14 民族コンプレックスと送魂路:ジノー族
人口わずか2万の超マイナー民族の悲哀というか、ジノー族はその起源伝説からしてコンプレックスの色を帯びている。よく知られた伝承が「諸葛孔明が南征してきたとき置き忘れられた兵士の子孫だ」というものである。孔明軍が雲南南部にやってきたとき、一部の兵士は寝坊してしまった。
置き忘れられた彼らはシーサンパンナの小黒江の川辺まで追いつくが、兵隊はもうみな川を渡っていた。孔明はしかし茶と綿の種を彼らに与えていた。彼らは置き忘れられたのでディウルオ人(ディウは去の上にノをのせた漢字。ルオは落)と呼ばれた。ディウルオが変化してジノーになったという。
言語学的にみれば、ジノー族はイ族の仲間に加えられても不思議でなかった。ひとつの民族として認知されるということは、それだけ際立った文化的特性を持っているということである。しかし民族の長所を強調する、ということはない。上の故事は諸葛孔明がシーサンパンナまで来たという史実がないだけに、「まぬけな兵士の子孫」という点だけが目立ってしまう。「文字喪失伝承」の項でも述べたように、コンプレックスをもつ民族はこのようなネガティブ思考的な伝説をもつのだ。では彼らの送魂路はどんなタイプだろうか。
家 → 村の門 → 村の横の池 → 分岐点 → 野良猫がうずくまる所 → ムシアデ山 → ロモメニ岩(人と鬼が分かれた地点)→ …… → メモタ(ジェジョ山口)→ ジェジョアスジェミ(ジェジョ山の村の神がいる所)→ アリ塚 → …… → 九叉路 → スジェジョミの入り口 → 放牧場 → 水子の村 → 水汲み場 → スジェジョミの人はブタを放つ所 → スジェジョミの村 → 亡くなった父母の家
スジェジョミというのが彼らのもどるべき祖先のつどう場所である。ここは実在する山で、現在のバヤ(巴亜)村からわずか60キロしか離れていない。彼らの原郷はこんな近くなのだろうか。ジノー族に伝わる古歌がある。
<われらの祖先ははるか遠いところからジョジェ山の尾根に来た。ジョジェ山の尾根はデパデチェン(女始祖がいます所)、よく働くガミミ、モプデ、彼らはわれらが村の神。光陰は流れ、子孫は繁栄した。われらジノー・ロクまで代はつづいた。山の前後に十数の村、すでに千年の時が流れた。>
ジェジョ山のジェジョは、スジェジョミから移ってきた人々の住む村、という意味である。そうすると「はるか遠く」のスジェジョミが60キロしか離れていないのは不自然だ。この矛盾はどう考えたらいいのだろうか。
伝説によれば、ジェジョ山時代の後期、「千軍万馬」が攻め込んできたため、移動を余儀なくされたという。于希謙氏によれば(2000)千軍万馬が攻めてきたのは刀氏のシーサンパンナ国が内部分裂した頃、およびタイ国北部のヤベシフが攻めてきた1252〜1325年の間である可能性が強い。現在の地に定着したのがおよそ七百年前ということはまちがいないだろう。
スジェジョミは、ナシ族のジュナルァラ山のように、近い場所にあり、同時に遠い場所にもあるのかもれない。60キロ離れたスジェジョミと、はるか遠く、四川のスジェジョミが二重に存在するのだ。またスジェジョミのスは、古代四川のイ族の祖先、叟(ソウ)氏と関係があるかもしれないと私はひそかに考えている。