16 絶滅危惧指定の送魂路:白族
白族がほんとうにチベット・ビルマ語族に属しているといえるか、長い間論議されてきた。白族の言語はチベット・ビルマ語の特徴を失い、雲南方言、あるいは大理方言といったほうがいいほど漢化していたからだ。明朝の頃漢族の大量移住があり、実質漢族なのだという論も当然提出される。
歴史を振り返ると、白族は唐代までには白蛮とよばれるようになっていた。これまた長年論議の的となってきたのが、7世紀中葉にはじまる南詔国の主体民族がどの民族かということだった。かつてはタイ族説が西欧の学者によって出されたが、次第にイ族説が圧倒的になり、最近では烏蛮貴族・白蛮貴族混交説が有力になってきた。10世紀から13世紀にかけて大理を中心として栄えた大理国が白族によって治められたのはまちがいないが、南詔国においてすでに白族は一定の力をもっていたのだ。
これだけひとつの場所が長い間栄えると、どこか遠くの原郷に魂を送る、という観念は廃れてしまうものらしい。大理では、亡魂を西方浄土へ送ることはあっても、祖先たちのつどう楽園へ送るという習俗はなくなってしまった。いっぽう大理から遠く離れた地方では送魂の習俗が残っている場合もあるが、終点はほとんど大理なのである。
数少ない例外を見てみよう。怒江地方のトゥオトゥオ村の虎氏族ラション支系の送魂路は、最終的に蘭坪県西烏庫(シウク)に達する。これをよみあげるのはシスニ(葬送儀礼専門の祭司)である
家 → 大門 → …… → ヨテワピ峠 → トヤンホ岩(洞窟の入り口に泉があり、そこで喉の渇きをいやす)→ 草原の丘 → ヘイディエン崖 → コスィモスィ泉(ここで顔、手足を洗う)→ 碧羅雪山の頂 → 大きな囲いと小さな囲いのある地方 → 鉄索(ロープ橋)→ 南天門を入ると、三本の道:上は首を吊って死んだ者の道、下は服毒自殺した者の道、中間が進むべき道。その道が天とつながっている道。
このシウクという終点がほんとうに蘭坪県にあるのかどうか、私は確認できていないが、トゥオトゥオ村の白族がかつてこのシウクというところに長く平和に住んでいたが、紛争などが起こり、移動を余儀なくされたのだろう。いままで見てきたように、魂が送魂路に沿って送られる先は、かつて平穏に暮らしていた理想化された場所であることが多い。シウクは彼らの失われた理想郷なのだ。