6 モソの楽園、スブアナワ

モソ(ナシ族支系、自称ナズ)は風光明媚な瀘沽(ルグ)湖周辺に住み、いまだに通い婚の風習を残しているため、無数の冒険家や文人の興味を惹きつけてきた。そんな楽園のようなところに住む彼らにも、魂は還っていく場所があるのだ。

 モソの送魂路をたどるとかならずスブアナワという場所にたどりつく。たとえばウルマ村の路線は、まとめるとつぎのようになる。

 

ウルマ → アーコ → ウァデ →(木里の地名が羅列される)→ スブアナワ → オブクァライ → ハニクァルァイ → イズウァレジ → イヘヘレイ

 

 スブアナワのあとさらに四つの地名がつづいているが、残念ながら意味不明で、場所も特定できない。スブアナワも実在する場所であるかどうかはわからない。そこは一種のユートピアである。

 善良な魂のみが行くことができ、スブアナワへ行けないことが、モソにとって最大の不幸とまで言われる。そこでは、人の魂はみな自由に飛翔することができる。病気も死亡もなく、不満も苦痛もない。ただ妙なる歌声がこだまし、微笑みがあふれている。蝿も蚊もなく、ミツバチの羽音と蝶の舞いがあるのみ。憂鬱も悲傷もなく、四季を通じて花が咲き乱れ、泉の水は尽きることがない……。

 ウルマ村の送魂路を、油米(イミ)村の三つの姓、石氏、楊氏、阿氏の送魂路と比較したい。

 

 (石氏)イミパドゥコ → …… アログガク(ゴンガ山麓)→ …… → プァルァナルァズィ(白道と黒道が交わるところ)→ …… → スブアナワ → …… → ルァルァク(ジュナルァラ山麓)→ …… → プラムトトゥ(神霊の住む天上)

 (楊氏)イミパドゥコ → …… → プァルァナルァズィ → …… → スブアナワ → …… → ルァラヘブク → (以下省略)

(阿氏)イミ → …… → プァルァナルァズィ → …… → スブアナワ

 

 これらの路線からわかることは、ゴンガ峰がジュナルァラ山と同一とはいえないことだ。亡魂はゴンガ峰を通り過ぎて、白い道と黒い道が分かれる分岐点にさしかかる。ここでは白い道を選ばねばならない。石氏の路線ではスブアナワのあといくつか地名が列挙され、最後の地名がプラムトトゥである。プラは魂、ムは天を意味するが、プラムトトゥ全体で何を意味するかはわからない。

 すべての説を排除すべきではないと思うので、ひとつ異説(私自身の説)を示そう。スブアナワは金を意味するサンスクリットのSuvarnaと関係があるのではないか、という考えだ。

 Suvarnagotraは金の国であり、西チベットかラダックあたりの女国だった。山口瑞鳳氏の説では、この女国が東遷して四川西北ギェルモロンの東女国となった。モソも女国であり、もともと四川西北あたりから南下してきたので、ここに、西方の女国 → 四川西北の女国 → モソの女国、という女国のトライアングルが成り立つのだ。もともと西チベットかラダックにいたとすれば、そこのスヴァルナの国が起源地ということになる。もっともこの説が広く受け入れられるとは思わないが。