎
西南中国に何度も行って不思議に思ったことがもうひとつある。男をあらわす9と女をあらわす7という数字がとくに葬送儀礼のなかで頻出することである。
たとえばナシ族の火葬のとき、遺体は松枝の薪で組んだ井型の枠組みのなかに入れられ、燃やされる。そのとき死者が男であれば9段、女であれば7段の薪が積まれる。遺族は火葬場の周囲を男なら9周、女なら7周回る。墳墓上に男の死者なら9本の旗を、女なら7本の旗を立てる。祖霊を祭るのに、男の祖先には9つの塊の肉を、女の祖先には7つの塊の肉を捧げる。
万事がこういう調子で、男の9と女の7であふれているのだ。しかもナシ族にかぎらず、チベット・ビルマ語族のほぼすべてが9と7の組み合わせに支配されている。いったいこれはどういうことなのだろうか。聖数といえるのだろうか。
漢族にその風習があるかどうか、チェックすべきだろう。漢族の葬送儀礼のなかで象徴的な数字は9、7、5、3である。たとえば『礼記』「士葬礼」によれば、墓に建てる旗の長さは天子9尺、諸侯7尺、大夫5尺、士長3尺だった。遺体に含ませるご飯の量も、おなじ割合である。男女の差異ではなく、身分の差異をあらわすのだ。あるいは、男女は天子と諸侯ほどの差があるということなのかもしれない。性差別である。
漢族よりもむしろモンゴル人とのあいだに共通点が見出せるかもしれない。ヌー族などチベット・ビルマ語族には「天は9つ、地は7つ」という表現があるが、モンゴル人は「天は99、地は77」ととらえる。それぞれ11倍しているわけだが、99は無限をあらわす聖数である。9と7を好むモソ(自称ナズ)の創世詩に「天上に99族の神あり、地上に77族の人類あり」「77の岩窟を抜け、99の樹林を通り」などの表現が見出せるのは、これらは根本的には同一ということだ。(ナム・ガトゥサ 1999)
私はこの数字はバイオリズムと関係あるかもしれないと考えている。バイオリズムとは、20世紀初めにスウォボタ博士とフリース博士が発見した肉体の(男の)23日周期と感情の(女の)28日周期である。女が月のリズムに同調するのは当然だが、男もまたなにかのリズムに左右されていた。医療水準の低い当時、死産の割合は男女で28:23に近かったという。古代人はバイオリズムを感じ取っていたのだろうか。
最近私が驚いたのは、ネパールのグルン族の葬送儀礼にも、男9女7が見られることである。儀礼の際遺族は首に、男なら9つの結び目をもった9本の糸の束を、女なら7つの結び目をもった7本の糸の束をかける。9人の男の祖先、7人の女の祖先という言い方がある。9つの山と7つの湖という言い回しもまた男(山)と女(湖)をあらわす数字だ。
グルンは新しい名前で、彼ら自身はタムと呼ぶ。あきらかにタマンやタミと同源である。タマンは騎兵が訛ったものであり、タマン族はチベットからやってきた騎兵だなどという俗説も語られたが、むしろこの名前は共通する祖先の集団から発生したのではなかろうか。
唐代、現在の青海省に多弥という民族がいた。弥は人を意味するミであろうから、ド人、あるいはト人である。前述の陳宗祥氏によれば、白馬族の自称ド、アムドのド、トス人のト、そしてこの多弥(トミ)、どれも共通するものだという。青海省から四川省にわたる広範域にトミは分布していたのだ。その論を敷衍すれば、ネパールのタム、タマン、タミの先祖はトミと考えられないだろうか。
もうひとつ興味深いことをつけくわえるなら、グルン族は太陽をタイヤンと呼ぶことである。タイヤンはいうまでもなく、漢語だ。それは彼らが漢族だったというのではなく、漢族と接する地域にいたことを意味する。漢代に中国の前線基地が建設されはじめた青海湖や河湟地区などがその有力候補といえる。グルン族(タム族)は四川西北かチベット自治区東部のチャムドに南下し、ヤルツァンポ河を西へ遡り、ヒマラヤを越えて、ネパールへ達したのではないだろうか。