21 湖畔の理想郷への旅:グルン族

グルンというのは他称であり、彼ら自身の名はタム(Tamu)であると、前にも述べた。タムはタマンやタミと同源で、唐書にも登場する多弥(おそらくhlDo sMe)との関連も考えられるだろう。ベルナール・ピニェド(1966)は土(トゥ)族の後裔ではないかという推論をたてているが、土族というのは土着民といった意味合いか、吐谷渾(とよくこん)を指す他称であり、そもそも彼らはモンゴル人なので、この説はとれない。

 しかしグルン族には、ずっと北方の湖が原郷なのではないかという共通した認識はあるようだ。私はグルン語の基礎語彙を調べ、中国西南のチベット・ビルマ語やチベット語と共通する語彙が非常に多いことを確認したが、太陽のことをタイヤンと漢語で言うのには驚いてしまった。中国文化の影響を受けた日本でもいわばひどい訛りでタイヨウと言うが、タイヤンという語をもつということは、たんなる影響にとどまらないということだ。

 前漢の時代には、漢族はすでに青海湖周辺を開拓し、領土に編入しようとしていた。そうすると二千年前、古代羌族の一派であるグルン族の先祖は青海地方に住んでいたのだろうか。また儀礼などに男9、女7という数字を多用するのは中国西南のチベット・ビルマ語族に顕著にみられる習慣であり、彼らもまた青海地方から南下したと考えられているのだ。

 タム(グルン族)の祖先とは、通常9人のアジケ(Aji-khe 男の祖先)と7人のアジマ(Aji-ma 女の祖先)を指す。また精神的な始祖のことをアバ・カラ・クレ(Aba Kara Klye)という。彼らは湖畔の村チョー・ナサ(Cho Nasa)に住み、はじめて穀物を植えた。それから彼らは南方へ向かって、サ・ナサ(Sa Nasa)、ド・ナサ(Dwo Nasa)、シ・ナサ(Si Nasa)、クロ・ナサ(Kro Nasa)と移動していった。

アジケとアジマは9つの山と7つの湖を表わしているのではないかとピニェド推測する。またチョー・ナサは西モンゴルのペタ・ルタ(Pyeta Lhuta)ではないかという。ここは7つの湖と3つの山脈に囲まれている。そしてクロ・ナサはタクラマカン砂漠の東部ではないかという。しかし残念ながら9つの山、7つの湖、という言い方は、いままで見てきたようにチベット・ビルマ語族の常套句といえるべきものであり、それ以前に、9人の男祖先、7人の女祖先というのが常套句なのである。ペタ・ルタに関しては、ラフ族のペティ・ナティ(Lの音とNの音は交替しやすい)と似ているので、チベット・ビルマ語族の原郷候補としては残すべきだろう。

 送魂路を考える場合重要なのは、死者の魂が送られる終点がココリ・マルツォ(Kokoli Martso)である点だ。「ココ」はモンゴル語で青、「マルツォ」はチベット語では赤い湖の意だが、グルン語では湖の意なのである。そうすると、青海湖(ココノール)を表わしているとみるのが妥当だろう。ただしなぜモンゴル語で呼ぶのか、マナサロワル湖など聖なる青い湖が多い中で、ほんとうに青海湖なのか、決定づけるにはいたっていない。

つぎに私自身が収集した送魂路を検証したい。グルン族のシャーマンにはパチュとギャブレの二種類があるが、まずよりシャーマン的性格の濃いパチュの送魂路から。

 

 <プル・レムジャ(Puru Lemja)→ マテパニ(Matepani)→ カヌ・コラ(Kanu Khola)→ ダンド・ビャンシ(Dhand Byansi)→ …… → マルシャン・キュ(Marsyan Kyu)→ ソニャ・プ(Sonya Pu)→ ワワ・プレン(Wawa Plen)→ ムラウラ・チェン(Mlaura Chen)→ ピリ・クイ・チャン(Pihri Kui Chan)→ シミ・ロン(Simi Ron)あるいはシミ・チャン(Simi Chan)、すなわちプラハ・ナサ(Plaha Nasa

 プラハ・ナサには9つの段階がある。すなわち、

 

@ティドゥシダイ・ナサ(Tidusidai Nasa

Aヌギドゥ・パルワイ・ナサ(Ngidu Parwai Nasa

Bソンドゥ・ロウサリ・ナサ(Sondu Lousari Nasa

Cプリドゥ・パマイ・ナサ(Plidu Pamai Nasa

Dヌガドゥ・トゥバイ・ナサ(Ngadu Tubai Nasa

Eトゥンド・ラミエ・ナサ(Tuhndo Lamie Nasa

Fヌギドゥ・ラウサリ・ナサ(Ngido Lausari Nasa

Gプレドゥ・ジョラジェ・ナサ(Predu Jyoraje Nasa)すなわちナルカ・ロク (Narka Lok)

