10 死の神話

古代人は死にたいしてどんな認識をもち、対応していたのだろうか。ロングセラーのキューブラー・ロス『死ぬ瞬間』(Kubker-Ross 1969 On Death and Dying)を読めばわかるように、現代人にしたって、死を理解しているとも、凌駕しているともとうていいえないのだ。

 古代人が死にどう対処していたか、死や寿命に関する神話からその一端を知ることはできる。世界でもっとも知られる死の神話は旧約聖書「創世記」冒頭のエデンの園の場面だろう。主は園を守るひと(アダム)に言う、「(園の中央にある)善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と。エバが蛇にそそのかされて果実を食べてしまうため、人は死ぬことになるのである。これ以来キリスト教社会において、死というものが、原罪(アウグスティヌスが強調した)にたいする罰として与えられるという観念を植え付けてしまった。

 ここではもちろんチベット・ビルマ語族の死生観が重要なので、彼らの死や寿命に関する神話や伝説を取り上げよう。

 ナシ族には換寿神話と呼ばれる神話がある。陽神と陰神は造ったばかりの神山の上で寿命を割り当てることにした。陽神は「10万年の寿命はいかがかな」と叫んだ。眼を覚ました石がそれを持っていく。こうして1万年は水、1千年は樹木、百年は鶏、30年は馬、20年は牛、15年は犬が持っていった。寝坊した人間はわずか5年の寿命しか得られなかった。これでは子育てもできず、家畜も養えず、種をまいても収穫物が食べられない。いっぽう鶏にとって百年はあまりに長すぎた。それで陽神があいだに入って、寿命を交換した。

 犬と交換するヴァリエーションでは、アセドゥ神が寿命を割りあてる。60年は犬が持ち去り、寝坊した人間が得たのは13年だった。人間はアセドゥ神に直訴し、犬と交換することが認められたが、犬の面倒をみるという条件で交換が許された。13年で少年が成人儀礼を祝うのはそのためである。

 イ族の神話では石が主役である。創造神は石を造ったが、当初石は成長もし、自由に動くこともできた。そのうち山は石だらけになり、平原に下りて来て人間と争うようになった。戦いは激しく、両者に損害を与えた。人間は石の残虐さを創造神に訴え、石は自由を奪われた。そのかわり人間の寿命にも制限をもうけたのである。

ハニ族の神話では、至上神アピメインが九人の不死の娘を生む。彼女たちは九人の神と結婚したので、人間を含む、生まれるすべてのものが不死だった。すると世の中は老人だらけになり、子どもたちは老人の世話に忙しくなった。子どもたちは介護に疲れ、1000歳を超える老人たちもいいかげん死にたいと思った。あるときのこと、狩人は老いた猿を射止めたが、顔の皺を見て老人のことが思い起こされ、食べず、埋葬することにした。大工は棺桶を作り、ペーモ(ハニ族祭司)は経を唱えた。数百人の人々が泣き叫ぶと、声が天庭にとどき、不審に思った天神イェサは鷹を差し向けて調べた。人間が神の許可を得ないで供え物を作っているのを知った天神イェサは激しく怒り、人間を含むすべての生き物に死を賜ったのだった。それ以来人は死ぬようになったのだが、老人だけでなく、老いも若きも、男女を問わず、だれもが死に得るようになったのである。

 ハニ族の神話を読むと、古代から老人介護の問題はあったのではないかと想像してしまう。それが現実であり、死や寿命についての説明がされたところで、死の恐怖が取り除かれることはなかっただろう。亡魂を送魂路に沿って祖先の地へ送るという信仰も、詳細に地名が語られ、複雑な葬送儀礼が行なわれることによってはじめてリアルな感覚でとらえられるようになるのだ。