24 キュンルンへの道:ラン族(ビャンス族)

ダルチュラはその中央を流れるマハカリ川を境に西側がインド、東側がネパールという何か引き裂かれたような印象を与える町である。私は実際ネパール側に入ることができず、インド側の安宿でネパール人の友人の帰りを待ちわびていた。

 待つこと2時間、友人は黒っぽいシャツを着た眼光鋭い青年を連れて戻ってきた。私は50代の壮年の男性が来るものとばかり思っていたので、やや拍子抜けしてしまった。「シン氏は8ヶ月前に亡くなったそうだ」と友人は神妙な顔つきをする。「それでご子息を連れてきた。例のものはこれだよ」と指差す。

 青年が腋に抱えていたのは、茶褐色に変色した分厚い大学ノートだった。ラン族(ビャンス族、ボーティアなど他称は多数あり)のセー・ヤーモという葬送儀礼の祭文が記されているにちがいない。旧式の葬送儀礼が行なわれることがすくなくなり、また外部者に漏らしてはいけないため、このデーヴァナガリ文字を用いてヒンディー語とラン語で記された草稿はきわめて貴重なものなのである。

 ラン族は古代シャンシュン国に南接し、カイラース山の南のプランとダルチュラを結ぶ塩と羊毛の交易ルートを確立していた。ラン族のセー・ヤーモにはシャンシュン国との関係や古代ボン教に関することが記されているのではないか、そんな期待を私は抱いていたのである。

 この第1章は作者のイントロダクションで、ラン族の伝統文化を守ることを高らかに宣言している。本来は外部に漏らすべきではないのだが、伝統文化死滅の危機にあたって、いわば秘密を売ったという汚名を背負ってでも記録を残そうと考えたのである。第2章から第6章までは神話伝説。

 リンブー族のムンドゥムやグルン族の「ペ」とおなじく、神話伝説は我々が考えるものとはちがい、おもに儀礼の際によまれるものなのだ。第2章は二兄弟と妹の近親結婚とそれがもたらす災害の物語。第3章は一人息子を亡くし悲嘆に暮れている天神にカラスが葬送儀礼の仕方を教える物語。カグ(カラス)プラーナと呼ばれる所以である。第456章は「ずるがしこい男の話」「父と娘の近親相姦」「九つの太陽の射日神話」で、第7章が「あたらしい祖先(ヌ・シミ・ハンガ)」すなわち送魂歌である。

 「あなたは(死んだのだから)ここにいるべきではない」とセー・ヤクチャ(祭司)は死者に呼びかけ、その魂を祖先のいる国へ送る。魂はまず部屋を出て、ダルチュラのバザールを経て、南方のタナコット(塩と羊毛の交易の中心地)のバザールに立ち寄ったあと、ヒンドゥー教の聖地をめぐりながら北上し、マナサロワル湖に達する。

 マナサロワル湖、カイラース山のあとバルカタンで川を渡り、ピャツァラパ、ムズルタンと進むと、また危険な川が横たわる。川の前にいた雌ヤクと格闘し、剣でその角を切り、服従させる。雌ヤクにつかまり、川を渡る。つぎの川は橋を渡り、ラク・チャタムという場所で石を積んでオボを作る。そしてついにチュンルン・グイパト(キュンルンの九つの谷)に達する。

12パトのあと、第3パトでは赤い牡牛と出くわす。角をぶつけてくるがかわし、手なずける。第4パトには多くの人の涙によってできた川が流れ、涙が固まって山ができている。第5パトでは魔物に襲われ、第6パトでは祖先が迎えてくれる。現世の人々がソバの花を献じてくれたが、ここに持って来られなかったことを死者はわびる。

 第7パトは脱落、第8パトでは祖先たちが花飾りを首にかけて歓迎してくれる。第9パトでは観衆(祖先)を前に演説。「これだけで人間世界を貧しいながらも往きぬいた」と、三つのクルミを高く掲げる。クルミを放り投げると、祖先たちは争って手に入れようとし、その間に空いた席を見つけ、死者はまんまと坐る。

 死者はこうして祖先たちの仲間入りを果たす。ただしこのまま永遠にここで幸せに暮らすのではなく、現世に戻ってくることもあるという記述がつづく。ヒンドゥー教の影響を受け、輪廻転生の観念があとで加えられたのかもしれない。

 この草稿を入手したあと私はダルチュラから北方の地域を訪ねた。ラン族のだれもキュンルンやシャンシュンはおろか、ボン教の存在さえ知らないのには驚き、落胆もした。伝統的な葬送儀礼(グワン)は少なくなり、あたらしい葬送儀礼(サラート)ではカラス経のかわりにガルーダ経(ガルーダ・プラーナ)がよまれるようになった。ヒンドゥー教を選択したラン族にとってチベット的、あるいはボン教的要素は抹殺したい過去であり、実際抹殺し終えたのかもしれない。しかしいまなお魂はボン教徒にとっての聖なる都、キュンルンへ還っていくのである。