Hクドゥ・トゥバイ・ナサ(Kudu Tubai Nasa)すなわち天界(Heaven, Parad)

 

 プラハ・ナサに至るまでおよそ50の地名が並ぶが、ほとんど特定できないので大多数をここでは割愛した。マルシャン・キュはネパール北方のマルシャンディ川ではないかと思う。そうだとすると、青海湖までは到底届かず、死者の領域(シミ・チャン)に入るのはチベットということになる。プラハ・ナサに関しても不明な点が多いが、8番めに地獄に落ち、9番目に天界に昇っている。

 

 つぎに祭司的性格の濃いギャブレの送魂路をみてみよう。

 

 <チャドラムン・ビマ・ハティヤ・ミエ・チョン(Chhadramun Bhima

Hatiya Myae Chon)→ ハジヤ・トゥネ。チョン(Hajiya Thune Chon)→ ハジヤ・サソン・イェタ・トゥルソン(Hajiya Sason Yeta Thurson)→ …… → ワワイェ・プレイン・シミ・ホンジェシミ・メ・チャ・シャルキエ(Wa Wa Ye Pleyn Simi Honjesimi Me Cha Syarkyue Ta)→ トンディエ・クルン・サベ・イェ・チェ(Tohndie Klun Sabe Ye

Che)→ アージケ・アージマン・タロン・キャンベ・パーラ・サベ・イェ・チェ(Aaji Khe Aaji Man Taron Khyanbae Pahla Sabe Ye Che)→ ラコ・イェ・タ・プラダ・ペウ・イェ・タ(Rakho Ye Ta Phrada Peu Ye Ta)→ …… →  チナ・ト・チナ・セ・イェ・ソナ・カルグエ・ト・カルグエ・ソ(China Toh China Se Ye Sona Kargue Toh Kargue So)→ …… → プラミ・マジュ・パルジョン・パガ・カニ・ソンタル・キャバエ(Plhami Maju Parjon Pahga Khani Sontaru Kyabae)→ プラミ・トン・アージケ・アージマン・タロン・キャバエ(Plhami Ton Aaji Khe Aaji Man Taron Khyabae)→ プラミ・ランダ・ルンダ・チャインダ・ティンダ・キャウ(Plhami Landa Lunda Chainda Tinda Khyau)→ プラミ・テムラ・ヌガジ・チュ・パグレ・マグレ。トエ・パル・マハデウ・イェ・コンル・チャルシ(Plhami Temra Ngaji Chu Pagre Magre Thoe Par Mahadeu Ye Kohnr Chyalsi)>

 

と、長々しい(説明を含んだ)地名が羅列される。「ワワイェ」は上述のパジュの送魂路にも登場する。このあたりから死者の世界に入っていくとすれば、距離的にも長い送魂路だといえる。このなかで二度出てくるアージケ・アージマンは男女祖先である。

 プラミは天界を指すことばと思われるが、はっきりしない。ナシ族の送魂路のなかにもプラではじまる地名があり、天界と関係していたことに留意したい。また古代中国西南(四川西北か青海)の白蘭部落とプラが対応している可能性もある。プラ=白蘭=白、清浄、という図式が成り立つかもしれない。

 ムンフォード(Mumford 1989)が示したギャスンド地方のギャブレが歌う送魂路は、上の路線と比べるとはるかに短く、他界へ行く地点がはっきりしたものである。

 

<ドーナグ(Donague)→ テマン(Temang)→ ザンユク(Dzanyuk)→ カトー(Kato)→ ツェメ(Tshad-med)→ タルン(rTa-rlung)→ ド・キャグサ(Do Kyag-sa)→ バレ洞窟(Bare)→ チュ・ナグポ(Chu Nag-po)→ ダグ・タン(Drag Thang)→ マルシャンディ川(Marsyandi)→ オブレー山(Oble)>

 

注目すべきはチュ・ナグポ、すなわち黒い水だ。ここを越えると死者の領域であり、もし黒い水を飲んだら、戻って来られない。オブレー山はドーム状の魁偉な山容をもつ霊力にあふれた山である。死者の魂はこのオブレー山の山頂からサ・イ・ゴンパに入ることができる。

 サ・イ・ゴンパよりさらに上方にあるのがム・ギ・ゴンパ(ムは天の意)である。こちらは神の領域であり、人の魂は入ることができない。この送魂路もまた近場の聖山の山頂で終わっているが、民族の原郷までつづく長い送魂路の代替だといえる。

グルン族のパジュやギャブレというシャーマンや祭司はペ(Pye)という膨大な口承文学をもっている。チベット語のペ(dBe 例、比喩の意。dBe chaで本、経典)と同源である。この神話・伝承群のなかに送魂路に関するものも含まれているにちがいないが、残念ながら体系的な研究は十分にされていないように思える。