8 文字喪失伝承
私にとって馴染み深い中国西南には「我々はどうして文字を失ったか」をモティーフとした伝説が多く流布している。プーラン族やワ族などにも伝わるので、チベット・ビルマ語族にのみ存在するとはいえないが、「我々シャーマン(や祭司)はどうして文字を失ったか」に限定すると、俄然チベット・ビルマ語族特有の現象となってしまうのである。古代羌族の拡散とともに広がった可能性も出てくる。とすれば、チャン(羌)族の伝説はより原型に近いはずだ。
<かつてチャン族の巫師は竹に文字を刻んだ「竹経」をもっていた。ところが弟子が目を離したすきにヤギが竹経を、すなわち文字の刻まれた竹をかじってしまった。弟子は怒りのあまりヤギを殺し、その皮を剥いで太鼓を作り、叩きまくった。しかしその一撃一撃が弟子の頭を覚醒させ、経文が口をついて出た。古代の叡智はこうして伝わった。>
ヤギが重要な役割を果たすのはいかにもチャン族らしいが、不注意や愚かさゆえに文字をなくしてしまうのは、典型的な文字喪失説話である。これだけではネガティブなままに終わってしまうところだが、逆にわざわい転じて神秘的な能力を得たいきさつを述べているのだ。太鼓のパワーの源泉もあきらかにされる。
ハニ族にはいくつかの文字喪失説話が伝わっている。言語的に兄弟であり、宗教祭司も同一の名称であるイ族が固有の文字を保有するのに、ハニ族にはない、そんな劣等感が多くの説話を生み出したのだろうか。
<昔、ハニ族は首領に率いられてヌオマ河にたどりついた。あいにく雨季でなかなか河を渡ることができない。当時、彼らの宝はすべてのことが書き記された書物であり、祭司ペーマが所持していた。ペーマは河の波を恐がる首領にむかって「そんなに恐れることはあるまい!」と言って高らかに笑ったところ、その声が河神の目を覚まさせてしまった。
河神は三人の波浪神に書物を取ってくるよう命じた。ハニ族が河を渡るとき、一番目の波浪神が水牛のような怪物に、二番目の波浪神が虎のようなバケモノに化けて驚かしたが、ペーマは水の中でびくともしなかった。しかし三番目の波浪神が雷鳴に化けて驚かすと、ペーマは書物を放しそうになった。そこでペーマは両手が使えるよう書物を呑み込んだのである。
そうしてハニ族は文字を失ったが、ペーマは体内にすぐれた能力をもつようになった。六月年祭、十月年祭、葬送、婚礼、田植えのときに歌えるのはこの力のおかげである。>
この説話が物語性を帯びているのは、原型になる話があり、長い年月のあいだに尾鰭がついたということだ。前提として、ハニ族がはるか北方から南下してきて、途中で一度ならず大河を渡らなければならなかった歴史がある。そのために荷物となる書物は運べなかったのだろうか。
ネパールのタマン族に伝わる説話も根本的には同様の趣旨である。私はヒマラヤで何人かのボンボ(祭司)からこの説話を聞かされた。
<昔、四人の兄弟がいた。長じて長男はラマ、二男はボンボ、三男は領主、四男は農民となる。長男と二男はあるとき親から本をもらった。長男はそれを読み、一生懸命勉強したので、ラマになった。二男は本を囲炉裏に投げ込み、燃えた本の灰を食べ、ボンボになった。ボンボはそのため文字はもたないが、呪文や歌には霊力がある。いっぽうラマは経典を読めるが、表面だけであり、力はないのである。>
チャン族やハニ族の説話と微妙に異なるのは、ライバルが仏教の僧ということである。文字がない、あるいは読めない、ということはつねにコンプレックスであり、それをはね返すためには、呪術や怪異な力が必要とされたのだ。
チベット・ビルマ語族のなかで固有の文字をもつのは、チベット人、ミャンマー人、イ族、ナシ族などわずかにすぎない。ほとんどの民族は中国語やチベット語を借りて、音をあらわし、表現しているのだ。そんな苦境を逆手にとってシャーマンや祭司の神妙なる力を褒め称えた伝説が中国西南からヒマラヤにかけて広がったのだ。