20 神話があらわす民族移動の道:ライ族
「古代羌族からチベット・ビルマ語族へ」の章でも触れたように古代インドのヴェーダの時代にモンゴロイドを指すと思われるキラータという語があらわれた。そのキラータが現在のキランティにつながっていると一般には考えられている。キランティ民族といえばふつうリンブー族とライ族を指すが、ほかにヤカ族(Yakha)、スヌワル族(Sunuwar)、ハユ族(Hayu)、タミ族(Thami)、チェパン族(Chepang)、そしてタライ平原のダヌワル族(Danuwar)、メチェ族(Meche)、ラジュバンシ族(Rajbamsi)なども含める。3千年前にはすでにチベット・ビルマ語族はインド亜大陸の東北端に進出し、一部はヒマラヤに沿って西へ進んだのである。
ライ族の民族移動路線が南方の平原から現在のネパール東部に伸びているのは、だから、驚くべきことではない。彼らの四人兄弟神話をみてみよう。(Martin Gaenszle 2000)
<昔、四人の兄弟と四人の姉妹がいた。彼らは文化英雄カクチュルクパ(Khakculukpa)の直系の子孫だった。長男はカンブハン(Khambuhang)二男はメワハン(Mewahang)三男はリンブハン(Limbuhang)、末弟はコチェハン(Kochehang)またの名をメチェ・コチェ(Meche-Koche)といった。水という水が干上がった南方の平原コクワルン(Khokwakung)を出発し、彼らは北へ向かった。しかしまもなく末弟とその妹ははぐれてしまった。ジャングルのなかで目印にしていた押し倒したバナナの木にあたらしい芽が生えているなど、手がかりが失われたからだ。それで彼らはタライ平原に住むことになった。ほかの兄弟姉妹はバーラーチェートラ(Barachetra)に着いた。そこには大河があった。メワハンが川岸に着いたとき、カンブハンはすでに対岸に渡っていた。メワハンがカンブハンにどうやって渡ったのか尋ねると、カンブハンは妹を生贄にしたのだと嘘をついた。メワハンはそのとおりにして渡ると、カンブハンが妹を隠していたことに気づいた。怒り狂って彼はカンブハンに呪いをかけた。このあとカンブハンはドゥドコシ川に沿って、メワハンはアルン川に沿って北上し、遅れてやってきたリンブハンはタマル谷を上がり、それぞれの場所に定住した。>
以上はメワハンの神話なので、兄カンブハンを悪人のように描いているが、兄弟部落間で争いが絶えない、などということはないようだ。ちなみにカンブハンの子孫はチャムリン(Chamling)、トゥルン(Thulung)、ドゥミ(Dumi)、カリン(Khaling)、クルン(Kulung)など、メワハンの子孫はロホルン(Lohorung)、ヤンプー(Yamphu)、ヤカ(Yakha)などである。リンブハンの子孫はもちろんリンブー族である。
カンブハンのハンは始祖という意味をもっている。リンブー族の始祖ソドゥン・レプムハン(Sodhung Lepmuhang)や祖霊をあらわすハン・サム(Hang Sam)、またリス族の始祖男女神のア・ハン・パ(A-Hang-pa)ア・ハン・マ(A-Hang-ma)のハンも同源である。
さて問題はこれら民族移動の伝承がどう送魂路にあらわれているか、である。葬送儀礼の後半にシルム・カットゥ(Shilum Kattu)という儀礼がおこなわれる。祭司は囲炉裏に面して座り、左手に竹の(先端が包まれている)弓矢を、右手に鎌と(先端が包まれていない)矢をもち、祭詞(sakumbu kura)を誦しながら、ポンラルブム(pomlalubum)すなわち死者の国への旅立ちを命じる。残念ながら、この祭詞の内容はあきらかでなく、送魂路を含んでいるかどうかわからない。今後の研究が待たれるところである。もし送魂路があるとしたら、その終点は起源地のコクワルンであろう。コクワルンのルンは石を意味する。メワン・ライ族の住むバラ(Bala)村にある祖石のような記念碑的な石がそこに立っているというイメージがあるのかもしれない。