10 プミ族の北方への郷愁

言語学的にみてもプミ族はチャン族(羌族)に近く、古代羌族の本流につらなっているといえるだろう。白色崇拝や葬送儀礼における羊の重要性なども、受け継がれた。

 チャン族とプミ族の間に分布するミニャク、ルス、ドス、アルス、ナムイなど(これらはすべてチベット族に分類される)もおなじ範疇に入る民族であり、かつては西蕃という名でひとくくりにされて呼ばれていた。唐代まで遡れば、史書にあらわれる白馬、白狼、白蘭などがプミ族の先祖ではないかと思われる。さらに遡れば、槃木(パンムー)という民族名を我々は見出すことができる。『後漢書』によれば春秋時代に槃木が四川西北に大量に移住し、白狼(白蘭)と融合した。

プミ族の送魂路は地方によってかなり異なるが、典型的な例として剥奪(ボド)村を起点とする路線をあげたい。

 

 剥奪(ボド) → ビバド → …… → 瀘沽湖 → 永寧寺 → レチョン寺 → 木里大寺 → マヤジチェン → ジュプチドン

 

 終点のジュプチドン(Jupuzhidong)は雪水の集まる所、という意味であり、青海省南部のバヤンカラ山脈ではないかと推定される。ジュプチドンに至る道は赤い虎の山(Onyelyekyegong)黒い豹の山(burnyasumgyong)花果山(Sayapenmagong)ヤラダツェゴン(Yaladatsegong)の四部落とつながっている。このうち最初の三部落は雲南蘭坪など雲南北部と四川西南に移動したが、ヤラダツェゴンだけはいまも青海省内にとどまっているという。

 雲南寧浪県紅橋郷喇夸(ラクァ)村と四川塩源県左所郷布爾角(プルジャオ)村の送魂路は、ボン教と結び付けられるかもしれない。

 

1) 喇夸(ラクァ) → …… → 瀘沽湖 …… → 木里県烏角 → 通天河 → 喇孜山 → 郷城 → 稲城 → ムドゥシウ

2) 布爾角(プルジュ) → 多奢 → 達孜 → 前所 → 永寧温泉 → 木里烏角 → 通天河 → 喇孜大山 → ムドゥシウ

 

 この路線を収集した楊学政氏は、ムドゥシウを四川、青海、西蔵にまたがる地域のどこかと推定しているが、ムドゥはボン教の聖山ムルド山(dMu rDo)ではなかろうか。シウは金(gSer)と考えられるが(ムルド山は大小金川地方にあり、この地方の人は金人と呼ばれた)が、用例がないので、はっきりとはいえない。ただ中心的な神格がティバシャラ(トンバシェンラブ)であり、プミ族におけるボン教の影響はすこぶる大きい。

 雲南蘭坪県に伝わる葬送歌『給綿羊』においても、亡魂はシピ(祭司)に導かれて天山に達する。天山がムルド山の可能性もあるが、その前に渡る湖が青海湖であるとするなら、青海・甘粛省境の祁連山脈あたりが濃厚である。

 『給綿羊』の際にうたわれる送魂路線はつぎのように考えられている。

 

 家 → 羅古青村の岩 → 拉巴山 → 石鼓 → 永寧とラポの間の山 → 永寧 → 木里 → 江湖 → 砂漠 → 草原 → 各氏族の村(青海)

 

 実際にうたわれるのはつぎのような歌である。

 

<死者(神話的人物マリャン)よ。よく聞け。冥界に至ったら、そこの王がおまえに問うだろう、どこから来たのだと。そうしたら正直に答えればいい。恐れることはない。もし王がおまえを鎖で縛ろうとするなら、銀器を贈るといい。もし刑罰を与えようとするなら、焼きソバとバターを食べさせるといい。冥界府を訪ねたあと、ウワバミのいる口から出て行け。右に回っていくと、鬱蒼とした森に出る。それから死者の行く湖があるので、そこへ入っていけ。湖を渡るとき羊の背中の毛を持て。すさまじい風が吹いてきたら綿羊の腹の毛の下に隠れよ。

 よく聞け。湖を渡り終えたら、険しい天山の麓に着くだろう。天山の険しい峰を越えたら、天と地が接する地方に達するだろう。そこに分かれ道があり、おまえは菩薩マリ(マリャンの兄弟で西天へ行き菩薩となった)の保護を受ける。そこで道は三つ又に分かれている。上へ行く道は斑色の道であり、天神、山神、竜神の行く道。下へ行く道は黒色の道であり、甲羅や爪、蹄のある動物のための道。だからおまえが行くのは白色の中間の道。おまえの祖先が通った道だ。その道を進んで、祖先の懐に飛び込むといい。

 (……)よく聞け、三叉路のあと、おまえは祖先の過ごした地方へ向かう。天神のところへ向かう。シェスヤラ草原(祁連山脈の北?)へ向かう。たくさんの牛を、馬を、羊を見る。虹のかかるところへ向かう。死者の行くショドン地方(?)へ向かう。熊姓家の村へ、和姓家の村へ、鹿姓家の村へ、楊姓家の村へ、(別の)楊姓家の村へ、胡姓家の村へ、(別の)熊姓家の村へ向かう。そこは日月が昇る東方、おまえの祖先が過ごした地方である。>

 

プミ族のなかでもっとも南方へ移動したからこそ、蘭坪県の人々は北方の草原への郷愁をにじませている。伝承によれば、プミ族の一部は四川西南から現在の麗江にかけて国を築いていたが、だまし討ちにあって、ナシ族に敗れたという。そのためより西南へ移動せざるをえなかった。しかし魂は死後はるか北方の民族の原郷に送られ、理想郷で永遠の幸福を享受するのである。